阿部の偉大なる大阪滞在記【序章】

イントロダクション

2008年、
当時高校2年生だった僕はパルコ劇場で「99日後‥‥。」という
舞台を目撃し、興奮した。
「何だか分からないけど、凄ぇ面白かった。いつか、自分も大きな舞台で最高の作品を作ってみたい。ヒット作を作りてぇ!」

そんな思いを胸に秘めて地元仙台を離れ上京。
進学した大学内で「レティクル座」を旗揚げ。
そして、13年の月日が流れた‥‥。

齢もいつの間にか33歳になっていた。
レティクル座の動員数はいつも300人前後で頭打ち。
劇団は鳴かず飛ばずでヒット作に恵まれることなんて無かった!

ちくしょう!
いい加減自分の身の振り方を真剣に考えねばならない。
東京で粘るか、故郷の仙台で就職か……。
いや、今、弱気になってどうする!
もっと将来を見据えなければダメだ!

大阪だ!
コロナが流行る以前、東京の売れてる劇団は関西進出を目指しているイメージが昔からあった。
レティクル座もいずれ関西方面に進出するのだ。
しかし、いきなり行くと大赤字を食らう!
だって、そこまでの知名度がレティクル座には無い!

視察だ!
1週間でも大阪に滞在して、人脈作って、劇場下見して関西進出の土壌作りをしよう!

‥‥こうして僕は「シアター・ホーム・ステイ」に応募しました。
ぶっちゃけ半ば現実逃避で、大阪に行く理由もふわっとしていた。

だけど、結果的に「シアター・ホームステイ」の支援があったお陰で、びっくりするぐらい急にレティクル座の大阪公演を実現することが出来た。
そして何より「劇場」さんがご縁になってくれて、たくさんの人と繋いでくれた。

このレポートは前半を大阪公演が決まり、千秋楽まで無事終えるまでの出来事を中心に。そして後半は旅の先々であったことをエッセイ風に描きたいと思っています。地方で公演を打つことや、知らない土地の歩き方の参考になれば幸いです‥‥。

シアター・ホームステイ応募

「シアターホームステイ」に応募するには、「全国小劇場ネットワーク正会員劇場会員」から推薦をもらう必要があった。
東京にそんな繋がりが自分に無く、初手で詰んだと思われたが、以前、仙台の10-BOXという劇場主催の企画で「クォータースタジオ」の井伏銀太郎さんと知り合う機会があり、ちょうど「正会員劇場」だったので、推薦をお願いすることにした。

恥もへったくれもない文章をお願いしてしまった‥‥。


あ、ありがとうございます!!!

非常に恥ずかしかったけど、何とか応募することが出来、幸運なことにゲストに選んで頂けた。
ホスト先はHPの「いつもアグレッシブな劇場」のキャッチフレーズに共感し、インディペンデントシアターの相内さんにお世話になることになった。

旅の目的

大阪滞在期間中の宿は自分で手配することになった。
旅行サイトで調べたところ、西成という地域に格安の宿があった。
予算を上限まで使い切り30日間滞在することにした。

インディペンデントシアター相内さんのリアクション
マッチング担当のアトリエ銘苅ベース 当山さんのリアクション

だよなぁ(笑)
30日間も滞在して何をするのかまったく考えて無かった。
せっかくなら、現地で稽古してレティクル座の小さな公演を打とうとぼんやり思っていた。人脈作るなら、まずは、名刺代わりに自分の作品を大阪の方に見てもらえたらなと‥‥。

出会いとキャスティング

【9月14日(金)】
ひょんなことからこの日から大塚の萬劇場でスタッフとして働くことになった。この週に小屋入りしている「無名劇団」さんはなんと、大阪から来た劇団で「西成」という場所にアトリエを構えているという!
「西成」ってそんなメジャーな場所なんだ!

劇場支配人の飯村さんに事情を説明し、この日劇場内で行われる無名劇団さんの中打ち上げのお手伝いをさせて頂けることになった。

この時に無名劇団の劇団員の泉さんと初接触。
泉さんは「ん、」(読み仮名うんてん)という餃子屋さんの1人息子で、大阪に行くと伝えると、「いつでもおいでや」と言ってくれた。

や、優しい。
「僕も宿が西成なんですよ。」と伝えると、「あかん」と言われた。
後に別の人から聞いた話だが、西成は「大阪のスラム街」と呼ばれており、極端に治安が悪いらしい。そして、今、「南京虫」が流行っていてヤバいとのこと。後日、急いで宿変えた。
奇跡的に似たような価格設定の宿が大阪の日本橋という場所にあったのでそこに泊まることになった。

大阪公演実現?

無名劇団さんの中打ち上げが始まった。
再び飯村さんに仲介して頂く形で制作の山本さんとお話させて頂く機会を頂いた。

先述の通り無名劇団さんは西成にある鶴見橋商店街の7番街にアトリエを構える劇団さんだ。鶴見橋商店街はいわゆるシャッター街で、アトリエも元服屋さんを改装して作ったそうだ。少しでも商店街に活気を取り戻すためアトリエでは『商店街で演劇』シリーズを毎年鶴見橋演劇祭で上演している。

『鶴見橋演劇祭vol.2』公式サイトより引用

今年の開催は11月2日(土)~4日(月)とのこと。
ちょうど滞在期間に重なっている‥‥。これは、もしかして、やらせてくださいとお願いするべきなのか……?

と、話を聞きながら、少し黙っていたら、山本さんが口を開いた。

「……やるぅ?」
「……はい、よろしくお願いします。」

こうして、レティクル座の鶴見橋演劇祭の参加が決まった。
演目もキャスティングも何も考えてなかったけど、せっかくのチャンスだ。
やるしかない。僕は大きな博打に出た。が、当日レティクル座の劇団員鈴木拓也に連絡を取ったところ、スケジュールが合わず僕単身で向かうことになった。

9月16日(月)

もう、必死であった。
演目も定まらないまま、見切り発車でキャスティングがスタート。
以下、キャスティング等の経緯。

9月25日(水)
無名劇団さんとZoomでミーティング
まだ何も決まっていない中、無名劇団サポートメンバーのかさね咲に出演オファー。萬劇場で観た公演の演技が印象的だった。

9月28日(土)
東尾咲の出演が決定。
東尾とは2020年までレティクル座の公演に何回か出演してもらっていた。
現在は大阪住みであることから、出演オファー。
阿部作品唯一の1人芝居「ピンチ沼カズ子の受難」に挑戦して頂く事に!

9月30日(月)
南大空の出演が決定。
実家が西成!出てもらうしかない!

10月1日(火)
大森美里の出演が決定。
ちょうど大阪で友達と一緒にUSJに行く予定があったので、出演オファー。
最初はお手伝いの話が、出演してもらうことに。

10月8日(火)
無名劇団サポートメンバーのかさね咲の出演が決定。
今回初参加だが、二つ返事でOK頂いた!
ありがとう!

3人には劇団の名刺代わりの作品「INAVA99」に出演頂く事に!

こうして‥‥。

時間が無い中、キャスティングと演目が決定。
次回、阿部は単身で大阪へ乗り込む。
俺達のシアターホームステイはこれからだ!

Next Continue‥‥。



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