心の故郷
友達との連作です。
前回までのあらすじ
草薙は刑務所の中でトイレをさせてもらう代わりに、18年間守っていた秘密を話すことになってしまった。
https://note.com/aswhttkc2029/n/n6716302fc1ac
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しゃーー。
尿が刑務所に打ち付けられ、静かに響く。
その陰鬱な響とは対照的に、空は晴れ上がり遠くの山さえくっきり見えるほど空気が澄んでいた。
草薙は排尿しながらも優越感を感じていた。自分を18年間も牢屋に閉じ込めていた刑事が、この俺にお願いをしているからだ。刑務所の中ならありえなかっただろう。人間以下の扱いを受け、未来も希望もない草薙にとっては、その小さな小さな優越感が、たまらなかったのだ。
「刑事さん、じゃあ俺からも一つお願い聞いてもらってもいいですか?」
草薙は優越感に任せ、刑事に静かに尋ねた。
「なんだ、手短にしろよ。こんなとこ見られたらたまんないよ。」
刑事は苛立った様子で腕を組みながら答えた。
草薙はニヤリと笑いながら言った。
「刑事さんの秘密を教えてください。誰にも、家族にも話したことないやつ。」
草薙は打算的であった。この奇妙なシチュエーションなら無理なお願いでも通るのではないか、そう思ったのだ。しかしその一方浅はかでもあった。秘密を握ればこの刑事を自分の思い通りに動かし、出所後の人生を有利に進められるのではないかと思ったのだ。
もちろん刑事は草薙の浅はかな考えを見抜き、
「ダメだ、そんなことはできない。」
と淡々と話した。
草薙は食い下がる。
「刑事さん!お願いします。秘密を教えてくれれば自分も話します!それでお互い様じゃないですか!」
「違う!刑務所のトイレを貸してやる代わりに秘密を教えろと言ったんだ!俺の秘密を教える必要がどこにあるんだ!」
刑事は草薙の頼みを尚も突っぱねるが、その口調からは熱が帯びてきている。
「刑事さん!いっしょうのお願いですって!」
「だからダメだと言っているだろう!」
「そこをなんとか!」
「だから〜!‥」
‥
すっかりと日が暮れ、辺り一面が真っ暗になった。昼間あれだけくっきりと見えていた山はぼんやりとしか見えず、黒々とした大きな獣のようだった。
「なーーーんで教えてくんねぇんだよ!どーーせ不倫だろ!不倫!?そんなしょっぺーの誰にもいわねぇって!」
草薙は疲れ果て、唾を飲み込もうにも飲み込めない様子だ。
「だーかーらー!不倫じゃねぇよ!もっとでっけぇやつだよ!俺がバラしてみろ!?俺の首どころか家族の首までとんでっちまうよ!」
刑事はハイになってしまい、言わなくてもいいよけないなことまで口走っている。
2人ともこうは言っているが、本当は楽しかったのだ。子供の頃のように無邪気に自分の主張を展開し、大きな声で罵り合う。そんなあたりまえだった非日常を思い出していたのだ。大人になった後にふと訪れる束の間の青春。そんなかけがえのない時間を、2人とも心の底から楽しんでいたのだ。
突然、刑事が草薙の目をまっすぐに見て話すのをやめた。
「急にどうしたんだよ、刑事さん?」
次にどんな悪態をつくか思いついていた草薙は前のめりで尋ねた。
刑事は言葉一つ一つに思いを込めるように、ゆっくりと話し出した。
「いいか?草薙。社会ってのはお前みたいな人間を簡単には許してくれない。確かに刑期は終えたが、お前は一生レッテルを貼られることになる。時には辛いこともあるだろう。理不尽なことなんてもっとあるだろう。だけどな、この18年間立派に勤め上げたお前なら大丈夫だ。誰もお前を許してくれなくても、俺だけは許す。俺だけはお前を許している。だから、精一杯残りの人生をまっとうしろ。そうすれば、必ず幸せな未来が待っているからな。じゃあな。」
刑事はそれだけ言うと、草薙の方を一瞥もせず歩き出した。草薙はその大きな背中を一生忘れぬよう込み上げる涙を堪えながら、
「ありがとうございました。」
そう呟いた。
木々を揺らす夜の心地よい風は、草薙の体を包み込んだ。その「あたたかさ」は何にも変え難いものだった。空を見上げると星が瞬き、塀の中よりも美しく見えた。草薙は、新しい人生のスタートをきったのだった!
じゃーーー!
そんな草薙のスタートを祝福するかのように、刑務所の塀を打ち付ける尿の勢いは激しくなった。