「生き急いでいる」の本質を沖縄の大学生視点で考えてみた。
こんにちは、あべこうです。琉球大学の学生です。コミュニティ作ったり、イベントやったり、本作ったりしています。
そんな生活をしていると、「あべこうは、生き急いでいるよね~」とよく言われます。
そういわれるといつも「いや~現実を知らないだけだ」と考え、「生き急いでいる」という言葉の裏を考えず、はねのけていました。(#大反省)
しかし、今日「生き急いでいる」の意味がなんとなく分かった気がします。
一冊の本と一つの記事との出会い
先ほどまで、「僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?」という本を読んでいました。
内容を要約すると、自分たちがおかれている「資本主義経済のルール」をマルクスの資本論と、金持ち父さん貧乏父さんから引用し、「価値」と「使用価値」の概念を説明したうえで、「自分たちはどういう風に労働力という価値を上げるか?」を議論している本です。
その本の中で、こういう言葉がありました。
「人は1年でできることを過大評価しすぎる。そして、10年でできることを過小評価しすぎている」という言葉です。
どうやら、世界的なコーチが言った言葉らしいです。
この言葉を見て「なるほど、たしかに1年間でできることは限られているかもしれないけど、10年間という長いスパンで見たときには、大体何でもできるな~」と思いました。年数で勝負するってやつですね。
そして、もう一つ。さっきまで、けんすうさんのnoteの記事を読んでいました。
ここで書かれている「キャリアのVSOP」という概念が、本の中で書かれていたことと近しいな~と感じたんです。
キャリアのVSOPをざくっといえば「20代はバラエティ、30代はスペシャリティ、40代はオリジナリティ、50代はパーソナリティ」で区切って、キャリア形成をしていくみたいな話です。
詳しくは、けんすうさんの記事でも紹介されているちきりんさんのブログを読んでみてください。
幅広くやってきた1年生~3年生
上の2つの情報を見て、自分自身「あ~~~」と思うことがありました。
自分は大学の学部に6年生在学するので、大学1~3年生の時までは幅広く色々なことをやる。大学4年生~6年生までは専門的に積み上げていく。ということを考え、今4年生になっています。
大学3年生の時は、新型コロナウイルスの影響で外出ができなくなりましたが、活動をすべてオンラインに切り替え、朝活読書会やオンラインイベント、クラウドファンディング、オンライン合宿、インターンなどに参加し、今まで以上に活動できたような気がしています。
▼活動歴
なので、20代のうちにいろいろと幅広いことを知るのは、すごく大切だな~と感じていますし、今になって19歳の時に話した会話がよみがえることもあります。
これからどうする?4年生~6年生
そして、次は専門性を極める4年生になりました。
今は映像制作のツールであるaftereffectsを勉強し、たまに仕事をもらったりしています。
また、3年生終わりに本を作りたいと思い作っているので、その周辺領域でもう一つ3年間力を入れる活動をしていこうと思っています。
そう思っていた昨日、ある出来事がありました。
説明会で出た問い。
ちょうど4日前くらいに、お世話になっている先輩から、「あべこうちゃん、今私たちこういう活動をしてて一緒にどう?」と誘われました。
誘われた先は、GSC OKINAWAというコミュニティ?チーム?です。(#まだ全部理解できていない)
その説明会に昨日参加してきました。
Global Shapers Communityは、世界経済フォーラムにより組織される、多様なバックグラウンドを有する20-30代の若者によるコミュニティです。 Okinawa Hubはそ若者が主体的に個性を発揮することを通じた多様性社会の実現を目指し、世界経済フォーラムのコミュニティを沖縄から世界、そして地域社会に繫ぐプロジェクトを展開していきます。HP引用
そこで話されていたことの中に「30歳になったとき、どういうリーダーになりたいのか?」という問いでした。
その問いを聞いたとき、「うわ~、なるほどな~」と思ったんです。
目先のことばっかりに執着していた
どういうことかといえば、今までの自分、今の自分は目先のことに集中しすぎていました。
明日の医療費のこと、今週の生活、来月あるイベント、今日の午後からのミーティングなどです。
しかし、「30歳になったときどうなりたいか?」や「25歳になったとき、何を成し遂げたいか?」などは考えたことがありませんでした。
大学のキャリア系の講義に参加した時に、キャリアマップやビジョンロードマップなどを書いたので、それを久しぶりに見てみると、どちらかといえば「自分」に向いていて「外との課題が考えられていない」なと感じます。
「あ~~~、何年か後にこうなりたいなんて、そこまで考えてなかったな~」と実感した瞬間です。
もちろん、例えば「リモートワークしたい!」とか「彼女と一緒に住みたい!」とかはあります。ただ「リーダーとして」や「一人の人間として」と考えたことはなかった。
一人称になるにつれて、どんどん近視眼的になっていっていると気が付きました。
「生き急いでいる」の本質
そう気づいたときに、思い出した言葉が「生き急いでいる」でした。
ただ、一番上の記事や本を読んで「生き急いでいる」の意味が変わりました。
生き急いでいるというのは、生きることをもっとゆっくりしたら?もっと余裕をもっていたら?という意味もあるかもしれません。
それに加えて、こういう解釈もできます。
「もっと長期的に考えてみれば?」
つまり、「今、すごくバタバタで切羽詰まっている風に見えるけど、もっと肩の力を抜いて、長い期間で考えてみたら?」という提案です。
長期的に考える時間を設ける
「生き急いでいる」の本質は「長期的視点が欠けているということか!」と自分なりに思いました。
「30歳になったとき、自分がどういうリーダーになりたいのか?」
「30歳になったとき何を成し遂げて、周りからどういう人に見られたいのか?」
「大学を卒業するまでに成し遂げたいことは何か?」
そういう問いを今度自分にぶつけていこうと思います。
戦略を作るのは得意です。あとは、問いを解くだけ。