クソでしかない
産まれてから今の今まで、ろくな人生ではなかった。でもそれを悲しんでる訳では無い、それを理由に落ち込むことすら、もう やめた。いちいち落ち込んでたらキリがないくらい、次々ゴミみたいな生活を更新していく。殴られることなんて当たり前の世界で、訳わかんないことで殴られ続けて、人格否定されて、「お前なんて産まなければよかった」なんて言われた日もある。それを言われたところで落ち込める余裕なんてなくて、「あぁ、ほんとなんで産んじゃったの?」ってママに言う。ママはそれを聞いてまた私を殴った。意味がわからない笑。肯定しても否定しても殴られる毎日、そんな毎日にも慣れてしまっていた。ある日ママが馬乗りになって殴り続けてきた日があった、その日はお互いとっても機嫌が悪すぎて、私は初めてママを殴った。もうこのまま、今までやられてきた分も全て返してやる。そう思った私はママに馬乗りになって、殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴って、殴った。理性なんてない、殺してやる。殺してやる。と思いながら殴り続けた。どのくらい殴ったかすらも分からないくらい殴り続けた。
気づいたらママの意識がなくなっていて、顔も血まみれで、パンパンに腫れている。そこで私はようやく我に返る。「やりすぎた。」ようやく我に返った私は扉の向こうで「もうやめて」と泣き叫ぶ弟の声が耳に入る。きっと殴ってる間も言っていたのだろう。全く聞いてすらも聞こえてすらもいなかった。
その後、私は意識をなくなったままをみて、達成感と罪悪感に襲われる。「もうこんな自分嫌。」と思いながら外を歩いた。真っ暗で誰もいない。自分の拳も血まみれで、もうどうにでもなれ。と思いながら泣き叫び外を歩いた。小学校4年生の私には人の目を気にする余裕もなく、泣き叫んで髪の毛を毟りちらかした。通りかかってる通行人も私がまるでこの世に存在していないかのように通り過ぎる。血まみれの手、毟り散らかしたボサボサな髪の毛、泣きじゃくってボロボロな顔。人生で1番醜い姿だったと思う。私はそれを機に人のことを殴るのも、ままを殴るのも、やめた。自分が怖くなってしまった。自分は理性をなくして人を殺すまで殴れる人間なんだ。と自覚した時は小学4年生ながらに恐ろしく感じた。
それから今の今まで本当に殴らなかったかと言うと実は1回だけ人を殴ったけど、ママは殴ってない。
その時の話は今度書こうと思う。殴り続けたままとその後顔を合わせた時は地獄かと思った。もはや会話すらもしなかったのを覚えている。学校なんて行ける余裕はない。その時はアドレナリンで痛みもなかったが次の日にはあちこちが痛すぎて耐えられなかった。痛さと罪悪感を耐えながらその日一日を過した。弟が保育園から帰ってきて、夜ご飯の時間。もちろん私の夜ご飯はない笑。3日間くらい何も食べず部屋にひきこもった。さすがに謝ろう。と思いままに謝る。話しかけたら殺されると思ったけど、殴ってごめんなさい。と謝った時ママは言った、早く死んで。と笑もうこれは自分が悪いなって思って死ぬのを覚悟して、最後に大好きな祖母に会いたいな。と思った私は祖母を呼び出した。「私もう死のうと思ってるんだよね!生きてる価値ないらしい」と小学4年生の私の口からそんな言葉が出た時、
祖母は号泣して私に謝ってきた。最初はなんで謝られてるのかも意味がわからなかったけど、きっとそんな思いをさせてごめんね、って意味だったんだなって今ならわかる。そして祖母と一緒に4日ぶりのご飯を食べた。美味しすぎて死ぬかと思った。祖母は死ななくていい。と、私に言った。
「あぁ、私に生きてていいって言う人もどこかにはいるのか。」と思った。それを言われた私は死ねなかった。なんなら殺してでも生きてやる。と思ったかもしれない。だんだん私が消えればから、お前が消えれば解決じゃん?に変わっていった。その感情のおかげで、必要以上に自分を責めることもなくなった。他人からの攻撃で病むほど弱いメンタルじゃなくなったのはそこからだと思う。この経験のおかげで中学時代のいじめも大したことなくて、やられたらやり返す精神だった私は敵意も敵意と感じなくなった。やることのレベルも低すぎる割には立ち向かっても来ない中学生に飽きた私は学校がつまらなさすぎて全然行かなかった。中学生時代の話もまた今度書こうと思う。
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