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「辻占長屋」#ピリカ文庫

 植木職人の多助はいつも通り両国広小路の賑わいに後ろ髪を引かれながら家路を急いでいた。出入りの隠居宅で少し陽に当たり過ぎたなと思いながら両国橋を渡ろうとしたその時。
「もし」
 店が途切れた橋のたもと辺りに出ていた辻易者に声をかけられた。
「ん? おらあ早く帰らねえとかかあに「あんた何遍云ったらわかるんだい! どこにも寄らないでまっつぐ帰って来なきゃ駄目じゃない!」ってえれえ小言食っちまうだよ」
 すると易者が多助の目をすっくと見つめて「あんた、長月になったら大事だいじが起こるから気を付けなさい」と云ってにんまりしたからたまらない。多助はぶるっと震えて退散した。
 
 家に帰ると炊き立てのおまんまとさんまの焼けた香ばしい匂いが狭い長屋の部屋中に充満していて先ほどの気味の悪さを吹き飛ばしてくれた。
 
 多助はさんまを齧りながら両国橋での一件を女房のお崎に話した。
「おまえさん、長月っていったら、もうすぐじゃないかさ」
「おらあ気味が悪くて」
「確かに気味が悪いねえ。けどさ、辻占なんて当たりゃしないよ。気にしたって仕方ないさね」
 
 その場はお崎に合わせて「そうだな」と答えた多助だったが、その日から夢見が悪くなり、よく眠れなくなった。集中力が欠け、仕事でしくじるようになっていた。顔色も冴えなくなり目の下にクマが目立ってくると、「若い人はお盛んな事でけっこうだねえ」などと長屋のかみさん連中に心配半分冷やかし半分で噂された。
 
 それが文月(7月)の終わりごろで、月が変わって葉月(8月)に入ると、遠くの長崎の出島で大風おおかぜが起きたと瓦版に載っていた。長崎の出島の和蘭陀屋敷が倒壊し、佐賀藩や福岡藩にも大きな被害があったと書かれてあったらしい。あったらしいというのはつまり、長屋で唯一字が読める大家の幸兵衛からそう聞いたのだった。
 
「あの易者が云っていた大事ってこれのことか? んでもまだ長月ではねえしな…」
 
 しかし人間というのは、いや多助がと云うべきか、こんな事があってからは普段通りの心持になって夜も眠れるようになった。勝手なものである。そうして顔の色艶も戻り、クマもすっかり消えていた。
 
 やがて日がめくれていき、長月になったが別段変わった事は起こらなかった。
 朝早くから出ていき、仕事をこなし、腹を減らして帰ってきて夕飯を平らげる。湯屋に行って町内の連中と馬鹿っ話に花を咲かせて良い心持で帰ってきてお崎と語らいながら一杯やる。貧しいがしあわせな暮らしぶりだった。
 多助は易者に云われた事などすっかり頭から抜け落ちていた。
 そんな晩。
「そう云えば、おまえさん。もう長月も終わりだけど、何も起こらなかったじゃないか」
 お崎に云われてやっと多助が思い出した。
「ああ、そう云えばそうだな。結局、何も起こらねかったな。明日、橋んとこにあの易者がいたらいっちょ文句云ってやんべ」
 
 翌日、多助が仕事終わりに両国橋に差し掛かると果たして例の易者が出ていた。
「おい! こんの野郎、なんも起こらなかったでねえか! 嘘ばかりこきやがって!」
 多助が勢いよく捲し立てた。
「あんた、ちょっと落ち着きなさい。えっと、ああ、あんたか。わしが何か気に障る事を云ったかの?」
 易者は惚ける風でもなく云った。
「おめえ、おらに、長月になったら大事が起こるから気を付けなさいって云ったでねえか」
「おいおい。わしはそんな事、云やせん」
「まだそったなこと!」
「少し落ち着きなさい。わしはな、あの日、あんたがえらく疲れた様子で歩いてたんで、こう云ったんじゃよ。長生きしたかったら身体を大事にしてお稼ぎなさい
 
 早速多助は易者とのやりとりをお崎に話した。
「あははははは。なんだね、おまえさん、ただの聞き違いであんなに弱ってたのかね」
「いやあ、よっぽどぼうっとしてたんだなあ。おら、あの易者に謝り倒しただよ。参った参ったあ」
 多助夫婦の笑い声が月明かり差し込む長屋中に響き渡る。
 お崎のお腹に宿ったばかりの新しい命も一緒に笑っていた。🌕
 
 
 
 
 
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夏ピリカグランプリはnoteを少しお休みしていた時期で、残念ながら不参加でして、文化祭当日にインフルエンザでお休みしたような、浦島太郎状態のような心持でいましたが、この度お誘い頂き、僭越だと思いましたが、二度目のピリカ文庫参加となりました!
 
拙いながらも精一杯楽しんで書きましたので、
読んでくれる人がいたらめちゃんこ嬉しいです!
ありがとごじゃいます!

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