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AI美空ひばりさんの
歌っている姿をテレビで見ました。
私のごく限られた範囲で接した情報によると、
なかなかの賛否両論が起こっているらしく、
非常に興味深いことだと思いました。

以前、noteにも少し書きましたが
私は美空ひばりさんの愛燦燦という曲が
非常に好きで、それは彼女の歌
そのものもそうですが
歌詞にキュンとなってしまう部分が
あるからです。

本物をいいな〜と思っている人間なのに
それを認めていいのか、と言われるかもしれない
ですが、私はあの映像(番組)を見て、
涙がこぼれました。

音楽をお仕事にしている方の中には、
音楽や歌というものが生み出すのに
どれほどの苦労を伴うのかという思いがあって
しかるべきだし、お仕事にしているからこそ
代替の効くものではないという
想いがあるのだろうとも思う。

本物ひばりさんを尊敬していたり
唯一無二の存在であると思ったり、
音楽をやっているからこそわかる
本物ひばりさんの「すごさ」というのも
あるんだろうと思う。

素人にはわからない域の話になってくるので、
私が論じていいものではない
【アンタッチャブルな】部分なのかもしれない。
聖域と言ってもいいかもしれない。
当たり前の話だが、そういう方達のことを
軽んじる意図は全くない
ということだけをまず書いておきます。

でも、それでもこのタイミングで
あのAIひばりさんはたくさんの人に
必要だったのではないかなぁと思ったのです。

歌そのものは、確かに
完全な再現ではなかったでしょう。
100%再現できてしまったら、それこそ
本物の意味がなくなってしまいます。

もうご存命でないのだから、その事実、
命というのは終わりがあって、
そうなったらもう会えないのが
当たり前なのだという事実を
受け入れるべきという気持ちは
私にも少しあります。

映像を見ていると、動きがぎこちないかも?
というところもありましたし、
ずいぶん若くなられて・・という
素朴な感情もありました。

ただ、あの場にいたファンの方々が、
なぜ涙を流したかと考えると、
「ひばりさんの声で新曲を聴けた」
ということ以上に、存在そのものに
意味があるように見えたのです。
なんというか、歌ってほしいというよりも

【いてほしい】【声をかけてほしい】

存在なのではないかなぁと。
頑張っているね、あなたのことを見ているよ、
応援しているよという
声をかけてほしい、ただ「いてくれる」
ということが彼女を慕う人たちにとって
非常に大事なことだったのではないかなと
思うのです。

私は彼女の歌って時折「男性」が
顔を覗かせるなぁと思っていて。
それが自然に繋ぎ目なく
溶け込んでいるという印象
(一個人の感想ですので、
生ぬるく読み飛ばして下さいね)
なのですが、AIひばりさんにはそれが
少し薄かったような気がします。

それでもファンの方達は涙を流し、
作詞の秋元さんも本物ひばりさんの
息子さんも涙を流していました。
「また来てくれた」「いてくれた」
「言葉を発してくれた」ということに
対する涙だったような気がしてならないのです。

AIひばりさんを作成した技術者の方達に、
生身の本物の人間の歌手に対する
敬意がないとはどうしても思えなかったのです。

何度も何度もAIひばりさんが登場してきたら
「ん?」と感じることも増えてしまうの
かもしれません。

それでも、突然の喪失により、
二度と会えなくなってしまった人が
再び目の前にほんの数分でも
戻ってきてくれたのだ、という
人の心のしあわせについては、
バッサリ切り捨ててしまうことが
どうしても私にはできないのです。


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