久川颯ちゃんのオフェンス
その芸能プロダクションの名はGSプロというものだった。潤沢な資金を投じ、四百名ちょっとの新人アイドルを同時にデビューさせ、CDに付属するたくさんの購入特典と、それに加えてライブの演出の豪華絢爛さにより、GSプロとそこに所属するアイドルは瞬く間に大量のファンを惹きつけた。
ヒットチャートの真ん中から上にGSプロ所属アイドルの名前を見ない日はなく、アイドル好きな人々の間でGSプロの存在感は非常に大きなものになっていた。ほかの芸能プロダクションから見ても、業界におけるGSプロの勢いは脅威だった。
しかしすべての人がGSプロを支持しているかといえばそうでもなかった。実際、GSプロが送り出すアイドルの歌唱力やダンスのスキルは超一流というわけではなかったから、あんなのは別にすごくないと言う意見は少なくなかったし、お金を使いまくって名声をゲットするというGSプロのやり方が気に入らないという声も上がった。SNSでもGSプロのオタクはアホくさい輩だと批判された。
だがそれでもGSプロの勢いは落ちなかった。マネーを大胆に投じるスタイルはブレず、アイドルたちのかわいい写真が付いたグッズを販売したり地下鉄の駅の壁にデカデカと広告を載せたりして、批判する者より多くのファンを掴んだ。
そんなGSプロの活躍を見ながら、颯はなんとかしてこの人たちに勝てないかな、と思うのだった。芸能界で絶対的王者となったGSプロを超える人気を獲得できれば、業界ナンバーワンのアイドルになれるだろう。GSプロを批判している人たちだって、そのGSプロを凄まじいパワーで打ち負かすアイドルの出現を望んでいるに違いない。
あるとき、打ち合わせの席で颯はプロデューサーに言ってみた。
「ねえPちゃん、うちの事務所の経営ってどうなってんの? GSプロが出てきてから、経営ヤバくなってたりしない?」
プロデューサーは淡々と答えた。
「別にヤバくはなってないよ。ちょっと勢いが落ちてきたかなってくらい」
「ちょっと落ちてきたってことはちょっとヤバいじゃん」
颯は少し大きな声で言った。対してプロデューサーはあくまでも冷静な調子だった。
「そんなに悲観はしていない。基本的なところとして、GSプロの人気がいつまで続くか、という点にうちらの事務所は疑問を持っている……ひとつの芸能プロダクションがいつまでも天下無双の強さをキープできるか、といえば難しいところだろう。無論、GSプロもなんらかのロードマップを持っていて、今後の戦略を立てているんだろうけどね」
「むー、でもはーとしてはGSプロばっかり評価されてるいまの時点で逆転の一打をバシッと決めたいって思うんだけど。そうしたら経営もめっちゃ良くなるでしょ」
プロデューサーは少しの間、沈黙して颯を見た。それから問いかける。
「颯は、自分自身がその逆転の一打を決めるアイドルになりたい、と思うのか?」
「うん。だって、はーはトップを目指してるアイドルだよ。自分の活躍で現状最強のGSプロを超えられたらサイコーじゃん!」
「そうか……」
プロデューサーはそう言って颯を見てから、腕時計に目を落とした。
「颯、そろそろ会議に出なくちゃならん。また今度な」
もう少し颯はプロデューサーと話をしていたかったが、予定があるなら仕方ないなと思い、うなずいた。
「Pちゃんも忙しいんだね。じゃ、お疲れ様でした」
プロデューサーと別れた颯は寮の自分の部屋に戻った。ベッドに寝っ転がるとスマホで芸能ニュースをチェックする。いまの芸能関連のニュースはずっとGSプロの活躍とそれに対する批判が中心になっている。しばらく颯はスマホに映る記事を眺めていたが、そのうちGSプロという単語ばかり目に入るニュースはもう十分だと思い、ほかにはなにか新しいトピックはないかなとスマホを操作して見るニュースのジャンルを変えた。
すると画面に映ったのは遠くの国で起こっている戦争についての記事だった。颯は記事のタイトルをタップして詳細を開く。軍事の専門家とインタビュアーの対談記事になっていた。
遠くの国で戦争がいまも行われている。毎日人が血を流し、亡くなっている。この悲惨な状況が日本で起きたらどうなるのでしょうか、日本が戦争に巻き込まれたらどうしたらいいのでしょうか、とインタビュアーは専門家に聞いた。
専門家は答えた――外国が攻撃してきたら、日本には自衛隊がありますから、自衛隊が戦いに投入されるでしょう。しかし戦争というものは攻撃しなくては勝てません。争いごとなのだから、守ってばかりでは勝てないのは当たり前ですね。戦争に勝つための原則というのはある程度普遍性のあるモデルとして確立しています。その中でも攻撃すること、オフェンスすることは重要です。自衛隊は防衛のための組織、ということになっていますからオフェンスできない、つまり勝ちに近づけない武装集団なんです。だから戦争が起こったとしたら、日本は攻撃に回れず、勝つのは難しくなるでしょう。ですから――
この専門家の言っていることはどのくらい信頼できるだろうか? と颯は少し疑ったが、自分がいまGSプロに対して持っている考えと似たところがあるとも思った。オフェンスしなければGSプロに勝てない。守りに入るのではなく積極的にオフェンスしていかなければ。だって自分は勝ちたいのだから。
次にプロデューサーと顔をあわせたとき、颯は溌剌とした調子で言った。
「Pちゃん、はー、いっぱいお仕事したい。GSプロを超えるために、どんどん攻めていきたい。テンション高く、アゲアゲで、常に上昇して、オフェンシブに」
「あー、颯、とりあえず落ち着いてくれ。ちょうど仕事がいっぱいあるんだ」
プロデューサーは企画書の束を颯に手渡しながら言った。颯はそれを受け取る。
「え、こんなに? テレビに出たり、ミニライブをしたり、握手会をしたり、コマーシャルに起用されたり、雑誌で特集組んでもらったり……」
「実はGSプロの勢いに対処しようという意見が先日、事務所内の会議で出たんだ。GSプロがいつまで活躍できるかは疑問、という基本のスタンスは変わらなかったが、それじゃ甘いかもしれないという声もあった。で、我がプロダクションでも少しだけお金をかけて、対抗していく方針を取ることになってね。そこで誰をメインに対抗していくか、となって、ならば颯にしようとなったんだ」
「えっ、じゃあ、はーが先頭に立って戦うってこと?」
「そのとおり。颯のほかにも力を入れていく子は何人かいるけどね。これから忙しくなるぞ」
「望むところだよ! はー、ビシバシ活躍して、どんどん攻めていく!」
颯のスケジュール帳は仕事の予定で埋まり、颯は最前線で戦い続け、攻撃し続けた。モチベーションは常に高く、やる気に満ちて、巨大なGSプロを制するため力を尽くした。企画書に書かれた多くの仕事をこなしても不思議と疲れることはなく、もっともっと攻めていきたい、と颯は思い、実際のところ仕事は途切れることなくやってきて、そのたびに颯は良い結果を出していった。颯の攻撃は止まらず、颯はますますやる気を燃やして仕事に打ち込んだ。
回ってきた仕事の種類によって違う色のペンを使って予定をスケジュール帳に書き込んでいくと、ページはカラフルになり、にぎやかな感じになって、自分はいまこれだけ攻めているんだぞーっと颯はうれしくなった。そして仕事がくればまたペンでスケジュール帳を彩っていく。そんなふうに色を使い分けて華やかなスケジュール帳を作っていき、それをワクワクしながら見るのが颯の癖になった。
そんな日々がしばらく続いて、颯はプロデューサーと再び顔を合わせた。颯は言った。
「はーに新しい仕事が来たの? いいよ、なんでもやっちゃうよ!」
プロデューサーは首を振った。
「逆だ。颯に少し休みをとらせる」
「えっ、はー、全然元気だよ。休む必要なんて――」
「GSプロへの対抗に関していえば、当初の予定をクリアできたんだ。颯を筆頭に、うちらの事務所の子ががんばったおかげだな。ここでひとつ区切りをつけて、次のフェイズを改めて考えていくことになった。そんなわけで、いままで奮闘してもらった颯にはしばらく仕事から離れてもらう」
颯の脳裏にカラフルなスケジュール帳が浮かんだ。もうあのたくさん色のついたページは見られないのか。颯は言った。
「でもPちゃん。GSプロはいまだに人気だよ。はー、いつもニュースをチェックしてるけど、今度は武道館でライブやるって――」
「もちろんGSプロの動きもできるだけ見ているよ。あそこの人気はまだ衰えていない。しかしうちの事務所だっていろんなアイドルがいるだろ。颯を含めた一部のアイドルだけに依存してほかの子の出番を取っちゃったら、それはそれでまずいだろう。事務所の全アイドルに活躍の機会を広げていかなきゃならん」
「そんな、まだオフェンスしたかったのに……」
その言葉を聞いたプロデューサーが颯の顔を覗きこんだ。
「颯は最近、攻撃とかオフェンスって言葉をよく使うよな」
「だって、戦いに勝つためには攻撃しなきゃいけないじゃん」
するとプロデューサーは唐突に言った。
「颯、バスケをした経験はあるか?」
「バスケットボールなら、体育の授業でちょっとやったことあるけど」
「バスケも戦いだからオフェンスしなければ勝てない。だが守ること、ディフェンスすることも重要だ。颯はシールドリブルって知ってるか?」
「わかんない」
「シールドリブルっていうのは、ボールを守るドリブルだ。こうやって」プロデューサーは身体を動かしながら言った。「相手のプレイヤーが自分の前にいるとして、自分は右手でボールを弾ませながら、背中を相手プレイヤーとボールの間に割り込ませるんだ。すると相手はボールを奪いにくくなるだろ。勝つためにはそうやってボールを守る技術も必要なんだよ」
「ふーん、そうなんだ」
要するにディフェンスに回れということだなと颯は思い、ちょっと寂しくなった。
次の日から颯はしばらくアイドルとしての活動はお休みし、普通の中学二年生として過ごすことになった。アイドルとしてがんばっていた日々と比べたら、退屈なことばかりだった――というわけでもなかった。
まず、中学校という箱の中には大量の人間がいる。優しい子、騒がしい子、絵のうまい子、スポーツ万能なやつ、性格の悪いやつ、しょっちゅう遅刻するやつ、授業中にスマホゲームに熱中するやつ。芸能界にいろんなアイドルがいるように、学校にもいろんなタイプの人間がいる。GSプロには大量のアイドルが所属していたが、学校だってそれぞれ個性のある子が揃っている。そして性格の悪いやつにも仲の良い友達がいて、日々楽しく過ごそうとみんな努力している。共同体にはいろんなやつがいて、いろんなやつがいなければ共同体は機能しない。
GSプロは敵だと颯は思っていたが、こうやって考えると、GSプロのアイドルたちだってそれぞれ仲間がいて、力を発揮しようとファイトしていたのだ。ただ単純にGSプロを叩き潰すために攻撃するのではなく、いろんな人間がギュッと集まった世界で自分にできることはなにかを考えるべきだ、と颯は思った。
学校で受ける授業もちょっと違った感覚で接するようになった。学校の勉強はこれなんの役に立つの? と感じるものが多かった。確かに勉強それ自体は役に立たない。けれども勉強はそれを使って問題を解いたり考え方を広げたりするためのツールなのだ。
定規は長さを測ったり直線を引いたりするツールだが、定規を百個コレクションしていてもあまり意味がない。勉強することは勉強それ自体をひたすら飲み込んでテストで良い点数を取るのが目的なのではなく、自分の頭で考えるときに役立てる手段なのだ。あのカラフルなスケジュール帳も同じだったなと颯は思った。アイドル活動は仕事を数多くこなして予定を埋めていくゲームではなく、ひとつひとつの仕事を通して自分を高めファンを笑顔にするための歩みなのだ。
その日は体育の授業だった。颯が授業で使ったバドミントンのラケットとネットを体育館の倉庫に片付けていると、倉庫の隅にバスケットボールが入っている籠が置いてあった。颯は一緒にいた、バスケ部に所属している友達に声をかけた。
「ね、シールドリブルをやってみてくれない?」
友達は「いいよ」と言ってボールを手に取った。弾んだボールが体育館の床に当たってダンダンと音を鳴らす。友達が向かい合った颯とボールの間に背中を挟み、ボールは颯から見えにくくなった。友達は肩に顎を乗せるかたちで前の方を向いている。友達が言った。
「このままシールドリブルしてるだけじゃ詰まんないからさ、颯ちゃん、うちからボール取ってみてよ」
「うん、やってみる」
とは言ってもボールと颯の間を友達の背中がカバーして壁になっているから、正面からは取れない。ならば……と颯が回りこもうとすると、友達は瞬時に動き出し、颯を抜いて加速。そのまま颯の後ろにあったゴールまで駆けてレイアップを決めた。友達はにっこり笑った。
「全然勝負にならなかったね」颯は言った。
「バスケはボールをゴールまで運ぶスポーツだけど、途中でボールを奪われやすいから、ちゃんとボールを守りながら攻撃していかなきゃなんないんだ」
友達はボールを手の平でさすりながら言った。
守りながら攻撃か、と颯は思う。自分を守りつつオフェンスしていくこと。自分を守るというのは自分を大切にすることと、自分を信頼していくことだろう。自分のペースを守りながら、自分のことは大丈夫だと思いながら、前に進んでいく。そうして自分の持つ力を守り育んでいく。相手をやっつけることだけが攻撃ではなく、自分のことに気を配りながら戦う。そして自分を強くしていく。それが久川颯なりのオフェンスなのだ。
久しぶりに颯とプロデューサーは仕事の話をしていた。颯のアイドル活動が再開されることになったのだった。GSプロの勢いは衰えていなかったものの、颯の所属するプロダクションを含め各事務所がかなり力を発揮していて、芸能界の勢力図は活気づいていた。
「颯の次の仕事は、アルバムのレコーディングだ」
「えっ、はーのアルバム、出せちゃうの?」
颯は一気に興奮した気分になった。プロデューサーもうれしそうだ。
「収録されるのは十三曲。そのうち一曲は颯に作詞をしてもらう予定になっている」
「はーが作詞〜? どんなもの書けばいいの?」
「そりゃ、颯が書きたいものを書けばいいんだよ」
プロデューサーは素っ気なく、しかしニヤリと笑って言った。
「はーの書きたいものかぁ……」
さて、どうやって攻めていこうかと颯は考える。ゴールに辿り着くまで、しっかり自分を守りながら戦えば、きっと大丈夫だよねと思いながら。