ラブ・レター
涙は決して弱さじゃないけど、わたしは自分で思っている以上に弱いってことを教えてくれる。
わたしが彼(彼女かもしれないけど、彼って呼ぶ)を知ったのは1ヶ月前ほどのこと。映画を観終わって、素敵な方だと思って調べたら、わたしが生まれて1年後くらいに自死していることを知って、なんとも言えない気持ちになった。去年の年明けに一緒に住んでいたおじいちゃんが目の前で亡くなって以来、死をとても身近に感じるようになった。映画で人が亡くなることは耐えられるけど、それでもいろいろ考えてしまう。話を戻すと、彼が亡くなっていることを知って、できるだけ避けていたのだけど、3日ほど前ぽろっと彼の名前が口から出てしまって、なんでか涙が出てしまった。それ以来彼のことが頭から離れなくて、ずっと頭が痛い。実は今も書きながら泣いてる。このnote載せれるかなあ。約20年後に自分のことで泣いている人がいるなんて、彼は考えたことあるのかな。彼の抱えていたものを、二十数年後、同じ年になったら、わたしも少しはわかるようになるのかな。彼の出ている別の映画を観て、とりあえず気持ちを切り替えようと思ったけど、全然うまくいかなくて、映画を観ながら「この6年後には...」って思うと、どうしようもなくて、結局映画を観ながら必死に涙をこらえた。マネージャーさんのインタビューとか雑誌のインタビュー記事とか漁って読んだけれど、どれを読んでも彼はもういないってことを強く思うだけで。「彼は生きたかった」だとか「三角関係に苦しんでた」だとか、本当のことはどうでもよくて、きっとわたし自身が彼の死を認められないだけだと思う。「夭折」ってことばを、わたしは「あまりにもまぶしく輝きすぎたから、かみさまが手元においておきたくて、ふっと連れていってしまった」ことだと思ってる。それほど彼は美しかった。彼に限らず、わたしの好きな、若くして亡くなった人のことを考えると、そう思わざるを得ない。「そんなこと考えても仕方ないよ」って言われて、それはそうなんですが、わたしは彼の死を受け止めきれないというか、なんというか。死への恐怖って全ての人が持っているものだと思うから、それを乗り越えた先の自死にやるせなくなる。きっとわたしは、彼の作品を観るたびに、彼の曲を聴くたびに、彼のことを考えて泣いてしまうのだと思う。でも、作品で彼が生きていることは事実で、わたしにできることは彼の作品を観ることしかない。わたしの好きな人たちは、みんなどこか影のある人で、少し心配になる。わたしは自分がこんなことで揺らぐ人だと思ってなかったから、びっくりしてる。
「悲しんでほしいけど、悲しんでほしくない。いつか思い出してもらえたら、それは悲しさではなくて楽しさであってほしい。いつかきっと思い出して。」って誰かが言ってた。でもわたしが彼のことを想って少し泣くことを許してほしい。わたしは天国なんて信じてないけど、もしあるとするなら、もしそこに行けるとするなら、もし彼がそこにいるなら、彼に会うことが叶いますように。わたしの気持ちを伝えられますように。
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