ワイ将の人生
なんか書きたくなったけど本当に書くことがないので自分の人生を曝け出すしかないと思い立ち、0歳から現在まで振り返ってみる。
0歳、墨東病院という場所で生まれる。兄弟共々帝王切開だったらしい。小学校の同級生で同じ病院で生まれたやつがいた、それを知って特に盛り上がるとかはなかった。お母さんが丸太のような体型になってしまったのは我々を産んだかららしい。望まぬ出産。
1歳、はっきりとした記憶なし。母によれば、すでにこの頃には喋り出していたらしい。まだおむつ。
当時の飼い犬(マルチーズ)が4×3の子犬を産む。なんとなくケージの中に子犬が大量にいた記憶はある。それのみ。アラシという名前の犬がうるさかった。そいつは河口湖に別荘があるような富豪に引き取られ、ピッコロという名前になったらしい。
2・3歳、これまたはっきりとした記憶がない。
どの歳だったかは忘れたけどひいおばあちゃんの葬式に出た。人の死を理解してなさすぎてずっと尻を向けて絵を描いていた記憶。おばあちゃんはひいおばあちゃんの子供なはずなのに喪主ですらなんでもなく一般の人に混ざって出席してた理由は20年後にわかる。
4歳、幼稚園に通い始める。
入園式の前日までおむつを履いていたものの、朝に「パンツぱんくろう」を見て覚醒。パンツを履き、便器に座ってトイレをすることを覚える。
ここら辺からチラホラ記憶がある。年少、あさがお組。4つある組の中で最も名前が長いことに優越感を覚える。
ムシキングにハマり始める。ハマりすぎたあまり、休み時間に手でムシキングをしだす。指一本でツノを表す。クワガタ系はチョキ、ゴホンヅノカブトはパー。
お母さん大好き期。家からお母さんがいなくなるだけで泣き喚く。幼稚園のお迎えがおばあちゃんなだけで号泣。お母さんを呼べと門の前で駄々をこねる。駄々をこねたあまり失禁。これが明確に覚えているお漏らし一号。
仕事上たくさんのバレンタインチョコをもらえる父と競るほどバレンタインチョコをもらう。人生においてもここが最多。
5歳、年中、つばめ組。
兄の元担任が僕の担任になった。
年少の頃からであったが、野菜が大嫌いだったのでよく昼休みまで給食を残す生徒だった。兄が毎回見に来ていた。完食できた日は友達を連れて兄と兄の友達と喧嘩をしていた。蹴りと噛みつきを得意技としていた。兄弟間のパワーバランスがまだ僕に傾いていた時代。
パンツになってから初のうんち漏らし。あまりにも自然に漏らしたためにバレないと思ってしばらく普通にしていると臭すぎたために先生にバレて保健室へ強制送還。うんちを漏らしたのは後にも先にもここのみ。おしっこは後2回ほど。
この年で「ポケットモンスターダイアモンド・パール」が発売。運動とか出来ないのにポケモンの相性を良く覚えてたやつのカーストが上がり始める。自力で四天王までは行けたものの、相棒がドダイトスだったためにバーンで詰む。そいつにバーン戦を代行してもらったらあっという間にバーンは倒されていた。次戦は自分で操作したものの敗北。これ以降2009年にアルセウスの映画が公開され、特典として100レベのアルセウスが配布されるまでバーンの壁を突破できず。
ここら辺で父親が脳出血に。記録として残されているビデオを見ると、動かなくなった父の手を触って一言「もうだめだ」と言っていた。その動画では兄は父が大好きなので父が死ぬかもしれないという恐怖からしゃべれていなかった。
ウケたら年長から続けます。
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