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憎しみの話

傘を盗まれた!傘を盗まれたぞ。仕事終わりにどうしても最寄駅にないものが食べたくなり、やむなく途中下車して土砂降りの中を走り、24時間営業のとんかつ屋さんに飛び込んだわけだが、このお店が意外にもややごった返していた。いわゆる「朝定食」のような、軽めのメニューをやってないお店だったので、その意外さもまたひとしおといったところだった。おじさんや青年、いかつい兄さんがたがそれぞれカウンターとテーブルを占拠し、思い思いに揚げ物をつついており、ほどなく私もそのなかの一員となった。

先に入った客は次々に完食して出てゆき、私が完食する頃には店内はすっからかんとなっていた。食欲に全てを任せた結果、完全に胸焼けを起こしていたので、もうこれは早く帰って寝るしかないなとすぐさま席を立ち、出口の傍らの傘立てを見やった瞬間、全身が最悪の違和感に包まれた。

ない。一本たりとも存在しない。傘が。つい30分前に畳んで立てたはずの傘が。

ヒト一人が一度に使用する傘は通常一本とされている。この世の理(ルール)が改変されていない限りそれで間違いないはずだ。
しかしこの世はノンフィクション。理の改変を司るクエストも、クエストを告げるアポカリプスも存在しないはずなのだ。

ということは、さっきまで店の中にいた奴らの誰かが、人にも劣る糞畜生だったという訳か。

傘を狙うタイプの奴には、正直初めて遭遇した。東京クソ人間スタンプカードがまた一つ更新された。
いやしかし、こんな土砂降りの中でだよ。店内にそこそこ客がいたとは書いたが「朝にしては」の話だぞ。何の躊躇いもなく盗むか?見も知らぬ他人の、オッさんが持つにしてはファンシーな装飾の施された、傘をよお。

見も知らぬ他人だからか。

「せっかくだから。せっかくだから」と言い聞かせながら、飛び出した。もはや人目もはばかることなく。
横断歩道にはたくさんの傘が見えており、なんとなくみんなこっちを見てるような気もしたが、もはやどうでもよかった。ご覧の通り現在進行形で濡れているところだが気にしないでくれ。好きで濡れているんだ。いま好きになったんだ。見ないでくれ。好きにやらせてくれ。

家に飛び込み、湿り切った髪の毛にも構わず倒れ込んで寝た。

全部どうでもよくなった。良し。

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