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分断の時代から協力の時代へ—ASEANのはじまり

(2024年8月25日会社ホームページ掲載分)

皆さま、こんにちは。

私は会社を設立する前、フィリピンとインドネシアで会社員として働いていました。東南アジアの市場での経験は、今の事業を進める上でかけがえのない財産となっています。このサイトでは、そんな私自身の体験やASEAN諸国について、時折お話ししていきたいと思います。

さて、「フィリピン」と「インドネシア」という国名が出てきましたが、実は今、この記事を書いているのはマレーシアです。これら3つの国は、ASEAN(東南アジア諸国連合)の一員です。「ASEAN」という言葉を聞いて、少し馴染みがないと感じる方もいるかもしれません。でも、すでによくご存じの方や、ビジネスで関わっている方、あるいはASEANのどこかの国に駐在している方もいらっしゃるでしょう。

今日は、そのASEANがどのように誕生したのか、その歴史を少し紐解いてみたいと思います。

ASEAN誕生の背景—世界を揺るがした戦争と東南アジア

ASEANが設立されたのは1967年。当初の加盟国は、タイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポールの5か国でした。

当時、世界は激動の時代でした。東南アジアではベトナム戦争が激化し、国際社会は「東西冷戦」という巨大な対立に巻き込まれていました。この戦争の背景を知ることで、ASEANがなぜ生まれたのかが見えてきます。

ベトナムの建国の父・ホー・チ・ミンは、若き日にフランスへ渡り、そこで共産主義思想に触れました。その後、ソ連や中国で活動を続け、ついにベトナム共産党を結成。そして、日本の占領下にあった祖国で独立運動を開始し、1945年に「ベトナム民主共和国(北ベトナム)」の独立を宣言しました。

しかし、フランスは植民地支配を取り戻そうとし、独立を求めるベトミン(ベトナム独立同盟会)との間で「インドシナ戦争」が勃発。ベトミンはソ連と中国の支援を受け、フランスはアメリカの支援を受けました。これが、東西冷戦の代理戦争のはじまりでした。

戦争は1954年のジュネーブ協定で休戦を迎えましたが、ベトナムは南北に分断され、その後のベトナム戦争へと発展します。アメリカは共産主義の拡大を防ぐため南ベトナムにゴ・ディン・ジエム政権を樹立しましたが、彼の独裁政治と汚職により国内は混乱。最終的にアメリカは彼を見限り、クーデターを支援する事態にまでなりました。

こうして南ベトナムは混乱に陥り、政府に不満を抱く人々が「南ベトナム解放民族戦線(解放戦線)」を結成。ゲリラ戦が本格化し、ベトナム戦争は南ベトナム内部の「政府 vs 反政府勢力」の内戦から始まったのです。

ASEANの誕生——東南アジアを守るための結束

では、なぜASEANの誕生にベトナム戦争が関係しているのでしょうか?

ベトナムの隣国であるカンボジアやラオスでも、共産主義勢力が勢いを増していました。これに対し、アメリカ、タイ、マレーシアなどの資本主義国は大きな危機感を抱きます。「南ベトナムが共産主義になれば、東南アジア全域が次々に共産化してしまうのではないか?」――これが、当時の世界で囁かれた「ドミノ理論」でした。

この流れを食い止めるために、ASEANは「共産主義の拡大を防ぐ防波堤」として設立されたのです。

経済圏へと進化したASEAN

現在のASEANは、共産主義との戦いという歴史的な背景を超え、東南アジアを一つの巨大な経済圏として成長させる組織へと進化しました。

設立当初の5か国に加え、1984年にブルネイが加盟。1995年にはかつての敵国だったベトナムが加わり、その後、ミャンマー、ラオス、カンボジアが続きました。今では10か国が加盟し、さらには東ティモールもオブザーバーとして参加しています。

ASEANの各国は、それぞれ独自の文化や歴史、そして強みを持っています。だからこそ、この地域は無限の可能性を秘めた魅力的な市場なのです。

私たちも、このASEANの歴史や文化を学びながら、皆さまと共にビジネスを築いていきたいと考えています。今後もASEANに関する記事をお届けしていきますので、ぜひお楽しみに。

🔗 公式サイトASEAN公式ページ

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