秩序に縛られた世界線

ありさと愛子は、2人並んで歩き、共に下校していた。
2人の歩く、この大河川の土手の一本道には、他に人は誰もいなかった。
傾きかけた日の光が、愛子とありさの影を長く伸ばしていた。

高架橋の近くに来ると、ありさは唐突に言った。
「では、私の家はこちらなんで」

「え!?」
思わず愛子は声を漏らした。

ここは一本道である。
分かれるような岐路はどこにもない。

愛子はふと考えた。
ありさは、何やら大層な組織とやらの人間である。
愛子には分からない高度な技術を使って、瞬間移動できるようなポイントが、ここらへんにあるのかもしれない。
もし、そうだとしたら、心躍る展開である。

そう思っていると、
「ではまた明日」と言って、ありさは土手を駆け下りて行ってしまった。

愛子は一瞬悩んだ。
しかし、好奇心が勝ってしまった。

愛子は、ありさの後を静かに追って、土手を降りることにした。 
しかし、高架橋の下に来るとすぐにありさに気づかれてしまった。

「何か用ですか?」
ありさは振り返って、そう言いながら愛子を見つめた。

その顔は無表情であった。
怒っているのさえも分からない。

愛子は急に自身の行いに恥ずかしさを覚え、頭をさげた。
「ご、ごめんなさい!!
悪気はないの。 
ここらへん、分かれ道もないし、ありさちゃんの家どこだろうなって思って。
し、瞬間移動でもするんじゃないかなって。
興味本位で。」

気が動転して早口になる愛子に、ありさは静かに言った。

「瞬間移動?
何のことですか?」

「え?」
愛子は、そう声を漏らして、ありさの顔を見た。

ありさは疑問で一杯の表情をしている。

「瞬間移動、、、しないの?」
そう言ってから、愛子の顔は真っ赤になった。
先ほどとは種類の違う恥ずかしさに襲われる。

「そんなこと、出来るわけありません。
この世界線で空間を歪める技術などがあるなら、私達も知りたいところです。」
ありさは、淡々とそう言った。

その言葉は、愛子の羞恥心に一瞬拍車をかけたが、冷静さを取り戻してもくれた。

「そ、そうだよね。変なこと言ってごめん。」
そう言って俯く愛子に、ありさは静かに言った。

「瞬間移動とやらに興味があるなら申し訳ありませんが、見せられません。
しかし、私の家に興味あるなら、見ていただいても構いませんよ。」

予想外の言葉である。
ありさの家とは、一体どんな所なのか。
愛子は、興味があるかと聞かれれば否定できなかった。
確か、転校してきた日の自己紹介では、ありさは施設にいたと聞いたけれど、組織の人間である以上、何かしら普通ではない所に住んでいるのかもしれない。

そんな風に思っていると、ありさが言った。

「私の家、そこですが。」

そこらに家があるとは思えない。
そう思いながら、愛子はありさの視線の先を追った。

「い、家?」
思わず心の声が出てしまった。

ありさの家は、ダンボールハウスであった。
確かに、先ほどから視界には入っていたが、まさかありさの物だとは思っていなかった。

ありさは、、、ホームレスなのだろうか。

「施設暮らしなんじゃ、ないの?」
愛子は唖然として言った。

「自ら出ていきました。
しかし、仕方ないことなのです。
私は組織の人間ですから、必要な時は、行動を起こさなければなりません。
それが例え、普通の人間から見たら、非常識な行動だとしてもです。」
ありさが言った。

つまり彼女は、組織の人間として仕事を行った結果、同じ入居者に迷惑をかけることになってしまったため、出ていくことを決断したというのだ。

いくら組織の人間とはいえ、自分と同じ、いや自分より年下の少女には、辛すぎる選択であると愛子は思った。

「あのさ、家に来ない?」
気づくと愛子はそう言っていた。

「しかし、迷惑になります。」
ありさは小さく言った。

「迷惑ってどんな…?」
そう聞いてから、愛子は遠慮がちに言った。
「家を破壊したり、、、
家族を怪我させたり、、、
そういうのは困るけど、、、いくら組織の仕事とはいえ、そんなことはしないだろうし……。」

「あなたの家族の生死や、家財の損壊は、Z空間派生には一切関係ないので、そういった心配はありません。」
ありさはきっぱりと言い放った。

「じゃあ迷惑なんてこと…ないよ。」
愛子はそう言って胸を撫で下ろした。

「しかし、夜遅く抜け出したり、奇妙な言葉を発したりはします。」 

「それに関しては大丈夫だよ。
私がちゃんと理解してるから。
組織の大事な仕事なんだよね」

「それに、ひと一人いると家が狭くなりますし、食費や光熱費もかかります。」

「家はほら、お父さんが医学博士で結構稼ぐから、家もある程度広いし、食費だって大丈夫だよ。
今日、聞いてみるけど、多分大丈夫って言ってくれるよ。」
愛子はそう言ったが、ありさは悩んでいる様子だった。

確かに、遠慮してしまう気持ちは分かると、愛子は思った。
どう説得すべきか。。。

そう考えて閃いた。
愛子は意気揚々として言った。

「それにほら…!
家が安全だとは限らないし、ありさちゃんがいてくれれば、私も心強いな…なんて。」

愛子の言葉を聞くやいなや、ありさの目つきが変わった。
伏し目がちになり、考えているような素振りを見せている。

「それも確かに、、、そうですね。」
そう呟くと、決心したように視線をあげて、愛子を見つめた。

ありさは、遂に折れてくれたようだ。

愛子の方に向き直って、ピシッと背筋を但し、頭を90度に下げた。

「愛子さん、暫くの間、御宅に暫くお邪魔させていただきます。」

その洗練された佇まいに、愛子は圧倒されてしまった。ありさは、普通の少女ではない、訓練された組織の者であるということを実感する。

「勿論だよ…!そ、そんな畏まらないで!!」
愛子は慌てて言った。

ありさが、「はい」と言って頭を上げる。

普通の少女の表情に戻った彼女を見て、愛子は明るく言った。

「じゃあ、一緒に家に帰ろうか。」

「すみません。少々お待ちいただいてよろしいでしょうか。このダンボールハウス、そのままだと迷惑になるので、今から撤去してもよろしいでしょうか?」
ありさが言った。

「あ、そうだったよね。いいよ」
愛子はそう言ってから、またもや期待してしまった。
ありさの、組織とやらの力に。
つまり、ダンボールハウスが一瞬で消失してしまうような、映画やアニメのようなシチュエーションを勝手に想像してしまったのだ。

しかし、それは淡い期待に終わった。
ありさは、ダンボールを解体し始めた。
何か不思議な力を使っているわけでもなく、全く普通の人間らしく、手作業で行っている。
手際よく黙々と作業を続けるありさを見て、愛子は自身の妄想に辟易とした。

SFやファンタジーといった類には興味がある。
が、流石に妄想が過ぎる。
そう自分の中で反省すると、愛子は気分を切り替え、ありさに声をかけた。 

「あ、あの…手伝おうか?」

「ありがとうございます。そうしてくださると助かります。」 
ありさがそう返したとき、愛子はふと家の用事のことを思い出した。

「あ、ごめん。ちょっと遅くなるって電話しなきゃ。」
愛子はそう言ってスマホを取り出した。

しかし、充電が切れていた。

「うーん。。。大丈夫かな。大丈夫か。」
愛子はそう一人呟くと、ありさと共に解体作業を始めた。

2人は黙々と手を動かし、ダンボールを破いたりつぶしたりする音のみが響き渡る。

そうしている内に、愛子はありさに自分の気持ちを話したい気持ちになった。

「あのさ、私、さっき瞬間移動とか変なこと言っちゃったのに、実はまた変な期待しちゃったんだよね。」
作業を行いながら愛子は心の内を曝け出した。

「期待?」
ありさが尋ねた。

「ありさちゃんが、このダンボールを撤去するって言った時にさ、一瞬にして消してしまうのかなってそんなこと思っちゃったんだよね。」
愛子はそう言って苦笑した。

「一瞬にして、消える?」
ありかさが不思議そうな顔をしたので、愛子はまた恥ずかしくなって、小声で言った。

「さすがにそんなことはないよね。
確かに昨日は、ありさちゃんが時間の流れを変えた場面を目の前で見たけどさ。
今朝も、ありさちゃんが田中君の未来を予知したし、日中私の危険を察知して助けてくれたし、組織の高度な技術ってすごいなって思っていたけど。
だけど、何でもかんでも、魔法のようにできるわけないよね。」

「…そうですね。」
ありさは、さらりとそう返した。

「だ、だよねー。」
そう愛子も返しながら、また苦笑した。

これでこの話題は終わりになると愛子は思った。
しかし、ありさは予想外のことを口にした。

「しかし、それは、この世界線ではできないことが多いだけだからです。」

愛子は作業の手を思わず止めた。

世界線…
その言葉は、この世の中が並行世界(パラレルワールド)であることを前提にしている。
ありさは、この世はパラレルワールドであり、いくつもの世界線が同時に、無数に存在していると、そう言っていた。
そして、愛子が生きるこの世界も、そうしたパラレルワールドの1つ。

「じゃあ、他の世界線なら、物を消したり、瞬間移動したりできるの?」
愛子は思わず聞いていた。

ありさは暫く黙っていたが、作業の手を止めて小さく呟いた。

「この世界線は、とても綺麗です。」

「綺麗?」
愛子は予想外の言葉に首を傾げた。

確かに、ここでは、朝は爽やかな青い空が見え、夜は月や星星が空を照らす。
綺麗と言われればそうかもしれないが、生まれてからずっと過ごしてきているので、愛子には実感がわかなかった。

ありさは愛子を見つめて言った。
「景色や目に見えるものだけじゃなく、概念的なものも非常に整った形をしていると思います。
数学は均整が取れ、物理法則と調和を成しています。
しかし、秩序に縛られ息苦しい世界でもあります。
生き物はみな、秩序から逃れられません。
死者は蘇りませんし、逆に、どんなに辛くても、生きている内は肉体から開放されることはありません。
この世界線と、その周辺の世界線は非常に厳格な秩序に縛られているのです。」

ありさは非常に無表情に、淡々と話したが、愛子は彼女の様子から、何か暗くて重たい背景を感じ取った。

”他の世界線では、物を消したり瞬間移動できるのか”
という愛子の質問には答えてくれそうになさそうだった。

愛子は、その重い空気を切り替えるように、明るい声で言った。

「そ、そうかなぁ。
そんなに、この世界線は、秩序だってるかな。
私は逆に、何か混沌とした世界だなと思ってたけどな。
だっで、山や川や自然が作る色んな景色は、人工的なものとは全然違うじゃん。」

「自然もみな、秩序に縛られています。様々な物理法則の組み合わせにより、目に見えるものは複雑で混沌とした形に見えるだけです。
唯一、生き物の中に芽生える意識や感情だけは、完全な秩序を持たずに自由です。
この世界線とその周辺の世界線に生きる生き物は、秩序の檻に閉じ込められた哀れな存在だと、そういう風に言う組織の人間もいます。」
ありさは、淡々とそう言った。

その話の内容とは裏腹に、ありさは、声も表情も一切の感情がなく、寧ろ冷淡にも感じてしまうほどだった。。。

愛子はふと思った。
もしかしたら、今の言葉が、先ほどの質問に対する、緩やかな答えなのではないかと。

”他の世界線では、瞬間移動したり、物を消したりできるのか。。。”
その答えは恐らく、できる可能性を秘めているということであろう。
この世界線のように、整合に緻密に秩序立てられた物理法則ではなく、もっと緩やかな法則で自由度の高い世界線も存在し得ると、そうありさは言っているのかもしれない。

なぜ、答えをはぐらかしたのか。
なぜ、はぐらかしながらも自分の見解を述べてくれたのか。

そこまでは、愛子には分からなかった。けれども、今の会話で十分満足できた気がした。

「でもさ、秩序だった世界だからこそ、きっとふいにある自由がキラキラして見えるんじゃないかな。」 
愛子はポツリと漏らすと、声色を変えて明るく言った。

「取り敢えず、このダンボール達、持って帰ろうか!」

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