大石泉ちゃんの血
「泉さんに、新しい仕事のオファーが来ています。オンラインデートという企画でして……」
「どんなものなの?」
プロデューサーはそう言う泉に資料を渡した。泉はオンラインデートってなんだよと思いながら資料に目を走らせる。一読してだいたいわかった。
「ファンのみんなが私にメールを送ると、ネット上で私と遊ぶ権利を買うことができる……ネット上のバーチャルな世界で私とのデートを仮想体験できるということね」
プロデューサーは堅い表情で頷いた。泉があまり見たことのない顔だった。
「そういった趣旨の企画です……デートのシナリオは泉さんに考えてもらうことになっています。やってみますか?」
「どのくらいのシナリオを用意すればいい?」
「最低でも千パターンのシナリオを作れと言われています」
プロデューサーが乗り気に見えないのはその数字のせいなのかと泉は思い、返事をした。
「そのくらいできるよ。やってみるわ」
「わかりました」
プロデューサーはそう言って、打ち合わせの続きに移った。
翌日から泉のシナリオ作成が始まった。ファンと一緒に街を歩いたりテーマパークに行ってみたり、同じ学校に登校するようなシチュエーションを考えて、ファンとバーチャルな形で触れ合う筋書きを思いつく限り書きまくった。
がんばってシナリオを書いていると、泉は奇妙な気持ちになってきた。ファンにはいつも感謝しているから、ファンを喜ばすことができればうれしい。ただ、バーチャル世界にはファンを楽しませること以外の要素は書けない。けれどもリアル世界はそうもいかないだろう。気分が悪くなることは無数にある。それを自覚しながらハッピーなシナリオを書くのは虚しい。
泉はプロデューサーに会いにいくことにした。
「シナリオ作成の仕事なんだけど、ちょっと捗らなくて」
言った泉に対して、プロデューサーは柔らかな表情で答えた。
「ではこの仕事、蹴りますか?」
ストレートにそう言われたのには驚いたが、泉は本音を伝えた。
「そうしたくなってきてて……本当はこんな話したくないんだけど」
「泉さんが嫌なら、ここでやめてもいいと思いますよ」
「……いいの?」
「私は当初からこの仕事に疑問を持っていました。とても美しいシナリオを描いても泉さんがいるのはリアルの世界です。そこがファンの方々に嘘をついているように見えるのです。楽しいことばかりだからリアルよりバーチャルのほうが快適だというのはあまり健全ではありません」
プロデューサーは微笑して続けた。
「仕事を断ってオファー先から不評を買うと思いますが、そうした憎しみやネガティブな感情こそリアル世界の持ち味でしょう。そうした感情がプラスになることも十二分にある。ときには職場の同僚に殺意を抱くことがよい結末につながることもあります」
「だったら私はもっとリアルな世界を見ていたいな……ごめんなさい。この仕事、断ります」
プロデューサーは深く頷いた。わがままを言ったと泉は思い、快く話を聞いてくれたプロデューサーに感謝した。理想なシナリオ通りに行けば、オンラインデート企画はスムーズに進んで成功したかもしれない。泉はそのシナリオを破壊してしまった。
そこでプロデューサーが言った。
「実はついさっき新しいオファーが来ていまして……」
いずれにせよ、リアルにはいろいろな可能性があるようだった。
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