あの手紙のおかげで【あなたへの手紙コンテスト】
十代の終わり頃、就職もせずにぷらぷらしていた時期があった。社会にうまく溶け込めないというか、溶け込むのに抵抗したというか、とにかく他人と関わる事が苦手だった時期がある。
光陰矢の如し。今からもう三十年近く前の話。
印刷業界がDTPへ移行が進む以前。まだ写植屋があり(今もあるのかな)、そこでアルバイトをしていた。
出版社から頼まれた漫画の文字を印画紙に焼いて、焼きあがったものをアルバイト数人で校正をして問題なければ、編集部ごとに仕分けして自転車で編集部まで届ける。だいたい毎日そんなことの繰り返しだった。
好きな神保町界隈を自転車で配達する一人の時間が特に気に入っていた。
編集部に行くと、いかにもといった風体の漫画の編集者達が何かに追われているように(締め切りだと思うけど)漫画原稿をチェックしたりネームを切ったり貼ったりしていた。そういう現場が見られるのもワクワクした。
写植屋の昼休みはみんなバラバラに食事をしていた印象がある。他のアルバイトはみんな僕よりも先輩で三十代や四十代、中には六十代の女性もいた。物静かで穏やかな人ばかりだった(深く関わってないので本当のところはわからない)。
僕もいつも一人で本を読みながら食事していた。
ある日、六十代の女性に「何を読んでいるの?」と話かけられてからその人と好きな本の話をするようになった。
その職場で働いた期間は二年程だっただろうか。仲良くなったのはその女性だけだった。
僕は幹部候補生という扱いを受けたが、自分のやりたい事はここにはないと思って、あっさり辞めてしまった。
辞めてしばらくして、その仲良くなった女性から郵便物が届いた。
ハガキではなく封筒だった。
正直、戸惑った。
僕は次の段階へ進んでいたし(そう思い込んでいた)、後ろを振り返るようなことをしたくはなかった。
まるでその郵便物が、過去の暗闇から僕の足をひっぱるために伸ばされた不吉な触手のように思えてならなかった。
それに封筒に入ってるのは手紙だとわかっていたからなおさらだった。
当たり前だけど手紙というのは「人の気持ち」が書かれているものだ。
僕は自分に宛てられた「人の気持ち」なんて知りたくなかった。
だからと言って捨てる気にはなれなかった。その封筒は地中深く掘った穴に埋めてしまったみたいに机の中に眠ることになった。
それからも僕は相変わらず他人と関わるのをなるべく避けながらしばらくぷらぷらしていたが、やがて「これかな」と思える仕事に就くことが出来た。
もちろん、最初から上手くいくはずもなく、あれこれ悩む事が多くなり、また「ここには自分の居場所がない」と思ってしまう悪い癖が出始めた。
偶然だったか自分の意志だったか覚えてないのだけど、そんな折にあの封筒を開けて手紙を読んだ。
そこには、一緒に働いた期間、互いの好きな本の話が出来て楽しかったとか、僕の「目」がいつも心配だったとか、昔の自分を見ているようだとかが書かれていて、何かあれば手紙でも電話でも連絡して欲しい。だいたいそういう事が書いてあった。
案の定、あの女性は僕の事を心配してくれ、励ましてくれ、幸せを祈ってくれている内容だった。
僕はやっぱり読むんじゃなかったと後悔した。
たった2年ほど一緒の職場で働き、昼休みに話をしただけの僕の事を、どうしてそこまで思ってくれるのか不思議だったし、ずしんと重い感じがした。
そして「人の気持ちを蔑ろにした」自分の罪と向き合った。
あの女性が本当に親切な人で、本当に心配してくれて寄り添ってくれようとしたんだと思うと胸が痛くなった。僕という人間の何かを気に入ってくれて、人生の先輩として間違った方向に行かないように道案内をしてくれようとしたのかもしれないと思い、返事をしなかったバカな自分を責めた。
とにかく手紙を読む前と読んだ後では、確実に何かが変わったと思っている。急激な変化ではなかったけれど、少しずつ少しずつ他人との関わり方が変わり辛抱強くもなった。
「お前は人の気持ちを踏みにじる奴だ」と自戒しながら生きるようになった。
それでも気づかない(気づけない)ところで踏みにじってしまう事はあるだろうし、あの頃よりも自分が人の気持ちを理解したり大切に出来てると過信しないようにしている。
ただ、わざわざ自分の時間を割いて手紙をくれた人がいたとして、その人の気持ちを少しでも想像しようと努力出来る人間でありたい。
こんな風に思えるのはあの手紙のお陰だ。
もしあの女性に会う事が出来たとしたら、非礼を詫び、「僕はまだ本が好きです」と伝えたい。
了
↑ またこちらの企画へ参加しました。
うたさん、お忙しいのに2通目エントリー、申し訳ありません!