「CDC」とは何ぞや
「CDC」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
「疾病予防管理センター」(Centers for Disease Control and Prevention)という米国の公衆衛生機関を表す略語です。COVID-19パンデミックの中で、ニュースなどでその名前を聞いたことがある方もいると思います。
その名前にあやかってか、日本でも「日本版CDC」というものができるそうです。COVID-19パンデミックでは、3年間で5万人の日本人の命が失われました。その危機対応の中で、良かった点も悪かった点もあるでしょう。それらの反省を踏まえ、「日本版CDC」というものを作るということです。
ただ、「日本版CDC」に関する政策立案や、「CDC」という名称を使った議論を聞いてみると、実際にCDCに行ったり、CDCの方々と議論したり、CDCの方々と一緒に仲間として危機管理活動に従事したことのある方は、意外と少ないように感じます。
せっかく新しい組織を創設するのであれば、より良い組織を作っていただきたい。また、その組織を通じ、次回のパンデミックでは、より多くの日本人の命を救っていただきたい。そう思い、そもそも「CDCとは何か」という点について、書いてみたいと思います。
1.米国CDCの組織構造
政府内の位置付け
米国ジョージア州のアトランタにあるCDCは、米国政府の保健福祉省(Department of Health and Human Services。略称:HHS)の下部機関です。すなわち、政府機関として、保健福祉省の政策を遂行するために存在しているのであり、独立した機関ではありません。
(この点、よく誤解があるようです。)
以下の文にもあるとおり、CDCは、HHSの実行部門の一つです。すなわち、独立した機関というわけではなく、HHSの指揮統制を受けています。また、研究機関として位置付けられているわけでもありません。
CDC内部は、以下のような組織図になっています。
広大なキャンパスと3つの機能
CDCは、職員が「キャンパス」と呼ぶだけあって、その敷地は広大です。1万人以上の職員(1〜2割は制服を着た軍人)が在籍し、様々な仕事に従事されていますが、それらは主に以下の3つの分野に分けられるのではないでしょうか。
脅威となる物質の性状分析(病原体の構造など)
脅威となる物質の動態分析(病原体の疫学など)
事態対処オペレーション
2.米国CDCのミッション-Solve the Mystery
CDCは、以下のミッションを有しています。
要するに、24時間365日、国内と国外の脅威から国民を守り、国の健康安全保障(※)を向上する。そのために、「科学」と「情報」で貢献する。
これを一言でいうと、「Solve the Mystery」。
「謎を解く」ということ。
この言葉は、CDC本部の建物に入ると真っ先に目の前に広がる「CDCミュージアム」のスクリーンに映し出されています。
(※)健康安全保障:何を指しているのかわかりにくい言葉ですが、主に公衆衛生分野に関係する国家安全保障の領域を指します。具体的には、化学剤・生物剤・放射性物質・核物質によって引き起こされるCBRN 危機に、自然災害を加えた領域を指しています。
3.CDCの活動-病気の探偵(生物兵器・核兵器への対処)
「Solve the Mystery」というミッションを具現化したものの一つが、「Epidemic Intelligence Service」(感染症インテリジェンス部隊、略称:EIS)です。EISは、別名「Disease Detectives」と呼ばれます。「病気の探偵」。まさに「謎解き」です。
EISとは、朝鮮戦争直後の1951年に、生物兵器と核兵器に対処するための早期警戒部隊として創設された、インテリジェンス担当官の集団を指し、養成プログラム(2年間)があります。
(CDC自体は1946年に創設)
EISは、これまで天然痘の撲滅などに貢献してきました。
4.CDCが提供する価値-インテリジェンス
CDCのミッションの中で、「『科学』と『情報』で貢献する」と述べました。要するに、CDCが提供するものとは、公衆衛生領域の危機に関する謎について「科学」を使って解き明かして生成された「情報」です。
しかし、CDCのミッションは、「国内と国外の脅威から国民を守る」ことです。したがって、CDCが提供するものが単なる「情報」(インフォメーション)であれば、社会的に無価値です。
親組織である保健福祉省(HHS)や、そのさらに上位にある大統領府(ホワイトハウス)が危機管理政策を立案し、危機時の事態対処(emergency response)によって国民を守る。そのための役に立つ必要があります。
「インフォメーション」は事実に関する単純なありのままの知識のことです。一方、その事実が指し示す内容について更に分析されて意味付けされた知識は「インテリジェンス」と呼ばれ、それを知覚した主体が次の行動に移るための判断の源となるものです。
この「インフォメーション」と「インテリジェンス」の違いが、謎を解き明かすことそれ自体を目的とした学術研究と、社会に対する政策的貢献を目的とした実務の最も大きな違いだと思います。
CDCが提供する価値は、「インテリジェンス」でなくてはならず、「インフォメーション」ではない。CDCは、政策を立案・実行する主体に奉仕する存在でなければならないのです。
これを言い換えると、CDCは「インテリジェンス・プロバイダー」として、HHSやホワイトハウスという「インテリジェンス・カスタマー」に奉仕せねばならないということです。
HHSやホワイトハウスが行う事態対処(emergency response)の役に立っているか。CDCの存在価値は、その一点のみによって判断されると言っても過言ではないと思います。
5.職員の評価制度
CDCが提供する価値は、「インテリジェンス」でなくてはならず、「インフォメーション」ではありません。言い換えれば、政策実務でなければならず、学術研究であってはなりません。
学術研究の分野で活動する研究者は、自身が執筆した論文の質や量で評価されます。しかし、政策実務、特に危機管理領域では、「如何に多くの国民を救えるか」という点のみに価値が見出されるのであって、論文の執筆自体には価値がありません。すなわち、如何に多くの論文を執筆したかという点が、個々の職員の評価軸になってはなりません。では、「科学」をツールとして使い、「事態対処」に貢献する職員をどのように評価するのが良いのでしょうか。
一例として、勲章制度があります。
米国CDCでは、特定の脅威に対する事態対処に従事した際には、以下の写真のようなメダルが手渡されます。右側のメダルは、COVID-19パンデミックの事態対処に従事したことの証です。
これは、軍人が事態対処(軍事行動)に従事した際に授与されるメダル制度に由来するものと思われます。
6.日本版CDCの方向性-「研究」からの脱皮
これまで述べたCDCの特徴を踏まえた場合、日本版CDCはどのような組織を目指すのが良いのでしょうか。
2つの組織の合併
「日本版CDC」は、以下の2つの組織を合併させて創設するそうです。
国立研究開発法人 国立国際医療研究センター(東京都新宿区)
国立感染症研究所(東京都新宿区)
前者は、日本の感染症の臨床医療機能をリードする機関です。また、後者は、日本の感染症の公衆衛生機能をリードする機関です。日本版CDCの創設とは、これら2つの組織を合併し、2つの機能を統合することで、感染症危機管理政策におけるインテリジェンスを強化しようという試みです。
本家の米国CDCは以下の3本柱(1〜3)の機能を提供していますが、日本版CDCには、国立国際医療研究センターの病院が加わることで、臨床医療機能が付加されます。これは、うまくいけば、本家を上回る4本柱(1〜4)のインテリジェンス機能を提供できるようになることが期待されます。
脅威となる物質の性状分析(病原体の構造など)
脅威となる物質の動態分析(病原体の疫学など)
事態対処オペレーション
臨床医療
また、この2つの組織は、以下のとおり、道を1本挟んだお隣さんでもありますので、すぐに連携可能な物理的位置にあります。
「研究」から「インテリジェンス」へ
ここで、注意しておきたい点があります。それは、「研究」です。両者の組織名に「研究」という文字が入っていることからわかるように、現在両者は「研究」を中核的なミッションの一つとする機関であると認識されています。
しかし、「CDC」の主たる任務は「研究」ではなく、「危機管理」です。今回の日本版CDCの創設も、日本の危機管理機能を向上させるための一環であるという大命題があります。
したがって、研究しているだけでは、危機に際して国民を守るために奉仕する機関とは言えません。「研究機関」ではなく、政府の事態対処のためにインテリジェンスを提供する「インテリジェンス機関」である必要があります。
また、個々の職員レベルの話をすれば、「研究者」では危機管理は務まらず、政策に即した「実務家」である必要があります。その職員に対する評価軸も、大学等の研究機関では当たり前の「論文」を評価基準にしていては、「研究機関」から「インテリジェンス機関」には変われないと思われます。「研究」からの脱皮が求められているのです。
日本版CDCと共に創設される「内閣感染症危機管理統括庁」という新たな司令塔組織や「厚生労働省」の指揮統制を受けつつ、それらの危機管理政策や危機時の事態対処に、「インテリジェンス機関」として奉仕することができるか。それこそが日本版CDCの存在価値の証明となるのでしょう。
異なる組織を合併し、新たな組織として新たなミッションを課す。そのために、人事評価制度も変える。民間企業でも多くのM&Aが行われますが、M&A後の統合作業(PMI: Post-Merger Integration)のありようが問われていると感じます。
新たなミッションという観点では、両組織には希望があります。
国立国際医療研究センターには「国際感染症センター」という組織が、国立感染症研究所には「感染症危機管理研究センター」という組織があり、また、「CDCのミッションとは何ぞや」ということを細部まで熟知している方がいらっしゃいます。彼らは、実務家として事態対処に従事してきたプロ中のプロです。彼らの知見が生かされれば、次回のパンデミックでより多くの日本人の命を救うことのできる組織が出来上がるのではないかと期待しています。
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