会話のスケッチ

 ゆかりは休憩室の一角に座って、ぼけっと窓の外を眺めていた。そこへ颯が入ってきて、ゆかりに目を向けた。
「あ、ゆかりちゃん、お疲れ様」
 ゆかりも颯のほうを見て言った。
「お疲れ様です、颯ちゃん」
 颯は自販機でジュースを買うと、ゆかりのそばに座った。颯からは汗の匂いがした。きっとレッスンを終えたところなのだろうとゆかりは思う。颯はゆかりを覗きこんで言った。
「ゆかりちゃん、元気ない顔してるね。物憂げっていうんだっけ、そういう表情」
「ええ、実は少し悩んでいることがあって」
 ゆかりの沈んだ声を聞くと、颯は身を乗り出した。
「そうなの? なら、はーでよければ相談してみてよ」
「ではお話しします。学校の生徒会長に推薦されたのですが」
 セイトカイチョウ、と颯は復唱した。
「どんなことやるの、生徒会長って」
「部活動、委員会を始め生徒それぞれの意見を吸い上げ、先生方に伝えるんです。なにか生徒間で問題が起こっているのなら解決案も作って伝えます。現場の意見を届けるわけですね。逆に先生方の指導を末端の生徒にまで伝える役割も持ちます」
「なんというか、学校をKENZENにしていくんだね」
「そのとおりです。そして生徒会長を含め、生徒会のメンバーは選挙で決めるのですが、私を生徒会長にしたいという複数の方々からの推薦を受け、このたび私が選挙に参加することになったのです」
 颯は頷く。ジュースを一口飲んで、また聞いた。
「ゆかりちゃんが悩んでいるのはそのことなのか。生徒会長になりたくないけど、推薦されちゃったのが嫌なの?」
「いえ、やりがいのある役目だと思いますし、推薦されたことを無駄にしたくはないんです。なれるならなってみたいのですが、今回の選挙は記念すべき第七〇回目の生徒会選挙で、ラッキーセブンのため、当選した生徒会長は校則を変えたり作ったりできる権利が与えられるスペシャル仕様の選挙になっているのです」
「じゃあ、ゆかりちゃんの思うままに校則を編集できるってこと? 神にも悪魔にもなれるじゃん」
「そうなんです。そこでどのような校則を導入するかが選挙の焦点になります。こうした校則を作りますから、私に投票してくださいね、と呼びかけて選挙を戦っていくわけですね」
「ほんで、ゆかりちゃんはどんな校則を作りたいかどうか、わからなかったりする? それが悩みの正体?」
 ゆかりは深く頷き、疲れをにじませて言った。
「おお、その通りです。どのような校則を導入すれば会長になれるのかがよくわからなくて……悩んでいるのはそこなんです」
「フムン」
 颯はジュースを再び一口飲んで言った。
「学校に通うみんなが楽しい気分になれるような校則を作ればいいんじゃないかな? 笑顔を増やせるような校則」
「楽しい気分を生む校則ですか……わかりました。その線で考えてみます」
「がんばってね、ゆかりちゃん!」

 その数週間後、颯が休憩室に入るとまたもゆかりが沈んだ顔で佇んでいた。
「どうしたの、ゆかりちゃん。選挙、ダメだったの?」
 ゆかりは生気のない顔で答えた。
「ええ、落選してしまいました。精一杯がんばったのですが。私が作りたい校則とみなさんの考えがマッチしなかったようで」
「ふむふむ。いい校則が作れなかったから負けた、ってこと? どんな校則を作ろうとしたの?」
「全校生徒をアイドルにしよう、という方針を立てて、レッスンの義務化やユニット結成の促進、体育館でライブを定期的に開催する、という校則を拵えようとしました。その校則に魅力を見出す方々が少なく、私の得票率は低かったのです。よって負けました」
「あー……それじゃ勝つのは難しいような」
「どうしてですか? アイドルは楽しい存在です。だから多くの人にアイドルの世界を体験してほしかったのです。颯ちゃんは、アイドルであることが楽しくないのですか?」
 ゆかりの瞳は真剣だった。颯は怖じ気づいたが、考えながら返事をした。
「はーもアイドル活動は楽しいって思うけど……Pちゃんが時々言うんだ。どんなジャンルでもスタッツと目標が不可分に結びついている奴ほどがんばれるって」
「不可分ですか」
「それと似たものじゃないかな。誰しもがアイドル活動の様々な内容と結ばれてるわけじゃない。中にはほかの生き方に合致した子もいっぱいいると思うよ。この世にある楽しいもの、愉快なものはアイドルに関したものだけじゃないでしょ?」
「そうか……私の視野もまだ狭いんですね。世界と幸福の形は様々ですね」
 颯はゆかりを元気づけるように頷く。そしてまた尋ねた。
「ちなみにほかにはどんな校則を作ろうとしたの?」
「えーと、制服をステージ上で着るようなドレスにする、というのがひとつ」
「アー」
「校歌をアイドルソングっぽくアレンジする、というのも打ち出しました」
「Do you know venus?」
「Be your venus.ほかには月に一度、珍しい食べ物を昼食にする日を作るとか。第一回目はカブトムシにするつもりでした」
「なるほど」
「あと一〇四個くらいアイデアを出しました。颯ちゃん、全部聞いてくれませんか?」
「いいよ。満足最大化、リスク最小化、後悔最小化って大切だよね」

 颯はゆかりが編み出した校則をすべて聞き取り、夜になったので寝床に入った。
 もしゆかりの校則が受け入れられていたのなら、ゆかりの学校はユニークな人材を輩出する学校になれたかもしれない。しかし、ユニークな校則になじめない奴、ルールからこぼれ落ちてしまう奴もいる。未来を少し良いものにするためには、せめて学校教室という共通点のほとんどない奴らが詰め込まれる箱の中で、自分がやっていて苦ではないことを見つけることだろう。
 そう思って颯は寝た。夢の中で、颯はレストランのようなところにいて、ウェイトレスのお姉さんが食事を持ってきた。皿の上にはカブトムシのチキン南蛮が置かれていた。これを食べないといけないのか、と恐怖したところで目が覚めた。無慈悲な攻撃を加えられた気分だった。明日も元気に行こう。

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