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#3 新聞記者がサウンドエンジニアを目指した理由(下)

再び私を襲った絶望感

 念願の仕事に就くことができ、どん底だった人生に光が見えてきました。小さな新聞社でしたから給料や休みは少なかったですが、仕事の自由度が高く、日々いろいろな立場の人たちに会って話を聞くのは楽しかったですね。先輩や後輩もみんな苦労人ばかりで腰が低い方が多く、同じ志を持った者同士の心地よい連帯感がありました。

 仕事は充実感があった一方、時が過ぎるにつれ、最初は気にならなかった労働環境や待遇面について、どうも違和感が募り始めてきました。とにかく記者の人数に対して紙面のページ数が多く、とくに年末に制作する元旦用の新聞は大手紙を超えるページ数で有名でした。若手は深夜1、2時すぎまで原稿を書いては翌日の取材に備える。そんな毎日でしたが、残業代は一律数万円程度でしたし、休みも週1回あるかないかでしたね。いくら働いてやりがいを感じようとも、経済的には恵まれなかったですね。

 おまけに理不尽なノルマや取り決めもありました。まず驚いたのが新聞の購読契約のノルマ。社員1人あたり年3件の契約がとれなければ、ボーナス3割カットです(笑)。営業の部署にノルマを課すならまだしも、取材先と対等な関係が求められる記者にも課されました。しつこく契約を迫るあまり、取材先との関係がこじれた先輩もいました。会社主催のイベントのチケット販売のノルマもありました。だいたいこれも千円前後のチケットが1人あたり5〜10枚ほど配布され、期限までの「入金」が求められました。極めつけは、取材で使う自家用車を停める会社の駐車場の「利用料」として、月額数千円が給与から天引きされていました(笑)。

 「またもやブラック企業に入ってしまったか」「他社に受かるまでもう少し転職活動を続けるべきだったか」「会社からすれば、俺なんて安い給料でいくらでもこき使える歯車にすぎないんだろうな」。あこがれていた仕事に就けたにもかかわらず、私はまたしても絶望感にさいなまれることになりました。同じ過ちを二度犯したような気がして、精神的にすっかり参ってしまいました。

 「ブラック企業に搾取される生活がずっと続くのか」。そう思うと、仕事自体は楽しくて同僚たちとの絆もあったのに、何だかやるせなかったですね。「日々必死にまじめに働いているのに、俺の人生、なんで報われないんだろう。そういう星のもとで生まれたからかな」って本気で思ってました。お金もたまりませんし、休日も少なかったですから、大企業に勤める多くの同級生のように、海外旅行なんて行けなかったですね。あの頃の私は死んだ魚の目をして日々をやり過ごしていたものです。

DTMとの出合い

 そんな弱くてみじめったらしい私を支えてくれていたのは、やはり音楽でした。取材を終えた帰り道の車中で、静まり返った田舎道で…。いつも無意識に歌ってましたね。仕事がうまくいったとき、逆に失敗して泣きそうになったとき、その状況に合ったメロディーが頭の中で自然に流れてきて、なんか元気が出てくるんですよ。まるで魔法をかけられているような気分になり、「そうだ。俺には大事にしている音楽があるじゃないか」ってね。お金も時間もなかった私にとって、酒を飲んだり友人と会うよりも、これが一番効果のある特効薬でした。

 仕事漬けの日々が続く中、自分を助けてくれた音楽をやってみたいと思うようになりました。学生時代の就活前に楽器や機材をすべて手放して以降、「もう自分でいじることはないだろう」と思っていましたから不思議なものです。「またギターやアンプを買わないとな」とネットでいろいろと調べていく中で、初めて知ったのが、パソコンで音楽制作ができるDTM(デスクトップミュージック)でした。歌を取り込んだり、専用ソフトで好きな楽器の音源を打ち込んだり、それらの音色もソフト上のエフェクターを使って加工できるというものでした。さらに音源の一部を切り貼りするなどの編集作業もできるとのことです。

 恥ずかしながら、曲はすべて楽器やアンプなどのハード機材だけを使って一発録音して作られているものだと思っていた私は「こんな便利なものがあるんかい」と興奮したものです。学生時代はDTMなんてまるで知りませんでしたからね。新しい世界に飛び込めるワクワク感で浮き足立ちました。あんなに楽しい気分になったのは何年ぶりだったでしょうか。迷わずDTMに必要なオーディオインターフェースや音楽制作ソフトをポチりました。ソフトの操作が難しく慣れるまで時間がかかりましたが、すぐにのめり込み、仕事から離れるたびにいじり倒していました。私はそれまでの人生で一つのことを長く続けた経験が乏しく、それを引目に感じていましたから、没頭できるものを見つけてなんだか親友を得たような気分になりましたね。

生きる意味を教えてくれた一通のメッセージ

 ただ、音楽知識は乏しく、あいかわらず音符の意味さえもわからない状況でした(笑)。その時点では楽器の打ち込みなどはできませんでしたので、歌と伴奏音源(カラオケ音源)をソフトに取り込んでミックスしてみることを繰り返していましたね。このミックスという作業が難しく、やり方をよく理解できないまま後々苦しむことになるのですが、当時はとにかく「歌える」「音が出る」という喜びだけで音楽のモチベーションを維持するには十分でしたね。

 そんな中、ふと学生時代の動画投稿が懐かしくなり、また挑戦したくなりました。素人が聞いてもわかるひどいミックスで(笑)、編集もできないまま一発録りで完成させた「歌ってみた」をアップしてみました。それがこちらです。運が良いことに再生数は徐々に伸び、激励のメッセージも寄せていただけることになりました。

 その中で唯一、何回もメッセージを書き込んでくださった方がいらっしゃいました。その方はどうやら当時、何らかの病気で入院中でリハビリに励んでいらっしゃるとのことでした。「リハビリ頑張っています」「歌を聞いて元気をもらっています」「病気して体は少し不自由だけど心は全然不自由ではありません」、「あと5日で退院です。笑顔でさよならできそうです」などと、入院中の心境や経過をつづってくださいました。そして無事に退院できたのでしょうか。その後にいただいたメッセージに私はハッとさせられました。

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 頭をガンとやられた気がしました。悩んでいた「人はなんで生きるか」ということの答えを見つけたような気がしましたですね。「これだ!」と。もやが晴れた気がしました。学生時代の動画投稿で経験したあの温かく素直な気持ちがよみがえってきました。「俺にもまだ何かできることがあるかもしれない」と背中を押されように力が湧いてきました。この方はきっと現在、生き生きと自分らしく生きていらっしゃる。そんな光景が目に浮かぶようなメッセージでした。私自身もあんなに誇らしい気持ちになれたのは初めてでした。

「感動を与える」が人生の使命に

 「自分が没頭できることで、どれほど多くの人を感動させることができるか」。これが私の人生の使命となりました。お金や名誉がなくても、感動を与えることができた経験が多ければ多いほど、誇らしく人生を歩んでいけるはずだと。そんな生き方に挑戦してみたくなりました。その意味で、自身が劣等感を抱き続けてきた「就職」「収入」と、「自分らしく幸せに生きていくこと」とはまったく別のことなのではと思い始めてきたのです。

 こうしたことに私は最近まで気づくことができませんでした。偏差値の高い学校に進学し、一流企業に勤め高給をもらって、多かれ少なかれ自身がある程度優位な立場にいることに安心感を覚えながら生きる。既得権益にどっぷり浸かる代わりに、多少の不合理には目をつぶり、無難にふるまうことに従順する。学校教育がそうでしたし、私もそういう生き方しか知らなかった。だからそれが実現できなかった私はクズだと本当に思っていました。

 しかし、どんな瞬間が生きていて満足感を感じるか。程度の差こそあれ、それは自分が夢中になれることでワクワクしたり、相手に喜んでもらえるときだと思います。いずれも感動しているときですよね。しかもそれはお金がなくても誰でも挑戦できることですよね。身も蓋もない言い方ですが、どうせ人はいつか死にます。だったら、残りの限られた人生をそのためだけに生きることに賭ける価値はあるはずです。もちろん、何事もトレードオフの関係で、そのためには綿密な計画と準備が求められるとは思います。

 人の生き方に貴賎はないと思いますが、大企業で役職に就いて高給をもらっていても、死んだ魚の目をして働いている人はたくさんいるでしょうし、ときに命を絶ってしまう人だっているわけです。本来はどう生きたってその人が幸せであればいいわけですが、大人になるまでに受けてきた横ならびの教育に知らず知らずのうちに洗脳され、一見シンプルに簡単そうに見えながらも、自分らしく幸せに生きることが実は難しくなっている側面もあるのではと思います。

記者出身の駆け出しエンジニアとして

 こうして私は自宅内に小さなスタジオを設立しました。スタジオといってもアナログ機材がずらりと並ぶような立派な部屋ではありませんが、将来の来たる独立に向け、修行の日々を送っております。目標とする音源に簡単に到達できるほど、音楽制作は甘いものではありません。どんな世界もプロとアマチュアの間には、そう易々と超えられない山があり谷がある。音作りの世界でもそのことを日々痛切に感じています。ですので、現時点ではエンジニアと名乗れるレベルではないのですが(笑)、自身への期待を込めて「駆け出しエンジニア」ということでお許しいただけますと幸いです(汗)。

 ちなみに、DTMについてはまだまだ情報が少ないですし、ネットの動画やサイトを見てもわかりにくいなぁと感じることが多くあります。私は記者出身としてこの点を改善したいと思っていまして、これがブログを始めた理由でもあるのですが、詳しくはまた次回に触れたいと思います。

最後に。死ぬくらいなら一緒にバカになってみませんか?

 死ぬくらいなら私のようにバカになってみませんか。自分が心の底から凝ったり狂ったりできるものを見つけませんか。好きなことがない?。そんなことはないはずです。日々、無意識に続けていることがあなたの魅力だったり、人生を変える可能性だったりするわけです。自身が意識してないだけで「夢中になれるセンサー」は心のどこかに眠っているはずです。それを掘り起こすことができれば、人生はきっと楽しくなりますよ。

 いつも他人と比べながら劣等感を抱えて日々生きてきた私は強く思います。なぜ楽しくないのか、うまくいかないのか。会社の労働環境や収入面、人間関係など外部的な要因はいろいろあるとは思いますが、本質的には「没頭できるものがなかったから」なのだと。本当はどう生きたいのか、自分の腹の底では案外わかっていたりするものです。そして求める意志が強ければ強いほど、自分らしい生き方に近づけるはずだと私は信じています。

 私のようにお金がなくても今はネットがあります。働き方は一昔前とは比較にならないほど多様になってきています。何かに挑戦するための手段は探せば無数にありますし、人脈だってSNSを駆使して自分次第でいくらでも広げられると思います。

 落ちこぼれで失敗続きだった私の経歴が、一人でも多くの方々の生きる希望につながれば、私もまた仲間が増えたような勇気をいただけます。どうか独りでいることを恐れないで。頭の中だけの固定観念に捉われないで。もっともらしく見える偽善者にだまされないで。あなたの人生を他人に委ねないで。誰かに見られていなくても行動すれば何かが変わるはずです。人生に絶望する前に、あなたにできることはまだまだ山のようにあるはず。ともに一歩を踏み出しましょうよ。

 長い自己紹介ではありましたが、ここまでお読みくださいまして本当にありがとうございました。ABE Music Studioを代表して心よりお礼を申し上げたいと思います。

 次回からは、ようやく本題のDTMに関する連載を始める予定です(笑)。まだまだ一人前にはほど遠い駆け出しエンジニアではありますが、役に立つと思う知識や技術は惜しげもなく公開するつもりです。

 ではまた、次回も皆さまとお会いできることを楽しみにしております!

⇨ #4 DTM 独学では挫折する? 体系的な情報発信に挑戦します

 

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