「シニモドループ」を振り返る
お疲れ様です。阿部秀斗です。年の瀬ということで僕がディレクションしたコンテンツの振り返りをしようと。
以下お品書きです。
シニモドループとはなんだったのか
この作品はそもそも、「デスゲームのなかでタイムループをする作品ってないよね」ってところからじゃあこれをテーマに作ってみよう。となり、コンセプトを”デスゲーム×タイムループ”に定めてシナリオを組み始めました。
記憶を無くした男女のデスゲーム・全員が白い服を着ている、は僕の性癖好みで決まりました。
役者に渡したハンドアウトは全て当て書きです。一人一人の顔を思い浮かべながら「どんなことをさせようかな〜〜〜」と椿と悪巧みを繰り返しました。役者には謎解き界で司会や制作をされている方までお呼びし個性豊かなキャストが揃っていたんじゃあないかなと思います。
RIETの”異常性”との戦い
役者たちにはわずかに残った記憶(いわゆるハンドアウト)と「デスゲームが起きること」「時間が戻ったら記憶はリセットされること」「回想シーンが始まるきっかけ」しか伝えていません。事務的な作業を舞台上でやると若干ダレてしまう・瞬間的に理解を求めることは役者間での認識の齟齬につながりシナリオが崩壊しかねない、と考えこれだけお伝えしました。
RIETは何が恐ろしいかって全体のコンセプトとして「役者が展開を知らない状態でシナリオが進行する」ということ。キャラクターを乗せた役者たちの内部に迫るような決断を迫る、そんな他の即興演劇では楽しめない「TRPG×インプロ」の新たな形です。ただこれが非常に難しく、僕の首を締め付ける原因にもなりました。
シナリオとしての驚き、いわゆる「伏線回収」の部分をどう設定するか…
即興パートで用意してしまうと、その要素は拾われないかも・別の解釈が起き大きく形を変えてしまうかもなどなどあり最終的に真相につながる回想シーンを序盤に見せることでそれを実現しました。システマチックにして正解だった…が、ここはあっさりサキが気付いていたため、驚き自体は少なかったかなと。
キャラクターの関係性も、いくらシナリオで用意していても世界で生きている役者たちの心情次第でいくらでも変わります。むしろそれをよしとするためにシナリオの余白をかなり多くしました。
人々はハッピーエンドを求める傾向にありますので、なんとかこの中で対立構造を産まねばならないということで1ゲーム目ではポジティブな関係性を生む回想シーンを、2ゲーム目では因縁に関わる回想シーンを作りました。が、因縁を乗り越えて仲直りをする・新たな関係性を結ぶ等のシーンが実際に組まれました。
誤算
そうここで阿部は大誤算をします。役者たちに渡していたハンドアウトにはこのような一文を入れていました。
2ゲーム目後半、「ループを繰り返しているのには原因がある」「そういえば派手髪の転校生がいなかったか…!?」という展開になりました。
そう役者たちにはこのように伝えているのでこれが共通認識になると後ほどの展開に大きく関与するのです。この発言を聞いたプラスアールの2人は…
大慌て
最終的にそんなキャラクターはいない、と「アンチハッピーエンド」のポジションとして阿部が登場し、役者さんたちが大切に積み上げてきた積み木をぶち壊しました。これはこれでよかったなあ。
台本通りになんていかない
というわけで皆さんがお察しの通り、第二ゲーム終了後から物語は台本から大きく外れます。本来の導線では第二ゲームでは因縁がこじれて3人死ぬ人が選ばれるところが、全員が結託し「ループを抜け出すため」に行動をとったため、もう因縁も何もなくなってしまったんですね。
台本上では第2ゲームで選ばれた3人を許すか、許さないかという選択肢だったのですが、これ以降は台本から外れ、結託した彼らの葛藤が見られるような選択肢を第3ゲームにて即興で用意しました。結果、本当により良い結末を観測することができたかなと思います。これがRIETかあ…最後まで何が起きるかわからない…
個性豊かなキャラクターたちが見せる、たった一度切りの演目でした。
それぞれの葛藤を私は特等席で見ていました。幸せな高校生活を不運な事故により奪われ、そしてその記憶・時間を弄ばれるというとても理不尽な目にあった彼らの最後の魂の輝きに私はずっと感動していました。それぞれの魂の輝きを見ることができとても幸せです。
最後にこのシナリオ制作にあたり、テストプレイにご協力くださった方々、そして当日の音響をしてくださったGinziさん、照明のベルヨシダさん、舞台監督の歩さん、素敵なお写真を撮ってくださったますくわーどさんに多大なる感謝を。ありがとうございました。
また次の悪巧みでお会いしましょう。
+R 阿部秀斗