賢治がイーハトーブという造語のモチーフにしたと謂われる東北の某県がいわゆるぼくの「いなか」です。
ある時期まで、お盆に合わせて毎年家族で帰省していました。
トキーオから来た子供は親戚の間でなんじゃくな子供だというレッテルを貼られていました。本当は貼られていなかったかもしれませんが、当時のぼくはそう思っていたのでした。
だから出される食事も、親戚の人達が発する訛りも、天井からぶら下がっているハエトリ紙も、牛舎の匂いも、新鮮な牛乳も、玄関の摺りガラスにひっついているアマガエルも、自家用車が敷地に入ってくる時の砂利の音も、何もかも苦手でした。
その夜は近所で盆踊りがあり、トキーオからの少年も一緒に連れていって貰う事になりました。本当は億劫で仕方なかったのですが、落語の「初天神」の金坊さながら屋台を目当てに少しワクワクして外に出ました。
まず玄関を出てその夜の濃さに面喰いました。懐中電灯を持たなければ到底歩けないだろう道を親戚のおばさんや年下のいとこ達がずんずん進んでいくのでした。ぼくはただただ暗闇が怖くてなかなか進めませんでした。何しろ足元が見えないのです。側溝や段差も全く見えません。川に落ちてカムパネルラみたいにならないとも限らないのです。近くに危険な蛇や大きい虫がいてもわからないのですから恐怖心で足が竦んでしまいました。
そんなぼくをあざ笑うように親戚の人達は目的地を目指していきます。ぼくは親戚の人達を真っ暗闇ごと恨めしく思いました。目を瞑って歩いているのと同じでしたが気配を頼りになんとかついていくと、トキーオでも見たことのある光景が現れました。連なった提燈の灯りと櫓と太鼓の音。それは夜の中に突如浮かんで現れました。相変わらず足元は見えませんでしたがその灯りを視線の先に進んでいくと果たして盆踊り会場に到着したのです。
しかし。
そこには屋台なんて一つもありませんでした。櫓があってその周りで浴衣姿の大人や子供達が踊っているだけでした。
なーんだ。
唯一の楽しみも奪われた気持ちになったぼくは心底がっかりしました。
それでも今来た暗闇をすぐに引き返す気にはなれませんし、そもそも一人では絶対に帰る事が出来ません。諦めて親戚の人達が帰るまで待つことにしました。踊るなんて恥ずかしくて「見る阿呆」に徹していました。
橙色の灯りの中、楽しそうな中にも神妙な雰囲気が漂う踊りを眺めていると、不思議な気持ちになりました。今思えばそれが「淫靡」さを伴っていたのではないかと思えてなりません。
どれくらい経ったのでしょうか。
いつの間にか親戚の人達と一緒に暗闇の中を歩いていました。元来た道を引き返しているのでした。しかも来た時とは違ってぼくも同じようにずんずん進めるようになっていたのでした。おそらく単純に目が闇に慣れてきたせいでしょう。
星を見る余裕も生まれていました。
そこには汽車が走っていそうな星空がありました。
次の日、ぼくは熱を出しました。
お久しぶりの投稿になりました。
僕は引っ越しなどの合間に熱中症になってしまいました(涙
皆さん、くれぐれもご自愛下さりますようお祈り申し上げます!
あんこはるかの寄せ書きRADIOのお二人、宜しくお願いしまーす!