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渋谷凛ちゃんの索引
少しずつ演奏がまとまってきたので、今日の練習は終わりにすることにした。
「まだいくつかミスしちゃうところがあるね」とギター担当のクラスメイト。
「でも、だんだんうまくなってきてるよ」と凛は言った。
ドラム担当のクラスメイトが大きく息を吐いた。「うまくはなってるけどさ、もうちょい鍛えなきゃ。現役アイドルの凛ちゃんの歌にふさわしい演奏をしたいんだからねー、うちら」
ベース担当のクラスメイトが頷く。
「凛ちゃん、プロのミュージシャンと一緒に仕事したりするんでしょ。私らの演奏なんて低レベルに聴こえない?」
「そりゃ、技術的には高いレベルではないかもしれないけど、いい感じだよ。もっと練習すれば本番でも聴く側のハートに響くんじゃないかな」
ヴォーカル担当の凛、ギター、ドラム、ベース担当のクラスメイトからなるバンド「カニティム」は彼女らが通う高校の文化祭でライブを行うことになっていた。文化祭まであと二週間と少しのところまできていて、凛たち四人は音楽室にこもって練習をしているのだった。
「ひたすら練習するしかないっすかね? 凛ちゃん」
ギター担当が自分の楽器をケースにしまいながら言った。凛は答える。
「うん。アイドルも、レッスンを繰り返して上達していくんだし、地道に練習するのか一番いいよ」
「継続は力なりか〜」
そう言うと、ギター担当は荷物をまとめて立った。ドラム担当とベース担当も帰る準備を終えていた。凛もかばんを持って音楽室を出て行った。
下駄箱への道中、四人はあれこれおしゃべりをした。話題はやはり文化祭のことばかりだった。
「三年生の教室でやる劇、めっちゃ人気でるだろうね」
「超美人の先輩いるからねー。うちらの高校ってけっこうキャラが立ってる人多いな」
「四組はクラス全員で漫才やるんでしょ? あのクラス、おもしろい人ばっかだし。キャラが立ってるっていうのは一理ある」
歩いている途中、文化祭の準備をしている生徒たちが視界に入ってくる。凛たちのようにおしゃべりしながら色とりどりの折り紙で教室に飾り付けをしたり、ワイワイ騒ぎながら出し物の宣伝に使う大きな看板に絵を描いたりしていた。みんな一年に一回しかない文化祭を楽しんでいるようだ。
しかしその一方でほかの生徒とは離れたところでぽつんと作業をしている子もいたし、無表情で黙ってダンボール箱を組んでいる子もいた。それが悪いことかはわからなかった。
文化祭が近づくにつれて学校の中はどんどんにぎやかになっていった。凛のクラスの出し物はいろんなコスプレをして接客するカオスな喫茶店だ。当日は喫茶店でウエイトレスをやりつつ、ライブの時間になったら凛たち四人組は体育館の舞台上で歌うことになっていた。凛はコスプレの衣装を作りながらバンドの練習も積み重ねていった。ニコニコした顔で喫茶店の準備をしている生徒もいれば周りが忙しそうでもさっさと帰ってしまう生徒もいた。その様子を見ながら凛は凛の仕事をした。
文化祭まであと八日となった。バンドたちの技術は上達してきたしコスプレの衣装もかわいい感じに仕上がった。準備は整ってきた、本番がんばろうと思っていた凛のところにプロデューサーがメールを送ってきた。スマホに表示されたそのメールを見るとテレビ番組出演のオファーがきたとのこと。凛は「了解です」と返信し、恒例のバンドメンバーとの練習を終え高校をあとにすると電車に乗ってプロダクションへ向かった。
プロダクションに到着し、その中の一室でプロデューサーが待っていた。
「ああ、渋谷さん、早かったですね」
「そうかな、別に急いだわけじゃないけど」
「文化祭でライブをやると聞いていたので、じっくり練習しているのかと思っていました」
「練習はしたけど、みんなうまくなってきたから、そんなに長くはやらなかったよ」
「もう準備万端なんですね。私も仕事がなければ渋谷さんの文化祭に行って、ライブを見たかったです」
「プロデューサー、仕事しすぎじゃないの。有給休暇あるでしょ」
「目の前に仕事が積み上がっているとやり遂げねばと思ってしまう性格のようで、なかなか要領よくいかない人間のようです、私は」
仕事が嫌な人もいれば仕事がきついほうがかえって楽しくなる人も世の中にはそれなりにいるんだろうなとプロデューサーを見て凛は思った。プロデューサーはそんな凛に書類の束を渡した。
「このようなテレビ番組に渋谷さんを呼びたいそうです」
凛は書類の一番上の文言を読み上げた。「今年を彩った高校一年生たちの姿、っていうタイトルなんだ。今年、特に目立った高校一年生にインタビューをするドキュメンタリー番組、か」
「ええ、渋谷さんを含め四人の高校一年生が取り上げられます。ヴァイオリンのコンテストで優勝した方、バスケットボールの神童と呼ばれた方、書道部で大活躍をした方、そしてアイドルとして成功体験をたくさん積んだ渋谷さん。今年の高校一年生は豊作だから特集しようという企画ですね。四人ですけど。オファー、受けますか?」
「受けてみるよ。せっかくプロデューサーが持ってきた仕事だし」
「オーケーです。では二枚目の書類を見てください」
自分が今年を彩ったかどうかはわからないが、番組収録の現場にやって来た三人の高校一年生はすごいやつだな~、と凛は思った。みんな背筋がピシッとしているし、表情は明るく、礼儀正しくハキハキしゃべる。自信を示しつつ謙虚なところも見せる、語彙が豊富で表現力に富む、などなど同じ学年の高校生には見えなかった。凛は甲子園で躍動する高校球児たちが自分と同じ年頃に見えないことと同じような感覚を持った。
そして収録がスタートし、四人はインタビューを受けて今年一年で積み上げた自分の成果を話し、なぜそんなことができたかを述べ、これからの目標を発表した。
凛もインタビューに答えた――「アイドル活動をするうえで気をつけていること? まずやってみることですかね。歌もダンスも難しく考えず、とりあえずやってみて、その結果を受け止めて、またやってみる。だけどそこでちょっとだけ前回とは違うやり方を試す。私がやってきたのはその繰り返しだと思います」「先輩アイドルや同僚、後輩の子たちと話すのは楽しいです。仲間たちも私に大きな力を貸してくれます。私の成功の何割かは一緒にがんばっているみんなが作ったものでしょう」「アイドル活動に果てはないのではないかと思います。まっすぐアイドルの道を進めるときもあれば迷走してアイドルってなんだ!? と悩むこともあるでしょう。それでもベストを尽くして、まずやってみることを続ける。それが私の走り方なんじゃないか、と思います……」
すべての収録が終わると、凛は控え室に引き揚げた。そこにいたプロデューサーに凛は言った。
「プロデューサー、私以外の三人はものすごい優秀な人に見えた。同じ高校一年とは思えなかったよ。でも……」
「でも?」
「ものすごい優秀じゃない高校一年生もいっぱいいるよね」
凛は学校でうかない顔をして文化祭の準備をしていた生徒たちを思い出していた。優秀に振る舞えない生徒はダメな生徒なんだろうか。自分はそうした人に対してどうしたらいいのか。プロデューサーはそんな凛を探るような目つきで見てから言った。
「今日の収録で出会った三人は、来年もものすごい優秀な三人でしょうか?」
「えっ、それはわからないよ、プロデューサー」
いきなり話題が変わったので、凛は驚いた。プロデューサーはそのまま続けた。
「私もわかりません。ただ気になるのは人間が高校一年生という立場になれるのは一生に一度だけということです。成功した高校一年とほめられるチャンスは一度しかありません」
人は歳をとっていく。そして過去には戻れない。気がついたら今日が昨日になる。やり直しはできない。高校一年生を生きられるのは一年のあいだだけ。そういうことをプロデューサーは言いたいようだった。凛も考えながら話した。
「つまり人が生きている以上は未来に向かうわけだから、すべての体験は一度きりってこと?」
「はい。だからこそ、カウンターが大事なんでしょう」
「カウンターって? 反撃みたいなもの?」
「体験への処方箋です。例えばいじめを受けているなら逃げたり、いじめっ子をぶん殴ったりするのがカウンターです。カウンターの種類はたくさんありますが、体験に向かってどのようなカウンターをしていくということが、その人がどんな人になるかを作っていくんでしょう」
「体験とカウンターは対になっているんだね。一度ずつ体験して一度ずつカウンターしていって……全部一度ずつなんだ」
「ええ。その日の体験にカウンターを繰り返していくのが日常なんじゃないか、と思います。明日はまた違った体験に出会いますが、そのときに新しいカウンターを撃てれば、強い人間になっていくのでは」
人は同じ日を二度体験できない。でもその次々来る体験の相手をして、だんだん成長する。それをするのに必ずしもヴァイオリンやバスケットボールや習字道具はいらないのだろう。カウンターがあればいい。
文化祭まであと三日。準備はほぼ整いつつあった。凛はコスプレ喫茶で使う衣装を完成させて、バンドのほうも練習を繰り返した。
そんな中、落ちこんだ顔で作業をしている生徒に凛は話をした。一緒にこっちで作業をやろう、とか、衣装に飾りを増やしたらいいんじゃないか、とか。
話しかけられた側は、うれしそうになったり、笑って受け答えをしてくれたりした。逆に凛の態度を迷惑そうに感じる生徒もいた。
凛はちょっと傷ついたが、その生徒が考える文化祭というのは凛が考えているものと違うのかもしれないと思った。文化祭をどう見てどうカウンターするかは自由だ。
文化祭当日、午後一時、凛たちのバンドが体育館の舞台上に立った。お客さんはそこそこ集まっていた。凛は体育館の舞台の中央に立って言った。
「みなさん、こんにちは。渋谷凛です。今日はかっこいい曲をたくさん歌う……気はあるんだけど、尺の都合で三曲しか歌えないんだ。それでも楽しんでくれるとうれしいな」
凛がそう言うと、バンドのメンバーがフルパワーで演奏を始めた。凛も大きな声で歌いだす。高校一年生が一回しか体験できないのなら、その体験を楽しもう。そう思い、凛はこの体験に対して楽しむことをカウンターに採用した。
お客さんも盛り上がってきて、体育館内は演奏と歓声で満たされていった。このライブの中で楽しい気分を共有できたならとてもうれしいと思いながら凛は歌い続けた。
「二曲目まで聴いてくれてありがとう。次が最後の曲だから、私たちも最高のパフォーマンスを見せるよ」
凛はバンドメンバー全員に視線を配った。みんな深く頷いた。そしてドラムのリズムが走り始め、ギターとベースが唸る。凛は歌いだした。