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『走り去るロマン』に賭けた夢 連載12 ~タケカワユキヒデ、ゴダイゴ結成までの軌跡~

第4章 レビュー・ジャパン編 1973年 ②

<タケカワ、レビュー・ジャパンと専属作家契約>

話は1973年春に戻る。同年3月、前年の秋からレコードメーカー各社のディレクターとの橋渡しをしてくれた、ヤマハ音楽振興会の雑誌『ライトミュージック』編集者の大久保光枝からタケカワに電話が来る。

「ねえ。今度の人は、レコード会社の人じゃなくて、音楽出版社(曲のマネージメントをする会社)の人なんだけど、そこ、原盤(レコード製作にお金を出すという意味)もやってるって言うから、いいと思うわ。会ってみる?」
「もう最後よ。あたし、イヤだからねェ。もうないわよ、レコード会社なんか」

『タッタ君 ふたたび』下 P.261 タケカワユキヒデ著/2013 T-time

前年に都内の主要7社のレコード会社と交渉決裂に終わっている上に、大久保も結婚のために近々ヤマハを退職する予定だという。今回の会社でダメだったらもう紹介できないと言われて、もしそうなった場合は音楽の道を諦めよう、とタケカワ自身も覚悟していた。

5月になり、タケカワは年始に石川鷹彦のスタジオで録音した「CAN’T GET YOU」(連載10参照)他4曲入りのデモテープを携え、ひとりでレビュー・ジャパンを訪問した。だが、面談の担当者と聞いていたジョニー野村は不在で、同社の支社長、荒家正伸が応対した。ヒゲ面の人物だと大久保から事前に聞いていたのが別人だったことに面食らいながらも、持参したデモテープを荒家に聴かせた。

荒家は曲の序盤を聴いただけでボリュームを下げると「いいね、こういう曲を書ける日本人が現れるようになったんだから」とタケカワの曲を絶賛した。続いて、事務所内にいた外国人ソングライター(当時、日本に在住してレビュー・ジャパンの専属作家だったブルース・バウアーと思われる)もやって来て、今度はヘッドホンでじっくりと曲を聴くと「とってもイイネ!」と好反応を見せた。タケカワは内心、自分が書いた我流の英語詞がこの外国人に通じているのか、と不安で仕方なかったが、「言葉なんて関係ない。ミック・ジャガーだって何唄ってるか分かんないじゃないか」との反応だった。

荒家は「ジョニーにはまだ曲を聴かせてないけど、さっそくだがキミと契約をしたい」と、契約書を取り出した。タケカワはもう何がなんだか状況が分からず混乱した。ここはレコード会社ではなく、音楽出版社。そもそも音楽出版社が何をする会社なのかも分からない。出版だから本を作る会社? レコード会社じゃないのに自分が契約する? しかも訪問初日にすぐ契約? いろんな疑問が頭の中を走り巡った。

「ウチの会社は他の日本の音楽出版社と違って、作曲家さんと専属契約を結ぶことにしているんだよ。そもそも音楽出版社とは作家さんの権利を保護する役割で…」と荒家の説明が長々と続く。タケカワはそれまで聞いたことのない用語や名前が多すぎて、説明を聞いてもさっぱり理解できなかった。

その日はひとまず、専属契約書へのサインは保留し、契約書を借りて帰宅する。以前に父に契約書を見せてひと悶着があっただけに、家族の誰にも告げずにその日は終わった。だが、翌日さっそく荒家支社長から電話が来る。
「昨日あの後、ジョニーにデモテープを聴かせたら、すごく気に入っちゃってね。『なんで契約もせずに帰したんだ!』と怒られたんだよ。今日、もう一度、すぐ来てくれない?」

その日の大学の講義を欠席して、レビュー・ジャパンを再訪したタケカワを、荒家とジョニーが出迎えた。タケカワと初対面でジョニーは開口一番、「おっさんとは上手くいくよ」と切り出した。

“僕は、自分を指さして聞いてみた。
「おっさんって、僕の事ですか?」

「そうだよ。おっさんとはうまくやっていけると思うよ。不思議と、そういうのは、見ただけでわかるんだよ。オレは」
と、そんな事を言っている”
(引用-⑤)

同出典 P.277

タケカワは、年齢不詳の見かけの人物から “おっさん” とは何事か、と面食らいながらも、前日にもらった契約書について質問を投げかけた。一番気になっていたのは、書面に書かれた "advance" の文字。同社では給与システムとして前払いを実施していた。極端な話、レコードが1枚も売れなくとも、契約期間中は前渡金が支払われるというもの。実際に、タケカワがレビュー・ジャパンと契約後には3万円が毎月振り込まれていたという。73年当時の大卒初任給は約6万円(現在の貨幣価値に換算すると約16万円)だったため、タケカワが受け取っていたのはその半額に相当する。

「何もしなくてもお金をもらえるというのはおかしくないですか?」と訊くタケカワに、また荒家が契約条件に付いて細かく説明する、そのやりとりが長く続いた途中でジョニーが話を遮った。

“「もういいよ。ゴチャゴチャ言わないで一緒にやろうよ」
彼は人なつっこそうな笑顔をしながら僕にそう言った。

「…そうしましょうか」
これで話は決まった。”

同出典 P.279

タケカワは専属作家として同社と契約することになったが、本来の目的はシンガーとしてレコードデビューすること。レビュー・ジャパンは専属作家の作品の原盤制作まで行っており、ゆくゆくはレコード化を視野に入れての契約だった。そしてタケカワにとって一番の懸案だった、「英語詞で歌った楽曲をレコードにする」ことに関しても「楽曲が良ければ、英語だろうがフランス語だろうが構わないさ」と、荒家とジョニーは確約してくれた。これまでずっと各レコード会社で断られ続けたことが、すべて解決する可能性が出てきた。

ここでジョニーがタケカワに訊いた。

“「このデモテープの歌詞ある? 英語の感じは、とってもいいのだけれど、よく聞きとれないところがあるんだ」
僕はカバンから自分で書いた詞を取り出すと彼に渡した。彼は見たとたんに、笑い始めてしまった。

「ダメだ、こりゃ! 僕の奥さんが詞を書く人だから、今度、会って相談するといいヨ」”

同出典 P.281

<ジョニー野村のタケカワ評>

ジョニーがタケカワを評価したポイント。それは作曲能力と、英語で歌ったときのフィーリングだった。そして英語の楽曲を作って歌えるという事は、日本の作家・アーティストを国内外問わず売り出したいレビュー・ジャパンの戦略に最適任の人物ということになる。

“聴いたら、コレおもしろい。これは、やっぱり旋律の組み立て方、ちゃんと知っているんだよね。それとようするに、ほら、「根拠」があるんだよね。(中略)タケの時は、「ああ、こいつはちょっと違うな」って思ったの。書けるんだよ。ちゃんとものが。(中略)「アッ」と思ったよ。「これは豊かなヤツだな」って思った。ね、見た感じ粗っぽいけど、音楽的に聴いてさ、「こいつ根拠あるな」って思ったわけ。ようするに、デタラメ書いてない。「あれは偶然のヤツじゃない。ちゃんと書けるヤツなんだ」とね。ようするに、そういう人は、いくらでも伸びるってことなの。根本がちゃんとできてるから” (ジョニー野村談)

『ゴダイゴ 永遠のオデュッセイア』PP.15-16 ゴダイゴ、ジョニー野村、奈良橋陽子著/1980 徳間書店

“さっそく会って話をしたところ、全部のレコード会社回って、最後だったらしいのね。その理由が、彼は英語でしか歌いたくなかったからなんだけど…。変な話だと思わない? だって教育制度ももう浸透してる現在だし、まして世界を相手にしようっていうなら、英語で勝負するのちっともおかしくないじゃない。”

『ロッキンf』1977年12月号 P.90 連載「Rocker Room」⑦ジョニー野村/立東社

その半面、作詞面は「ぜんぜんデタラメ、メチャクチャ」との評価。タケカワが韻を踏むことばかりこだわって書いた英語詞は文法とレトリック面で「ダメだ、こりゃ!」と断じている。また、コンサートのライブ録音を聴いた上で、演奏面でもプロの目から厳しい評価を下している。

“その前の曲で『ハピネス』なんて、いいのもあったんだけどさ。ひどい録音で、もう聴けたもんじゃない。タケが、浦和で、バンドを組んでコンサートやってたわけ。それが、すごく下手でさ。その録音持ってきた。プレゼンテーション用には、四曲だけ別にわざわざ録音(筆者註:石川鷹彦のスタジオで録音したデモ音源)してきたんだけど、それ以外は聴けたもんじゃない。実況録音でさ、「これでいいのか」って思うようなものばっかり。”(ジョニー野村談)

『ゴダイゴ 永遠のオデュッセイア』P.22 ゴダイゴ、ジョニー野村、奈良橋陽子著/1980 徳間書店

ソングライティングの能力をさらに伸ばし、作詞・演奏面はフォローする― それが、今後のタケカワをプロデュースする指針となる。

逆にタケカワから、ジョニーに対する印象はどんなものだったか。

“いちばん、うれしかったのは、「オレ、英語でやりたいんだ」といったら、「ああ、いいよ。英語でもフランス語でもいいよ」といってくれたんだ。ああ、これは全部が全部安全なんじゃないか。
ぼくだって、なにもむりやり英語にこだわりたかったわけじゃない。自然に英語の歌をつくってただけ。やりたての頃は、英語知らないから、むりやりやってるところもあるんだけど、本質的には ごくごく自然につくってあったんだ。そういうぼくの歌を、そのまま向うのほうから、「やろうよ」ときたもんだから、もうワーッという感じでね。
レベル的に高いんだな、ジョニーは。最初から人間として信用しちゃったんだよ。もう何もいわない。ぼくのもの本格的にまかせても、受けいれてくれる人としてね。
その後、すぐ思ったのは、こっちが自信がないところはズバッと指摘してくるわけね。何もいわないのにすぐわかっちゃう。自信のあるところは、「もうここは平気だ」といって、100%に近いかたちでそうやってくれる。
これはもう敗けたね。これだったら、人間的にも音楽的にも、完全に信頼できるんだよ。
(中略)ぼくにとって、ジョニーはなんか火つけ役みたいなもんだと思うな。なにか、どっちにしろ、プロデューサーでありディレクターでありながら、ディレクション出して、うまくいくようにおぜんだてまでやってしまう。たいへんだなあと、いつも思ってるのよ。”
(引用-⑪、タケカワユキヒデ談)

同出典 PP.19-20

制作方針(英語詞で制作の可否)や契約面についてナーバスだった、タケカワが懸念していた部分を即断即決。そしてタケカワ作の英語詞の解決案を示す。性格的に人見知りな部分もあるタケカワを初対面でここまで思わせた、ジョニーの人間力は特筆しておきたい。

また、レビュー・ジャパン(MCA)という会社に対しては、タケカワは後年こう語っている。

「そこはアメリカの音楽出版社だったので、当時日本で使われている、アメリカの曲の音楽の権利をいっぱい持ってたの。って事は何かで(アメリカの曲が)使われる度にその会社にお金が入るわけじゃん。で、ものすごいお金持ちの会社だったのよ。ある意味お金が余っていたと言ってもいいんだろうね、今考えてみると。なので、僕みたいな変な(笑)アーティストのアルバムを作ってみようという気になったって言う事だと思う。
そこの人達も外国に持っていける様なモノをつくりたいと半分くらいは思ってた訳だし、もちろん日本で売れるモノも作りたかったんだろうけど。そこの特色としては、アメリカの会社だからアメリカっていうのがあるわけじゃない? 何かそういうので上手く利害関係が一致したんだろうけどさ。」

タケカワユキヒデ・ファンクラブ会報『T-time』vol.39 P.P.4-5/2005 アメニティ

自社で原盤制作をする上に、専属作家への給与のアドバンス払いもあったからか、「お金持ちの会社」との認識が伺える。だが、そこは結果がシビアに問われる外資系の企業。日本に進出してまで “金持ちの道楽” をするはずは決してないだろう。異国の赴任地で現地の作家と専属契約をする新規事業であり、作家として選ばれたタケカワに対する、レビュー・ジャパン=MCA側からの大きな期待と捉えるべきだろう。


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