#9 継続が生んだJ1優勝 【あべしょーのKick Story】
阿部翔平選手のこれまでの人生やキャリアを振り返りながら、「阿部翔平のキック理論」が確立されてきた背景を探るシリーズ、「あべしょーのKick Story」。第9回はJ1優勝を果たす2010シーズンのお話をうかがいました。
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――2010シーズンの名古屋グランパスの特徴を教えてください。
高さや速さ、体の強さなど、個人の特長を大いに使って、勝ちに直結する戦いができました。ピクシー政権の1年目、2年目は躍動感を重視していて、運動量のある楽しいサッカーを目指していたと思いますが、2010年はその要素も残しつつより磐石なチームになり、勝つことにフォーカスしていました。また、2010年には田中マルクス闘莉王選手が加入したことで、勝ちへの執念やこだわりがチームに浸透していったのではないかと思います。
――その闘莉王選手がチームに与えた影響はどのようなものでしたか?
ひとつひとつのプレーに対してより厳しい目を向けるようになり、たとえ簡単なプレーでもミスできない空気感が生まれていたと思います。若手選手だけでなく、中堅やベテランといった選手にも簡単なミスはできないという緊張感が生まれ、全体としてチームがより引き締まったと思います。
――シーズンの中でターニングポイントとなった試合はありましたか?
シーズンを通していい意味でチームは変わらなかったと思います。大差で負けることもありましたが、その結果に左右されることなくリーグ戦を戦えました。攻めれば絶対に1点は取れるし、守りもしっかり固めれば無失点でおさえられる自信がありました。連勝が一度途切れてしまっても、勢いを止めることなくむしろ伸ばせたのが大きかったです。
印象的な試合はアウェーの大宮戦です。トゥーさん(=田中マルクス闘莉王)が右サイドからクロスを上げたボールをジョシュア(ケネディ)が決めて、1-0で勝つことができた試合です。勝つべき相手にしっかりと勝って、勝ち点を取りこぼさなかったのが大きかったと思います。
https://nagoya-grampus.jp/game/result/2010/07172010j113vs/index.html
――優勝を決めた試合の玉田選手の決勝ゴールは阿部選手のサイドチェンジから生まれていますね。
ゴールに絡んだ選手の特長が存分に活かされた得点だと思います。杉本選手(=恵太、現 春日井クラブ)は足が速いので準備して待っていてくれましたし、そのサイドからチャンスが生まれることはわかっていました。最後に玉さん(=玉田圭司、現 V・ファーレン長崎)が上背はないですが、ゴール前に飛び込んでヘディングで仕留めるところに生粋のストライカーを感じました。すでに降格が決まっていた湘南を相手に苦戦していて、ある種のフラストレーションがたまっていましたが、僕のサイドチェンジからゴールが生まれた瞬間はその試合でたまった鬱憤を晴らせました。
――優勝がわかった瞬間の気持ちを教えてください。
試合が終わった瞬間の僕は「え、決まったの?」という感じでした。僕はベンチから遠い方のサイドだったので、空気感が伝わりづらかったんです。右サイドの選手やナラさん(=楢﨑正剛)はわかっていたようで、まわりの選手にも言っていたと思いますが、僕は試合終了の瞬間には状況がわからなかったので、他の選手と同じようには喜べませんでした。
――J1で優勝できた最大の要因は何だったと考えますか?
攻撃においては、チームとして特にフォワードのジョシュア ケネディの高さや足元の技術で決めるというのを活かしたいと思っていました。そしてその部分を相手がケアしてきたときは他の攻撃陣の選手がゴールを狙いにいくという攻め方をチーム全体が理解していました。守備においては、DFラインに2人の強いセンターバックを置いて、サイドバックがバランスを取り、ボランチのダニルソンや中村直志という選手が運動量を活かしてボールを奪うことできていました。途中交代も含めて勝利の方程式がある程度できていて、選手全員がそれが勝ちにつながると信じて戦えていたのが大きな要因だと思います。
――阿部選手が当時のチームで意識していたことは何ですか?
個人的には僕はバランサーだと思うので、守備にも攻撃にも参加して、個性の強いチームがうまくまわるように潤滑油のような役割を意識していました。オーバーラップをしても使ってもらえないことは多々ありましたが、それはそれで最終的には得点につながることもあったので、それでいいと思っていました。むしろ僕を使ってもらうよりもボールを持っている選手が中に入っていってチャンスを作る方がいいとも思っていました。個人としてはそのようなプレーを継続することができました。
――J1優勝という経験が阿部選手にもたらしたものは何ですか?
J1優勝を経験できる人は数少ないですし、そのシーズンに試合に出続けた11人の中の1人になれたのは光栄でした。その年に限って言えば日本でいちばんになれて、それ相応の仕事をできたのは自信になりました。優勝するときの空気感は優勝したチームの人しか感じられないものなので、その経験を他の人に伝えたり、自らの行動に活かしたりできていると思います。
――阿部選手にとってピクシー(=ドラガン ストイコヴィッチ氏)はどのような監督でしたか?
自由にサッカーをやらせてくれる監督でした。あとは運がある監督だと思います。ピクシーは勝負強さを持っているとは感じていました。監督として勝ちを引き寄せている何かを持っていると感じる瞬間がありました。他のメディアでも言っていることかもしれませんが「週の練習はつらいものだけど、週末の試合はデザートだから楽しめ」という言葉が印象的です。
――ピクシーの印象的なエピソードはありますか?
監督がフラストレーションを溜めているとき、理由はよくわからないのですが「アベー!!!」と呼ばれたりして、その監督の声がスタジアム中に響き渡ることがありました。ファンの方も「アベちゃん何かした?」のような反応だったと思います。チームには個性の強い選手たちが多かったので、僕には言いやすい部分があったのかもしれません(笑)
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次回の「あべしょーのKick Story」は名古屋グランパス編の最後となります。2011年の東日本大震災を経て感じたこと、結果がついてこない時期に考えていたことなど、2011シーズンから2013シーズンのお話を中心にうかがいます。どうぞお楽しみに!
監修・制作:阿部翔平(SHIBUYA CITY FC)
取材・制作・編集:川上皓輝(SHIBUYA CITY FC スタッフ)
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