仮初の友達
学校の正門が見えてくると、ありさは立ち止まった。
「どうしたの?」
愛子も歩を止めて尋ねる。
ありさは、愛子を真っ直ぐに見据えて言った。
「特に、学校は気を付けてください。昨日一通り計算してみたのですが、
この世界線では、学校であなたが死ぬ未来への分岐が最も多く、現段階で数百通りありました。
あなたの身に迫る危険を私が阻止できなかった場合、その数百通りの内の1つの未来は確定してしまうでしょう。私も全力を尽くしますが、あなたも気を付けてください」
ありさの真剣な眼差しを見て愛子は生唾を呑んだ。言葉の重みが、ずしりと胸に突き刺さる。
「わ、分かった」
愛子はやっと一言そう答えるので精一杯だった。
「取り敢えず、今後は常に私があなたの側にいます」
ありさは歩行を再開しながら言った。
愛子は、どんどん歩いていくありさの小さな背中を見て、暫く立ち止まっていた。
こうして見ると、自分と殆ど体格の変わらない女の子である。
愛子は、速歩きでありさに追いつくと、隣を歩きながら言った。
「ありがとう。
でも、、、百合河さん、本当に、大丈夫?」
「何がですか?」
ありさに尋ねられ、愛子は自身の不安を吐露した。
「確かに、百合河さんは運動神経は良いかもしれない。だけど、見た目は女の子だよ。守ってもらうなんてやっぱり申し訳ないよ。できるだけ私1人で何とか」
「何言っているんですか!!」
ありさの強い言葉で、愛子の言葉は遮られた。彼女は歩を止めて、愛子に向き直った。
愛子も立ち止まり、ありさの顔を見つめる。
ありさは、ガシッと愛子の肩を掴んだ。華奢な女の子とは思えないほどの力強さだった。
「あなたの命は世界の存続に関わっているのですよ!もっと自覚と責任を持ってください!」
ありさはそう言った。力強い口調の中に、どこか懇願の響きがこもっているように感じた。
登校中の生徒達何人かが、2人の様子をちらちら見ながら通り過ぎていく。
愛子が、ありさの気迫に目を丸くしていた。
ありさは、愛子の肩から手を放し、俯き加減に言った。
「、、、も、申し訳ありません」
それからありさは再び歩き始めた。
「いや、私こそ、ごめん」
愛子も歩を進めながら謝った。
「私のことなら大丈夫ですから。特殊な訓練を受けていますし、何より組織の技術がありますから十分戦えます」
ありさが言った。
「わ、、、分かった」
愛子はそう言うと、ふと思ったことを口にした。
「でもあのさ、、、私達2人が一緒にいるのは何だか不自然じゃない?」
「友達になったということにしましょう」
ありさがさらりと言った。
「友、、、達」
愛子は、その2文字を口にする。それはとてもキラキラとした響きをしていた。
高校生になっても友達ができて毎日楽しく過ごしていると、そう思っていた。しかし、今の愛子にとって、友達など過去の幻想と化していたのだ。
「こんな得体の知れぬ人間が友達というのは気乗りしないとは思いますが、世界のために協力していただけると、嬉しいです」
ありさが淡々と言った。
「ううん。嬉しい」
愛子はそう言いながら、ありさを見て笑った。ありさがちらりと愛子を見て微笑する。ありさもこんな風に笑うのだと、愛子は少し驚いた。
「じゃあ、友達なら、下の名前で呼んでもいいかな?ありさちゃんって。私も下の名前で呼んでくれると、嬉しい」
愛子は遠慮がちに言った。
「いいですよ、、、愛子さん」
ありさはさらりと返した。
「さんはいらないよ。それにタメ口でもいいのに」
「組織から言われているんです。誰と関わる時も敬語を崩さないようにと」
「な、何で!?」
思わずそう聞いてしまったが、愛子は慌て言った。
「あ、ごめん。守秘義務?だよね」
しかし、ありさは教えてくれた。
「誰とも仲良くならないようにするためです。
私達は、特殊な脳の訓練を受けているので、機械のように、スイッチ1つで感情が百八十度切り替わってしまうのです。
そのスイッチの1つが、、、言葉遣いです。敬語を崩せば、スイッチはオフになります。余計な感情が入ります。ですから、敬語は決して崩しません」
頭のスイッチ、、、?
気持ちや気分を切り替えるということだろうか。
敬語よりタメ口の方が気が緩むということは、人間誰しもあることだろう。
しかし、オン、オフのあるスイッチのように百八十度丸っ切り変わってしまうなどということは、普通あり得ない。
ありさの言う特殊な訓練というのは、そんなことまでも可能にしてしまうのだろう。
その訓練も、組織とやらの技術なのだろうか。。。
様々な考えで頭が一杯になったが、
「そ、そうなんだ。。。わ、分かった」
そう一言返すので愛子は精一杯だった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
愛子達が教室に入ると、殆どの生徒は既に教室にいて、雑談したり宿題をしたり、ホームルーム開始前のゆるやかな雰囲気が流れていた。
愛子が自分の席につくと、ありさは愛子の席の側に立った。全身に力を入れ、目を光らせて辺りを警戒している。
”もしかして護衛のつもりかな、、、”
愛子は、ありさの様子を見て、そう思った。
愛子とありさの異様な様子を、何人かの生徒が見てクスクス笑っているのが見え、愛子は赤面した。
「あのさ、、、ちょっとありさちゃん、異様だよ」
愛子は遠慮がちに言った。
「貴方を、、、愛子さんを守らなきゃならないので、仕方ありません。」
ありさが答えた。
何が異様なのか、ありさに伝えなければならないと愛子は思ったが、ありさ自身も周囲から浮いていたことは自覚していたようだ。
そのことに安堵しつつ、愛子は言った。
「だとしてもさ、一応”友達”なんだなら。友達らしくしなきゃ」
「友達らしく?」
ありさがちらりと愛子を見て言った。
「う、うん。世間話したりとかさ」
愛子が明るく言った。
「世間話?」
「うん。昨日何した〜とか何食べた〜とかさ。そんな話したり一緒に笑い合ったり、、、」
言いかけて愛子は口をつぐんだ。
”あ、笑うのはこの子は難しいかな”
「そんな話をしていたら、愛子さんの護衛に集中できません。人間は本当に些細なことで死んでしまうのです」
ありさは愛子から目を放して言った。
「うん、、、でも、クラスの人達ちょっと笑ってたし、あんまり変な目立ち方すると良くないんじゃない?」
愛子はそう言ってから、
思いついたように言葉を続けた。
「そ、組織のこととか、クラスの人達に知れ渡るきっかけになったりするかも、、、
あ、勿論、私は誰にも言わないよ」
ありさの瞳孔が微かに広がった。
「知れ渡っても、、、構いません。」
暫くして、ありさがそう返した。
珍しく歯切れがわるい。
予想外な言葉が返ってきて、愛子はびっくりして聞き返した。
「な、何で?」
「寧ろ、そちらの方が、、、」
ありさはそう言いながら、俯いた。何か言っているが、よく聞こえない。
「何?」
愛子は聞こえないというように身を乗り出した。
「いえ、何でもありません」
ありさは今度ははっきりとそう言うと、バッグの中から何かを取り出した。そして、それを愛子の机に置く。
「分かりました。”友達”らしくいきましょう。これを所持してください」
ありさが言った。
ありさに見事、話を流されたと思いつつも、愛子は机に置かれた物を見つめた。それは、一見するとお守りのような姿形をしていた。これを所持しろと、ありさは言っているのだ。
「それは私の脳内に埋め込まれているICチップと連動しています。あなたに危険が及んだ場合、すぐさま知らせてくれるでしょう。」
ありさが平然と言ってのけた。
脳内のICチップ!?
またしても奇想天外なことを聞いてしまった。
「だ、大丈夫?脳にICチップなんて埋め込んでるの?」
愛子は驚きを隠せない様子で聞いた。
「別に脳にダメージを受けるようなこともありませんし大丈夫です」
ありさがそう返した時、明るく弾む声が響き渡った。
「あー!愛子とありさが一緒にいる。仲良くなったの〜?」
真奈美である。
朝練から帰ってきたのだろう。
真奈美はユニフォームのミニスカ姿で、愛子とありさの元へやって来た。
「ま、真奈美ちゃん、朝練お疲れ様」
愛子はドキドキしながらそう言った。
冷や汗が止まらなかった。真奈美は愛子をいじめていた。その記憶は今も愛子の脳内にしっかりと刻まれている。
愛子をいじめていた真奈美は、別の世界線に移行した。今目の前にいる真奈美には何の罪もない。
そう言い聞かせながら、愛子は何とか笑顔を作って言った。
「き、昨日ありさちゃんと話す機会があって、仲良く、なったんだ。」
「へー。じゃ、またね」
そう言うと、真奈美は何と、愛子の元から去って行ってしまった。
まだホームルームまでは時間がある。真奈美はどこに行くのだろうか。彼女の行く先を目で追っていき、愛子はどきりとした。真奈美が行ったのは、彼女といつも一緒にいる3人組の元であった。4人で談笑している。
”この真奈美ちゃんは、私をいじめはしないけど、友達ではないのかな?
中学のとき仲良かったから、時々話したりするだけの関係性?”
愛子はそう思って少しだけほっとしたような、寂しいような複雑な気持ちになった。
「私は、真奈美ちゃんとは友達じゃないんだね?
真奈美ちゃんのいつも一緒にいる3人組も私を、いじめてたんだけど、昨日の事象操作後、その3人組と私の関係性はどうなったの?」
愛子はありさに聞いた。
「それは、、、分かりません。
愛子さん以外の人間は、昨日の事象操作できちんと記憶も矛盾なく繋ぎ止めました。しかし、それは本人達の脳内だけで完結しています。私が知ることはできないのです。」
ありさはそう答えると、声色を変えて続けた。
「しかし、瀬利沢真奈美には気を付けてください。いつ、愛子さんをまたいじめてくるか分かりません。この世界線は、元々、愛子さんがいじめを苦に自殺する未来に分岐していく予定でした。それを私が昨日の事象操作で変えたのです。しかし、世界の修正作用が働き、また、あなたが自殺する未来を作り出そうとするかもしれません。気を付けてください。」
「わ、、、分かった」
愛子はそう答えたものの、内心どうして良いか分からなかった。
いじめに気を付けてと言われても、正直どうしようもない。万一いじめられるようになったら、ひたすら耐えるしか無いのだ。世界のために。。。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
その日の学校は無事終わった。
無事にと言っても、何度かヒヤリハットのようなことが起こった。理科の実験で、ガスバーナーが服に引火しそうになったり、愛子にとってはアレルギーとなる小麦粉が給食に混入していたり。。。
その度に、ありさが飛んでやって来ては阻止してくれた。ありさが持たせてくれた、お守りのような機械のおかげだろう。
さりげなく助けてくれるので、クラスメートに知られることは無かったが、この調子でヒヤリハットが続くと、いつかは皆に、愛子とありさの関係に気づかれてしまうのではないかと、愛子は少し不安になった。
そして、それをきっかけに、ありさの所属する組織のことも知られたり、、、。
そこまで考えて、愛子はふと思い出した。
”別に知られても構いませんよ”
というありさの言葉を。
なぜだろうか。
明らかに、公には知られない方が良いものであるはずなのに。
今、愛子とありさは、一緒に下校していた。
ありさに、なぜか理由を聞こうとも考えたが、先ほどぼかされてしまった。単純に教えてくれそうになさそうだ。
そんな風に悶々としていると、ありさが話しかけてきた。
「今日のことで、少しは命を狙われているという危機感をおぼえてくださいましたか?」
「うーん、、、正直あんまり。
ありさちゃんが助けてくれたからかもしれないね。」
愛子がそう答えると、ありさは怪訝な顔つきになった。
もっと危機感を持てと言わんばかりの表情である。
そんなありさに、愛子は話し続けた。
「それに私、正直もっと派手な感じで命を狙われるかと思ったから、拍子抜けしちゃった。
映画やドラマみたいに、大きな柱の下敷きになったり、刃物持った人に追いかけられたりとかさ。
本来は死ぬ運命だった人間が、奇跡的に助かったけど、死ぬ運命が追いかけてくる、みたいな話、映画やアニメや漫画でよくあるけどさ、何かそれみたいだなって勝手に自分のこと当てはめてた。
でも実際は、アレルギーだったりガスバーナーの事故だったり、死ぬってもっと日常に潜んでいるんだね」
「命を狙うと言っても、物に意思があるわけではないので、人間のミスあるいは悪意が原因になります。そして、この日本で殺人衝動のある人間などそうそうお目にかかれません。そうなると、ヒューマンエラーがやはり1番多くなるでしょう」
そう言うと、ありさは歩を止めた。
愛子も立ち止まると、ありさは愛子を真っ直ぐに見据えて言った。
「愛子さん。
昨日計算し組織に報告しました。
私はあなたを高校卒業まで守ります。そこまで愛子さんの命を保つことができれば、この世界線が第Z軸空間に派生していく可能性はゼロになりますから。」
「分かった。約3年間、よろしくね。」
愛子は頷いて言った。
3年間。3年間の契約期限のある友達だ。それまでは何が何でも、ありさは一緒にいてくれるだろう。
愛子は、3年間という期間が長いようにも短いようにも感じ、不思議な気持ちになるのであった。
つづく
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