阿部の偉大なる大阪滞在記【第2章】

11月4日(月)
大森と大空が東京に戻るまで少し時間が出来たので、大阪観光に付き合うことに。

まずはメジャースポットへということで、通天閣へ。
しかし、昨今のインバウンドのせいか外国人観光客で長蛇の列が出来ていたので、登るのは断念。

しかし、途中までは行けて、しかも巨大な滑り台があるということで、滑って来た。

1滑り1000円だった。
滑ってる体感時間が30秒前後だと思うと、割に合わない気もするが、滑ってる動画のオプションが無料だったので、まぁ、よかろう。

夕方からは、再びユニバで。

楽しくなると、金銭感覚がガバる‥‥。
今年のユニバのホラーナイトは、歌手のAdoが率いる「ブルーローズ隊」がゾンビから市民の安全を守っていた。

ゾンビは一般客に混じって園内を徘徊する。照明が薄暗いので、一般客とゾンビの見分けがつかず、マジ恐い。
ゾンビに近づくと奇声をあげて襲ってくる。
「ブルーローズ隊」は徘徊するゾンビの後をじっとつけているだけだ。

一定時間経つと園内にAdoの「唱」が流れ始め、リズムに合わせてゾンビ達が踊り始める。「Ado隊長の音楽が効いている!」とブルーローズ隊の声。
一通り踊り終わると再びゾンビが園内を徘徊。
「ゾンビが沈静化した。しかし、いつまた皆様を襲い始めるか分かりません。警戒を怠らないように。」とアナウンス。
設定に忠実と言うか、何というか、一周まわってシュールだった。

11月5日(火)

通天閣近くの「串かつだるま」で大森と大空と一緒に串カツを食べた。
チェーン店とは思えないぐらい。衣がサクサク。中はジューシーで美味しかった。

高速バスの時間の関係でここで大空とはお別れ。
引き続き大森と大阪観光が続く。

続けて大森は本場巡りで宝塚へ。
僕はリモートで打合せがあってそのまま大阪に残った。

そんなことでシアターホームステイ中に三重に滞在することになった!

その夜、夜行バスの時間まで大森と飯食ってお別れ。
大阪にも仲間が出来たし、思ったよりウェットな気持ちにはならなかった。

11月6日(水)~8日(金)

稽古期間中まったく手を付けれなかった助成金の申請などの作業をひらすら。余った時間で、大阪の劇場の下見に行ったり。

11月9日(土)

時間が空いた時はひたすら観光。
この日は世界遺産を観に高野山へ。

電車がどんどん山を登っていく。
終着駅に到着。さらにそこからゴンドラに乗って山の頂上へ。

この日はびっくりするぐらい晴天だった。


寺のテーマパークかというぐらい寺がたくさんあった。

ここから高野山の更に奥地、「奥之院」へ。

神様がいると言ったら、たぶん信じる。

この日の夜に時間が出来たので「あべのハルカス」へ。
もう行動範囲めちゃくちゃ(笑)

11月10日(日)
この日、急激に顔の右半分顔が腫れ始める。
右足が腫れて痛くなった時の教訓で急いで内科へ。
血液を採られた後、耳下腺炎かもとのことで数日経っても治らなかったら、耳鼻科に行けと言われた。
とりあえず、この日は抗生物質のお薬をもらった。

11月11日(月)

薬が効いて来たせいか少し顔の腫れが引いて来た。
弾丸神戸へ。

11月12日(火)
この日は京都の嵐山へ。


この日は観光で終わらす予定だったが、友達の西田くんの予定が空いてるとのことなので、久しぶりに飯へ。

今から4年前、コロナが流行り始めた頃、東京で演劇を続けることを一旦諦めた僕は、劇団の活動を全てストップして代わりの自分の居場所を求めていた。そんな時、平田オリザさん率いる「青年団」が兵庫県豊岡市に移転し始めていた時期で移転後初めて私塾である「無隣館」を開講した。

西田くんとはその時の合宿所でずっと同じ部屋の住人だった。
西田くんは2、3日前に豊岡で行われた「演劇人コンクール」において「最優秀演出家賞」を受賞した。コンクールの歴史の中でこの賞が出るのは十数年ぶりで彼は一躍時の人となっていた。

祝いの意味で焼肉を食った。
彼は京都のアートコミュニティスペース「KAIKA」の芸術監督である。(これも最近就任した。)

コンクールの作品もここで稽古した。
西田君自ら照明を仕込み、通し稽古の音響オペも自身で担当。
これを動画で撮影し、コンクールの担当スタッフに送ったとのこと。

ほへー、演出家ってそこまで出来ないとダメなのか‥‥っと。
目が点になった。でも、そういう風に出きる為にはそれなりの環境も必要であって、自力で用意するには相当大変なことだと思う。
そう、思うと改めて西成にアトリエ構えている無名劇団さんは凄いし、地域によって大阪芸術創造館のような、THE演劇人の為の施設があるのと無いのでは、差がデカいと思った。

いつか、自分もそんな環境を手に入れたいなぁ。

11月13日(水)

MPAD視察の為、三重の津へ。
滞在してる大阪の宿の最寄り駅が「なんば」である。
大阪のから出るには、アクセスが良くて結果的にここを選んで良かった。

津へ出る途中で伊勢神宮へお宮参り。

芸能の神様を祭る「猿田彦神社」

この日の夜に喫茶tayu-tauへ。
今夜がMPADの初日である。

会場に着くと、関係者の方が温かく出迎えてくれた。

MPADとは、要するにお食事付きの朗読公演である。
会場では地元の本屋さんも出張しており、演目の原作となった文庫本が買える。

こんな感じ

ディナー提供後に椅子と机を移動させ、舞台と客席を作る。
この作業は会場スタッフ総出で副館長のさんも手伝っているのが印象だった。

この日は工藤千夏さん演出の太宰治「メリイクリスマス」を観劇。
30分の朗読の後に工藤さんとによるアフタートークもついていた。
このトークが作品を深掘りしてくれてとても分かりやすかった。

何だか美味しい物を食べたあと、文学に触れると、なんだか得した気分になるのが印象的だった。

MPADは基本的にその日に仕込んで、その日にバラシを行う。
これもスタッフ総出で地元で総力を挙げてる感がある。
書店の方もバラシに参加。当然、僕も手伝いに入る。

この日は三重の小劇場「津・あけぼの座」で一泊。

https://x.com/moromarumie/status/1856735692770119862

ようやくシアターホームステイっぽい感じのことをした。
劇場なので、電気を消すと完全暗転。
びっくりするぐらいぐっすり眠れた。

11月14日(木)

「radi cafe apartment」にて坂口修一さん演出/出演の乙一「ホワイト・ステップ」を観劇する為に四日市市へ。

「radi cafe apartment」は四日市駅近くの商店街の中にある。
いくつか閉まっているお店もあって、何となく西成の鶴見橋商店街と似たような雰囲気を感じた。

今、増えてるのかなぁ。
シャッター街。だとしたら、もっと演劇にチャンスがあるかもしれない。

この日は仕込みからお手伝い。
昨日とは違い、2階にライブステージがあったので、楽々でした。

坂口修一さんの「ホワイト・ステップ」は地面に積もった雪に書く「指文字」でしか会話出来ない透明人間と主人公が邂逅するお話(ざっくりまとめると)指文字をプロジェクターの映像で表現しているのがとてもユニークな演出だった。

指文字を書いてる文章を客席から読み上げるおばあちゃんがいた。
途中、空気を読んで読み上げるのを辞めてしまっていたけど、坂口さんが「読み上げてくれ」ってアドリブで言っていたのが、面白かった。

観劇後、「四日市文化会館」へ。
アートディレクターの油田さんが館内を案内してくれた。

昭和57年オープンの文化会館。1800人収容の第1ホール、600人収容の第2ホールがある。今の人口を考えるとかなりキャパが広いので、使い方に苦戦しており、現在活用の仕方を模索中とのこと。

この日も津・あけぼの座で一泊

劇場でスペースやった。

11月15日(金)

三重滞在最終日。
中津軒にて百景社さんの「スペードの女王」を観劇。

三重名物「メアベア」がこのお店の名物。

この日は上演前に副館長の松浦さんの案内で「三重県文化会館」へ。

文化会館では、県外からの劇団を招致して上演されている他に、館内ではミュージアムショップ、レストランがあり、官民一体となって文的な空間を作っている感じがあった。

3本目観劇反対側が腫れ始める。

文化会館すぐそばに図書館、博物館、美術館があり、県内の文化施設が集約されている場所だった。来るだけで1日過ごせそう。

こうして、視察を終えた僕は、三重から大阪へ戻った。
この時、また顔が腫れ始めていた。
先週は顔の右半分が腫れたが、今度は左半分が‥‥。

続く‥‥。

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