大石泉ちゃんの想像力
その歌手にはロゼという名前が付けられていた。
ロゼはとある企業が開発した人工の知性体であり、人間のような肉体は持たず、プログラムされた電子頭脳によって自律的に考え、話し、歌う。ロゼの知能は非常に高いレベルに達しており、人間と違和感なく会話できるし、歌声は美しいもので、歌い方のテクニックも巧みであり、人間の歌手が歌っているとしか思えないものだった。
音楽業界にロゼが入ってきた当初、彼女にはいくつかの疑念が向けられた。例えばロゼはただの女の子の格好をしたキャラクターに過ぎず、歌ったり会話しているのは担当している声優さんが声を充てているのだ、自律的な知性はないのだ、などという疑いが起こった。
また、ロゼが肉体を持たず、音楽番組に出演した際の歌唱やロゼが歌うライブの現場において、その場に用意されたモニターにロゼの身体の画像が表示され、画像が歌ったりトークしたりするのも疑いを集めた。こいつはただのCGで、裏では誰かに操作されているロボットに過ぎない、と。
しかし徐々にそれらの疑いは収まっていった。一例として、ロゼは文字通り24時間休まずSNSに自分の考えを投稿した。人間ならば睡眠を必要とするはずなのに、ロゼは深夜でも早朝でも、時間を問わずSNSの記事を積み上げ続けた。記事の内容も、大量のデータを埋め込まれた頭脳を持つロゼの人間に対する献身的な、優しい、元気の出てくる考え方が数多く盛り込まれたメッセージとなっており、ロゼに好意を抱くファンの数は増え、人工の知性体がここまでできるなんてすごい、とロゼの社会における評価はどんどん伸びていった。
それと並行して歌手としてもロゼは成功し、ヒット曲を連発した。どの曲も聞けば活力が湧いてくるもので、落ち込んだときはロゼの曲を聞けば高揚するというイメージが定着した。
心を揺さぶる歌を発しているのが人間ではなく人工の知性体であるという事実は、ロゼの作り込まれた機械としての完成度の高さをあらわし、人間よりも優れた存在であると、ロゼを神格化する事態につながっていった。
泉の曲の評価は安定しなかった。ヒットチャートの上位に入ることもあれば、散々な出来栄えになったりする。それは泉のスキルの問題でもあったし、ほかの有名アーティストがたまたま泉と同じ時期に新曲をリリースしたから売り上げの面で負けてしまった、ということでもあった。
その一方で、ロゼの繰り出す曲は大ヒットした。エネルギーに満ちた歌唱に加え、人間には発することのできない高さの声を出したり、息継ぎなしで長い歌詞を一気に歌うといった曲芸を軽々とこなすこの機械は、芸能界において独特な、かつ強大な力を持っていた。
そんなロゼの快進撃を見ながら、泉はどうやったらロゼを凌駕するアイドルになれるだろうか、としばしば考えた。人間にはできないことをやってのけるロゼに対して人間が優位に立つことはできるのか、できないのか。
泉の同僚たちも、ほかのプロダクションに所属している者たちも、ロゼの活躍に緊張感を持っていることを泉は感じていた。ロゼはすごい。だからみんなロゼを追い越そうとする。それは苛烈な競争だった。
どうやったらロゼを越えられるか。それは努力するしかないと泉は思っていた。ヴォーカルレッスンに励み、同時にダンスの完成度を上げていく。いろんな創作物に触れてコミュニケーションスキルを高める。人間にできるのはそれくらいだと泉は信じ、がんばった。
けれどもロゼは強敵だった。時が経つにつれロゼの知性は発展し、聡明になり、歌は美しくなり続けた。もはやロゼを止められるアイドルはいないのではないかという声が、少しずつ増えていった。
「大石さん、こんな企画があります」
プロダクション内の執務スペース、そこでプロデューサーは泉に企画書を見せた。泉は素早く目を通す。
「新曲をデザインするチームを組むと。それで、私もそのチームの一員となって協力しながら曲を作っていくのね」
「はい。チームの面々はそこに記された通りです。この企画の目的がなんだかわかりますか、大石さん」
「多分だけど、ロゼを越えるための試みでしょ」
泉がそう言うと、プロデューサーは深く頷いた。
「そのとおりです。ロゼにできないことを捻り出して対抗するのです。チームの中で、大石さんは歌詞を作るメンバーとなりますが、やってみますか」
「うん……ロゼは気になるし、やってみたい」
ロゼを追い抜かす作戦に自分も参加するのだと泉はドキドキして、次いでわざわざチームを組み手間をかけて曲をデザインするという形を取るあたり、これは事務所もかなりロゼに脅威を感じているのだろうと考えた。ならば、自分もより一層がんばろう。
そう思って泉はプロデューサーと詳細を詰めていった。
そして曲のデザインチームとして、泉は歌詞の原型となるアイデアを出さねばならなかった。それがまた難しいのだった。ロゼの美しい歌や態度に対して揺さぶりをかけ、ロゼに対抗するのが泉たちの目標だったが、ロゼは正しく、優しい歌手だった。それをどう揺さぶるかがわからない。ロゼを批判すればいいというものでもないし。
そんな日々の中、泉は事務所の休憩室のテーブルの上にノートを広げ、アイデアを練っていた。いい揺さぶり、いい奇襲、いいサプライズはないかしらと。だがいろいろ思い浮かんだことをノートに書き込んでみても、きれいにまとまらない。
こんなんじゃ仕事にならないよ、と泉が頭を抱えていると、誰かが休憩室に入ってきた。
「おや泉さん、お疲れ様です」
「ありすちゃんか。お疲れ様」
入ってきたのは同僚のありすだった。自販機でいちごミルクを買ったありすは、泉の近くに座った。ありすは泉の字で真っ黒になったノートを一瞥した。
「難しい公式でも解いているんですか? それともプログラミングのソースコードを書いているのですか?」
泉は握りしめていたシャーペンをノートの脇に置いて言った。
「ううん、歌詞のもとになるアイデアを練っているの。ロゼを越える曲を作るためにね」
「ロゼさんですか。あの人工知性体の。機械と人間の競争ですね、最近の芸能界は。私は機械より人間のほうが好きですけど」
そう言うありすの持つ、ピンク色のいちごミルクの紙パックを見ながら泉は聞いた。
「どうして?」
「そうですね……カードゲームをやっているとよく思うのですが、対人戦では『この状況でそんな効果を持ったカードを使うなんて!』とか『そのカードの使い方として、それはありえないでしょ! でもそれ、めちゃくちゃ強い使い方じゃないか!』とか意外なカードが飛び出てくるおもしろさがあります。相手がそういう想定外のカードを使ってきてこちらが負けることもありますが、それでもいまのはおもしろい試合だったな、と思います」
本来のカードのデザインを覆したプレイがおもしろい、ということらしい。泉はそこが気になった。
もともとカードを製作した側の想定から抜け出て、自分の感覚でそのカードの機能を利用していくというのは本来なら最適解と定められていたものに反する使い方だ。それでもゲームは楽しく進行するとありすは言っている。一枚のカードに書かれた効果を見て、対戦しているプレイヤーが「それはありえないでしょ!」と思うくらいありえないカードの使い方を想像できる人がいる。
ありすはいちごミルクをストローで吸いながら仏頂面でスマホをいじり始めた。泉はノートのページをめくり、たったいま浮かんできたアイデアを書き出していった。
人間には想像力がある。それは現実を超えたものを見る力だ。現実に存在するのが困難なもの、簡単に触れないもの、知られていなかったもの、そうしたものを想像することに人間は長けている。
ロゼは常に模範解答を出すが、世界にはほかの答えもある。最適解ではなく、間違っているかもしれないけど別解を出せる、それが人間の想像力だ。
不可能な恋、と泉はノートに書いた。男女が想い合って結ばれるラブソングは王道を行く正しい答えだろう。ロゼ的な答えだ。だが、結ばれるのが不可能な恋だってあるはずだ。自分が恋心を抱いた相手がこちらをそれほど好きじゃなかったり、年齢の差、能力の差で叶わない恋もある。恋愛においてなにを重視するかについての隔たりがあって結ばれない恋だってある。その実らせることが不可能な恋、それがどんなもので、どう進んで、どういう形になるか想像してみよう。泉はノートに字をたくさん書き始めた。
泉たちがデザインした曲がリリースされてから三ヶ月くらいたったころ、プロデューサーは泉に事務所に来てほしい、と連絡を入れた。泉は新しい仕事かなと思いながら事務所に足を運んだ。
「大石さんにロゼと共演してライブをやってほしいというオファーが来ています」
泉を待っていたのはプロデューサーのそんな一言だった。泉は驚いたがおもしろいとも思った。泉は嬉しそうに頷いて答えた。
「それはなかなか興味深い話ね。ロゼと一緒に会場を盛り上げられたら楽しそう。やってみたいな」
「共演はOKと。わかりました。ですが本題に入る前にお話ししておきます。ロゼはそう遠くないうちに引退するそうです」
「えっ、なんで」
そう声を上げた泉に対してプロデューサーは抑えたトーンで言う。
「私も詳しいことは聞かされていません。ロゼの運用コストがかかりすぎているからではないか、と個人的に思っていますが」
「そっか……じゃ、いい形のライブにして、ロゼにいい思い出を作ってもらおっか」
人工の知性体と人間が組めば、どんな効果が生まれるだろう? それはきっと泉にとっても、誰にとっても、多大なサプライズになるだろう。自分がそういうアクションを起こせる世界にいるというのはとても幸福なことだ。
泉はわくわくしながらプロデューサーの話を聞き入った。
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