大石泉ちゃんが映る海
プロデューサーが持ったタブレット端末にはステージ上で歌い踊る泉の姿が映っていた。前回のライブの映像だ。端末の画面をタップすると、視点が切り替わって別の方向から見た泉が表示される。泉はじっと画面越しに自分を見た。
「近日リリースされる、スマホやタブレットで大石さんのライブ映像を見ることのできるアプリです。タップで視点を変えることもできます」
「いつでもどこでも私の姿を見られるというわけね。これは私をオープンにするアプリか」
プロデューサーは少し驚いたようだった。
「オープン、ですか」
「例えば私のダンスを真似ようとしたとき、このアプリを立ち上げれば様々な角度から私の動きを観察できるんでしょ? それによってダンスや振り付けの構成がよくわかる。ダンス以外にも、ライブ中の私の表情とか歌い方がすべて公開される。このアプリで大石泉のソースプログラム、内部構造が誰にでもオープンな状態になる、と私は思ったの」
「私は高性能な動画再生アプリだ、ぐらいの認識でしたが大石さんの情報をオープンにする面もあるのですね」
シリアスな顔をして頷くプロデューサーの横で、泉はタブレットをぽちぽちと操作して視点をいろいろな方向へ変えた。複数の方向から自分を見るのは不思議な感じがする。
プロデューサーが言った。
「アプリの発売後、また大石さんのライブをやります。その際の情景も撮影し、撮れたデータをアプリに追加します。さらにライブをやるたびにアプリをアップデートさせて、更新された映像がどんどん増えていく形となります」
「ライブをDVDとかにまとめるんじゃなくて、アプリにまとめるのね。おもしろそう」
「では詳細をお話しします」
泉をオープン化すれば人気は拡散するだろうし、いつでもライブを再生できるツールがあればファンたちもより喜ぶはずだ。良いことだろうと思って泉とプロデューサーは打ち合わせを続けた。
そして次なるライブの日となった。美しい衣装をまとった泉は緊張と期待を抱えてステージに立つ。観客席は泉のファンでいっぱいだ。泉ちゃーん! と歓声が上がる。ここにいるみんなが泉を応援してくれていると思うと泉のやる気はフルスロットルになり、緊張が吹き飛んでいく。泉は最初の曲を歌い始めた。
泉は歌いながら、この様子も撮影されてアプリに収録されることを思い出す。自分の情報はさらにオープンになり、家の外にも持ち運べるデバイスにインストールされて好きなときに再生される。
ではいま自分がやっていることはなんだろう。ライブ会場のスペースは有限だし、当たり前だがライブを行う日とライブ全体の尺はあらかじめ定められている。場所も時間も限定されているのだ。この場にいる人間しかライブを体験できないとなると、いま現在歌っている泉は誰にでもオープンになっているわけではない。オープンの反対、クローズだ。
アプリを起動すれば泉のライブを誰もが楽しめる。しかしクローズな舞台にもお客さんは集まる。どうしてそうなるのだろう。
無事にライブが終わったあと、泉は控え室でプロデューサーに聞いてみた。
「プロデューサー、どうしてお客さんはライブに来てくれるのかな。ライブの様子を見たいのなら、あのアプリを使えばいいのに」
プロデューサーは泉を見て言った。
「生きている大石さんの歌が聴きたい、となればライブに足を運ぶしかないからです。CDや動画でも大石さんの歌を聴けますが、大石さんの声を直接、リアルタイムで耳にするにはライブ以外の機会はないでしょう。なにせ大石さんはこの世にひとりしかいないのですから」
「クローズにも魅力があるってことか」
誰にでも対して開かれている泉と、個としての泉。どちらもファンが望んでいる泉だ。では、泉自身はどちらを信じているのだろう? 携帯されて拡散していく自分か、決められた場所だけに現れる自分か。それはプロデューサーに聞いても分からない。泉は考え始めた。
後日、自分のライブを見られる例のアプリをスマホにインストールした泉は、自身のライブ映像を見ていた。外側からライブ中の自分を見ていると、画面の中の泉と目が合った。
この映像には欠けているところがあると泉は気づく。泉の姿を外から見ることはできても、歌っている泉本人の視点から見た光景は、このアプリでは見ることができない。そこはオープンにできない、大石泉だけが見えている世界だ。
自分は常にクローズな視点でライブを見ているのだと泉は思った。そしてそれに悪い気持ちは抱いていない。むしろお客さんを前にして緊張感と期待を持って歌うライブは楽しい。
生のライブが時間と場所と視点とマネーが有限のクローズな場であるからこそ、その瞬間が愛おしいものになる。好きなだけ映像を再生できるオープンな状態では得られないことを、クローズなライブで成し遂げているのだ。
限りがあるからこそおもしろい、ライブとはそういうものなんだと泉は思った。信じるべきはそこだった。
「大石さん、次のライブが決まりましたよ」
プロデューサーが泉に企画書を見せて言った。泉はそれに目を通す。
「今度のライブでもアプリ用の映像を撮ると……え、特別仕様のダンスをやる? デラックス版の振り付けを盛り込んだリミッター解除V-MAXウルトラダンシングマスターレベルダッシュターボスーパーチャージャーヴァージョンアドバンス改弐式のダンスを披露……本当にこれやるの? メチャクチャ難しそうなんですけど」
プロデューサーは無表情で返した。
「修正したいですか、この企画」
「うーん、難しいダンスをやるっていうのは大変だけど、それを誰がやるかといえば、私自身がやるのよね」
「そのとおりです」
「ダンスをしている私はなにを見るのかな。それを確かめてみたいわ」
「では企画を引き受ける、のでいいですか」
「うん」
有限なものに価値を見出すのは人間らしいことだろう。いつかプロデューサーが言っていたように、この世に大石泉という人間はひとりしかいない。泉のファンもひとりずつ違う心を持った個人だ。そんな人間たちが集まってひとつのライブを成功させるのは泉にとって誇りに思えることだった。
見えている景色を変えていくアイドルになろう。泉はそう思い、プロデューサーの説明を聞く。
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