あぶどぅるの世界史講義~中世ヨーロッパ編③~
商業と都市の発展
・封建制の中で生産力が向上→農民たちは領主に納めても作物が余るようになってきた。→余剰生産物を交換する定期市が開かれるように。
・手工業者や商人が活発に活動するようになり、彼らが定住する場所=中世都市が作られていった。
・商業網は拡大し、イスラム世界やノルマンのネットワークとも接続、遠隔地貿易が盛んに行われた→「商業ルネサンス」
中世の人々にとって森は神聖な場所・畏怖の対象であったが、教会勢力は「神の思し召し」として開墾運動を主導したことで農業発展につながった。
他にも重量有輪犂の使用や三圃制農業の進展によって生産力が拡大した。(中世ヨーロッパ①を参照)
主な舞台
・地中海商業圏…ヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサ
・北海・バルト海商業圏…リューベック・ブリュージュ・ガン
地中海方面では北イタリアの都市が東方貿易で繁栄。香辛料や染料・絹織物を取引した。バルト海・北海方面ではフランドル地方のブリュージュが毛織物で有名。
また、内陸部でも上記2つの商業圏を結ぶ交易が盛んに行われた。(北ドイツのリューベック・ハンブルク・ブレーメン、フランスのシャンパーニュ地方など。)
大商人の出現
・アウクスブルクのフッガー家、フィレンツェのメディチ家。
フッガー家は鉱山の開発で富を蓄え、メディチ家は都市を牛耳るだけでなく教皇も輩出した。
都市の自治
・北イタリアは貴族や大商人が主導して、周辺地域を領有。独立の都市共和国(コムーネ)が作られていった。
・北イタリア以外の地域の都市は諸侯や王など領主の支配下に置かれていたが、領主から特許状を得、自治権を獲得して自治都市となっていった。→「都市の空気は自由にする」
・中世の都市は都市同盟を結んで繁栄を誇った。有名なのはミラノを中心としたロンバルディア同盟とリューベックを盟主とするハンザ同盟。
・都市ではギルドと呼ばれる同業者組合を中心に自治が行われた。はじめは商人ギルドが中心→同職ギルド(ツンフト)が抵抗しながら優位に立っていく。(ツンフト闘争)
ギルドは共同の利益を守り技術や品質を維持するためのもの。ギルドに加入していないと販売や製造が禁止されていた。→自由競争は排除されたので後には経済発展を阻害する要因に。
都市の市民として認められたのは商人や親方のみ。職人や徒弟は正規の市民ではなかった。また、刑吏・墓堀人・遍歴芸人など被差別民も存在した。
ペスト・封建制の崩壊
・14cには黒死病(ペスト)が大流行し人口が激減。5年間でヨーロッパの人口3分の1が無くなったと言われる。
中世都市は上下水道の設備もなく、出たゴミは道路へ捨て、放し飼いにされた犬や豚に処分を任せていた。また、室内便器に用を足した後にはそのまま窓から道に投げ捨てていた。このような不衛生な環境もペスト大流行の一因である。
ペスト流行の様子を描いたものとしてボッカチオの『デカメロン』が有名。
・領主からしてみれば荘園制を続けていくのが困難になってきてしまった。→①農民の待遇を改善するか、②負担を増加させるかのどちらかしかない。
①農民待遇の改善→貨幣と引き換えに農奴身分から解放=農奴解放を行う。
②負担を増加させる→封建反動の結果、農民たちは反発。各地で一揆がおきる。→フランスではジャクリーの乱、イングランドではワット=タイラーの乱が発生。
・領主の力は衰えていったが、エルベ川以東のドイツや東ヨーロッパでは対照的に領主の権力が強化・農民を土地に縛り付ける再版農奴制が進んだ。→「近代世界システム」における「中心」と「周辺」の区分ができ始める。
「近代世界システム」(=「資本主義的世界体制」)とはウォーラーステインが提唱した歴史学の概念。詳しくは大航海時代の折に触れます。
王権の伸長
背景
・相次ぐ十字軍の失敗で戦費がかさみ諸侯・騎士が没落、領地を吸収した国王が強力になっていった。(前回参照)
・火器の使用や傭兵隊の増加に伴い、騎士が戦術的価値を失い没落した。
・商業都市の発展と共に従来の分散的な権力→中央集権的な政治権力を必要とした。
教皇権の没落
・国王・皇帝が強くなるのとは対照的に教皇権は衰退していった。
1303年…アナーニ事件
・フランス国王フィリップ4世が聖職者への課税を反対する教皇ボニファティウス8世と対立→アナーニで捕えてしまう。
・フィリップ4世は教皇庁をアヴィニョンに移し、半世紀ほどフランスの支配下に置く。これを「教皇のバビロン捕囚」と言う。
→教皇<国王・皇帝という構造が明白となった。
これまでは国王や皇帝より教皇の方が強かった。(「カノッサの屈辱」など、前回参照。)しかし、アナーニ事件においてその力関係は逆転した。
・のちに教皇庁はローマにもどるが対抗してアヴィニョンにも教皇が立つという教会大分裂(シスマ)が起き、混乱を極めることに。
教会改革運動
・教皇権が衰えると教会の腐敗を批判する声も高まった。→イングランドのウィリアム=オッカムやウィクリフ、ベーメンのフス。
・ウィクリフやフスは「福音主義」を唱えて教会を批判→コンスタンツ公会議ではウィクリフの説は異端とされフスは処刑された。
・これに対しベーメン王国ではフス派がフス戦争と呼ばれる反乱を起こし、1436年にはバーゼル協約を認めさせた。これによってベーメンではカトリックとフス派の両方が存在することになる。
「福音主義」とは聖書のみをよりどころとするという主張。神の教えを知っているのは教皇でも教会でもなく、聖書のみ。だから聖書の言葉を守り実行することが救いに一番大事という考え方。これがのちにルターの宗教改革に継承されていく。
百年戦争
背景
・フランスのカペー朝が絶えてヴァロワ朝が王位を継承→カペー朝出身の母を持つイングランド王エドワード3世が王位継承権を主張した。
・十字軍時代にフランスは領域を拡張したが、ボルドーを中心とするギュイエンヌ地方は依然としてイングランドのものだった。
・また、ライン川に広がるフランドル地方(ブリュージュが中心)を英仏両国が狙っていた。
もとをたどれば、ノルマン・コンクェストからイングランドの王朝はフランスにも土地を持つという状況が続いていた。プランタジネット朝になった後もそれは変わらず。
また、ワインとブドウで知られるギュイエンヌ地方・毛織物で有名なフランドル地方が発展したことが英仏の対立を加速させた。
経過
・終盤までイングランド優位で戦いが進む。エドワード黒太子が率いた長弓隊が大きく勝利に貢献。フランスではジャクリーの乱やペストの流行での打撃も受けて劣勢。
・しかし、ジャンヌ=ダルクがオルレアンの囲みを突破し戦局は逆転。イングランドの大陸における領地はカレーを残すのみとなった。
ジャンヌ=ダルクはイングランド軍によって火刑に処され「魔女」とされたが、彼女の恩義を感じたフランス国王シャルル7世は百年戦争後に復権裁判を起こした。
ジャンヌは次第に神格化されるようになり、第三共和政下ではナショナリズム高揚の道具としてジャンヌ像が各地に建てられた。1920年にはローマ=カトリック教会が聖女として彼女を認定し評価は決定的になった。