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「互助」は文化の結晶なのだ

人口500人ほどの集落に私が感じたのは、自助や互助が強く、介護サービスは弱いということ。集落の人同士は見えるけど、「国」って言われても顔が見えないからなのか。そもそも地域のことは、国や自治体ではなくて自分たちでやるという価値観が1人1人に根付いているからなのだろうか。

「互助」をパワーアップさせているのが、集落の文化や風習。
例として挙げれば、
・墓参り
・墓の清掃
・運動会
・色んなお祭り
・鬼火焚き などなど

運動会はコロナ禍前までは500人規模の集落を町ごとのチームに分けて戦っていたと。聞いただけでもスゴすぎる。これを体験できなかったのは痛恨の極み。3年に及ぶコロナ禍による過度の生活の自粛は「大切な文化」を壊したことにも気づく。色々と残念。

それはさておき、これだけ地域の関係性が盤石だったら、病院も介護施設はあまり必要じゃなかっただろうと想像がつく。高齢化率の割(当集落50%超え)には、互助でかなりの範囲のことをカバーできていたのではないか。互助がしっかりと成立している地域であれば、介護保険に基づく介護事業が都市部に比べて成り立ちにくいのも理解できる。

こうやって築き上げられた文化の結晶である「互助」は、国の医療介護費削減の救世主として都市部で祭り上げられる。しかし、祭りも風習の匂いもなくなってしまった地域で、みんな周りの人と支え合いましょうと互助を促すのは酷な話。これはなかなかの矛盾なのではないか。

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