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内的な紛争地帯としてのキャンバス,そして調和 -イェンス・フェンゲ個展「パーラー」@ペロタン東京

 某日、六本木。

 イェンス・フェンゲ個展「パーラー」@ペロタン東京

ペロタン東京はこのたび、イェンス・フェンゲ個展「パーラー」を開催いたします。フェンゲが織り成す反響と断片の世界、すなわち部屋そのものよりも部屋の影を感じさせる領域へと見る者を誘います。

「パーラー」の語源は中世に遡り、かつて沈黙が厳守されていた修道院において、会話を交わすことが唯一許された部屋がパーラーと呼ばれていました。フェンゲのパーラーは私的あるいは家庭的なものを映し出す劇場として、人、動物、平凡な物をどこかで見たうろ覚えの情景のように継ぎ接ぎ、並べ替えて登場させ、絵画的な魔法のごとく内的世界を描き出すものです。

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 外からのようす。壁のデザインと作品が調和し、入ってみたくなる。

 遠目からも作品が立体的に見えるのは、キャンバスに背景を描き、別途描いた近くの人物などは、その上に載せて配置されているから。

 個展のサイトに、イェンス・フェンゲによる作品解説があった。順不同になるがそれを引用しながら、謎めいた作品たちを振り返っていく。

イェンス・フェンゲ
1965年、スウェーデン・ヨーテボリ生まれ
現在、 スウェーデン・ ストックホルム在住

イェンス・フェンゲは、20世紀初頭のコラージュと古代芸術である影絵を交差させながら、ペインティングのなかにペインティングを組み立てていくという、超現実的でマトリョーシカのような美学を構築してきました。

ファンゲは折衷主義の達人であり、象徴的な肖像画から、静物画、家庭のインテリア、都市景観、風景画、幾何学的な抽象画まで、あらゆるジャンルの全階層を自身の作品に取り入れるとともに、パネル上に油絵具、鉛筆、ビニール、ボール紙、布などといった多様なメディウムや素材を用いて表現をしています。

その洗練された絵による“劇”に登場する、輪郭的でしばしば“切り抜き”の主人公たちは、舞台のように重なり合う表現の層に流れ込むようです。こうして、それぞれの作品構図に留まらず、シリーズ全体を通して、視点の変化を伴う、複雑で無限に続く“迷路”が生み出されます。

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キャンバスは「紛争地帯」

ペロタン(以下、P):絵画制作にどのように取り組まれていますか。プロセスや順序についてお聞かせください。

イェンス・フェンゲ(以下、JF):絵画制作には謙虚な気持ちで取り組んでいます。ときに私が主導権を握り、またときには絵画が私を導く、まるでゲームです。私はキャンバスを“紛争地帯”であると捉えています。構図は爆発、内破、崩壊することもあり、アーティストとしての私の仕事はその混沌のなかに調和とバランスを見いだすことです。矛盾が均衡に達したとき、絵画に命が吹き込まれるのです。

プロセスは直感的なものです。描き始めると、作品がどこに向かっているのか分からなくなることもよくあります。完成するまで構図、色彩、内容を隅から隅までずっと変え続けます。これはピアノの調律にも似たものがあるでしょう。

私の絵画は複数のパーツで構成されており、はじめは壁に掛けることができないため、床に直接置いて制作します。スタジオの床にパネルやこまごまとしたパーツが散らばっているため、歩くときは足元に気をつけなければなりません。ときには対象物と距離を取り、しっかりと見定めるために梯子に登ることもあります。また通常、いくつかの作品を同時並行して制作しているので、あれこれと実験することもできます。例えば、木製パネルに描いた小さな肖像画の最終的な構図を決めるために、複数の絵画の上を行き来させるなどです。この手法を用いることで絵画どうしも馴染み、類似性や全体性が形成されます。

さらに、素材の選択も極めて重要です。作品に緊張感とコントラストを加えるため、例えば、光沢のあるニス塗りのパーツと、染色したリネン生地のマットな表面を組み合わせることがあります。まるでドールハウスを劇場に見立てて遊んでいるかのように、監督、俳優、舞台美術家、観客の役割を行き来しながら制作しています。

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 たくさんの要素がキャンバス内に収められているわけだが、バラバラではなく調和を感じる。だからこそ作品のなかに物語という時間軸を感じ、それを読み解きたくなる。

 展示点数がそれほをあるわけでもないのに、短時間鑑賞して終わり、にならない理由は、そこにありそうだ。


子どもと動物 -作品世界に投じられた動き

P:作品にしばしば登場する、子どものような人物について教えてください。

JF:子どもは私たちに無邪気さを思い出させ、また、この世界を初めて体験するかのごとくアプローチしたいという願望が込められています。加えて、私が重要なことであると考えている“遊んだりふざけたりする感覚”と繋がるひとつの方法でもあります。

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P:今回展示される作品の一部は、初めて陶器で作られています。これについてお聞かせください。

JF:先日、スウェーデン南部の田舎町、ヘガネスの陶芸工房に招かれました。絵画とは全く異なる素材と向き合うのは本当に興味深く、当初は何を作ったら良いのか見当もつきませんでした。しかし、粘土を“立体的な絵画を作る方法”として捉え始めると、素材に対する恐怖心が薄れていきました。特に、酸化物や顔料を用いて作品を着色するのが楽しかったです。結局のところ私は画家であり、彫刻家ではないのですね。

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P:作品において“神聖なもの”は重要ですか。動物には重要な意味合いがあるのでしょうか。

JF:私の絵画に見られる神聖な側面は、宗教的信念というよりもむしろ、人生そのものへの感嘆に関わっていると言えます。人物の顔を光輪で囲む最大の理由は、目鼻立ちを強調し、背景に対して際立たせるためです。しかしまた同時に、光り輝く輪を後光とし、精神性の表現や悟りの暗示と捉える余地や可能性も受け入れています。

動物にはトリックスターの役割を演じさせています。彼らは飼い主である人間に依存する一方で、ルールや制約から解放された“主権者”でもあると私は想像しています。また、作品にはアーティストである私自身にとっても部分的に曖昧な謎や意味合いといったものが込められていなければならないと考えています。私は好奇心を持ち続けるとともに、構図に驚かされ続けたいのです。

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 子ども、動物、そして陶芸という新しい手段。表現されたものの中から、こんなふうに作家の言葉を対応させると、漠然と鑑賞していたときから世界観が変わり、作品を分類して鑑賞する、という知恵がついてくる。


作品1枚に含まれた情報量の多さ

 会場を、ぐるぐると巡る。

 作品はたしかに静止しているのだが、いろいろな意味で動きがあり、その意味でもやはり、まるで動画のように情報量が多いと感じる。

P:構図のインスピレーションの源になっているものはありますか。

JF:絵画の元となる素材は、漫画、写真、ニュース、映画、美術史など、幅広い源から得ています。ときには多くを借用し、またときには全て自分で作ることもあります。

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 このように引いて鑑賞すれば、コラージュを髣髴とさせる美しい絵画として素通りできてしまうかもしれない。でも、1枚1枚に向き合えば、知らないうちに作品世界に取り込まれている。

 決して衝撃的ななにかが描かれているわけでもないのに、妙に気になってあと少しだけ観ていこうかと思わせる。

 そんな、摩訶不思議な夕刻前のひととき。






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