久川颯ちゃんの戦術
所属プロダクションに向かう電車の中、座席に腰を下ろした颯はバッグから漫画の単行本を取り出した。ここのところ人気に火がついて大ブレイク中の、いま最も熱いバトル漫画の最新刊だ。様々なヒーローたちが特殊なスキルを操りドカドカ戦っていく展開が売りで、作画もかっこいいし、擬音、コマ割り、キャラクターのアクションと台詞回しで構成されるスキルの効果の描写が美しく、インパクトのある漫画だった。
自分もド派手で強力なスキルというか、必殺技のようなものがほしいなと颯は漫画を読みつつ思った。颯はまだ中堅アイドルで、技術も経験も足りない。いつかトップの座に辿り着きたいと願っているが現実はなかなか変わらない。颯より売れているアイドルはたくさんいる。
世界のてっぺんに登って一瞬で超人気アイドルになれる最高に強力な必殺技が自分にもあれば楽なのに、などと考えながら颯は単行本のページをめくった。
漫画を読み終わる前に電車はプロダクションの最寄り駅に到着した。颯は電車から降りてプロダクションまで歩く。今日はダンスレッスンのあとプロデューサーと打ち合わせがある。
プロダクションに着いた颯はレッスンスタジオでダンスの練習をした。繰り返し練習しているから颯のダンスはまずまずの出来栄えだった。でも一流アイドルと比べればまだ未熟だと感じてしまう。他人と比べてばかりいるのはよくないとわかっているのに……
自分はどこに向かって進んでいくのだろう、そう思って颯はレッスンを終えた。プロデューサーと打ち合わせをするため別室に移動する。
颯が部屋の中に入るとすでにプロデューサーがいた。椅子に座ってタブレット端末を見ながら手帳にメモをとっている。颯は言った。
「Pちゃん、おはようございます」
「おー、颯。おはようございます」
プロデューサーは颯のほうを見て言った。颯はプロデューサーの向かいの椅子に座る。打ち合わせはシンプルなものだった。強烈なインパクトのある仕事はなく、ちらほらオファーが来ているのでひとつずつこなしていこう、とふたりは話し合った。話がまとまると、颯は言ってみた。
「ねえPちゃん、はー、必殺技がほしいんだけど」
「必殺技ってなんだ。アバンストラッシュとかかめはめ波とかか」
いきなりなにを言うのか、という表情でプロデューサーは応じた。颯はがんばって自分の言いたいことを言葉にした。
「人気アイドルになるための技っていうか、一発で成功できるぶっ壊れスキルっていうか……とにかくものすごい高いところまで行けちゃうハイパーな大技がほしくって」
「具体的にはどんなものだ? 言ってみろ」
プロデューサーは頷いてからそう言った。颯はさらにがんばって説明した。
「ええと、歌が上手くなって、ダンスのレベルも高まって、ルックスもかっこよくなって」
「ふむふむ」
「あとは、その、頭がよくなるとか」
颯は考えながら言う。プロデューサーが口を挟んだ。
「頭がいいってのはいろいろなタイプがあるだろう。難しい数学の問題をあっさり解けるとか、世界史に詳しいとか、読解力があるとか、哲学的思考ができるとか」
「うー、まあ、全般的に知識が豊富な人になるっていうか。ほかには運動神経が抜群にパワーアップするとか、そういうの」
プロデューサーは再び頷いた。「ほんで、颯は、どうやったらそういうスキルが自分の身につくと思う?」
「……練習して、努力すれば身につく、と思いたい」
颯は小さい声で言った。それぐらいしか颯は回答を持っていなかった。知識を求めるなら勉強をたくさんすればいい。歌とダンスも鍛えれば大丈夫。スポーツに励めば運動神経は鋭くなる。すべて当たり前の話だ。時間をかけてじっくりやればいろいろな力が備わるのだろう。しかしそのじっくりやることがうまくじっくりやれなかったらどうしよう。そこが恐ろしい。
プロデューサーは少し笑った。
「わかってるじゃないか。コツコツ練習を積み重ねれば颯だってすごい力をゲットできるよ。颯の年齢を考えればあと十年はアイドル活動に打ち込める。時間はかかるかもしれんが、そのうち颯も大ブレイクするさ」
「うん……」
十年後ではなく、いますぐ必勝のスキルがほしいのだと颯は思ったが、口には出さなかった。プロデューサーだって担当アイドルがトップクラスの人気者になることを望んでいるだろう。その望みを叶えるなら、やはり颯自身が努力し続けるしかない。
そのあとの日曜日、予定がなにも入っていなかったので颯は暇つぶしと気分転換を兼ねてスマホゲームをプレイすることにした。起動したゲームはキャラクターを育ててモンスターと戦わせるノンフィールドRPGだ。颯はかなりこのゲームをやりこんでいたので操作するキャラクターは高いレベルまで育っている。スマホをぽちぽちすればキャラクターが派手なエフェクトとともに技や魔法を放ち、敵モンスターを蹴散らしていく。
モンスターを倒すと経験値や武具を生成するための素材が得られる。それによってキャラクターを強化して、育ったキャラクターをまた戦わせる。そうして最強のキャラクターを作っていくのがこのゲームだった。
寝っ転がってスマホをいじりながら颯は考えた。現実の世界にもこんなふうに成長できるシステムがあればいいのに。敵を倒して経験値を貯めればどんどんレベルアップできるシステムがあればなにも難しいことはないのにな。
だがこのゲームを開発した会社もたくさん努力をしたんだろう。企画を立て、キャラクターとモンスターと武器防具をデザインし、コードを書いて、バグを潰して、シナリオを考える。そうした開発側のスタッフ全体が踏ん張った結晶としいてこのゲームがある。簡単に作り出せるものじゃないだろう。
颯はゲームを閉じて、立ち上がる。外に出ればもう少し気分が変わるかもしれない。街中を軽く散歩することにした。
そうして外を歩いていると、空から大きな音が響いた。見上げれば飛行機が編隊を組んで飛んでいる。青い空を自在に駆ける飛行機を見ていると、なんだかドキドキしてきた。行手には広場があり、そちらに目を向ければ、「戦闘機飛行ショー」と書かれたアーチ状の看板が見えた。同時に、大きなカメラを持った大人たちが広場へ歩んでいくのにも気付く。これはおもしろいかも、と思って颯は広場へ足を運んだ。
戦闘機飛行ショーのアーチをくぐって広場に入るとたくさんの人で賑わっていた。戦闘機を模したキーホルダー、プラモデルなどのグッズを売る店があるかと思えば焼きそばやじゃがバターを売っている出店もある。なんだか盛り上がってるなと颯は周囲から熱気を感じた。
多くの人が笑いながら空を見ていた。颯も空を見る。戦闘機が空を美しく舞っている。ふと背後から聞き覚えのある声がした。
「颯……?」
「うん? ああ、のあさん」
声をかけてきたのは同僚の高峯のあだった。颯は振り返ってのあのほうを向く。シンプルな服を着ていたがのあ自身のスタイルがいいのでかっこよく見える。
「のあさん、どうしてここに? 戦闘機に興味があるの?」
「最近はミリタリー系の知識を得ようと思っていて……戦闘機を生で見るのもいい経験だと感じたから来てみたの……颯はなぜここに?」
「んー、なんとなく寄ってみただけ」
「そう……」それ以上のことは聞かないのあだった。
再び空から轟音。アローヘッドを組んだ四機の戦闘機が飛んでいる。のあはそれを見て言った。
「あれは……ラプター……まさか生で見られるとは……」
「なんかスペシャルな機体なの?」
「世界最強とされる戦闘機よ……凄まじい性能を持っているけれど製造コストが高すぎるから限られた数しか量産されなかった……」
「うーん、最強は最強で欠点もあるわけか」
「そうね……戦闘機の強みというのはいろいろな種類がある……」
ふたりが話している間にもイーグルやF-2が空を飛んでいく。まっすぐ飛んだり、宙返りをしたり。バレルロールしたり。
「例えばスピードの速さも戦闘機の強みね……」
「速く動けるから、相手の弾に当たらない、よって強いってこと?」
「そういうこともあるけれど……空戦中に負けそうになったら高速で戦場から逃げられる、というところもポイントだわ。戦闘機の燃料は有限……スピードを出して逃げる相手を追いかけようとすると燃料を過度に消費してしまう……そうすると追うほうは燃料をより多く補給する必要が出てくる。するとそこで追う側はリソースを削られる……」
それならば、もしも搭載している武装が貧弱でもスピードがあれば相手の燃料を減らす戦法が使えるんだなと颯は考え、さらに聞いた。
「ほかには?」
「上昇速度が速い、というのもあるわ……敵がやって来たら一秒でも速く上昇し、迎撃できたほうが強いでしょう……もしくは航続距離が長いというのも強みだし……あるいは基本設計が優れているというのも強力な要素だわ。基本的な設計がまとまっていれば、エンジンを換装しただけでスムーズに性能が上がる……ステルス性も重要だし、もちろん搭載できる武装が多いというのも強さのひとつね……設計思想がパイロットに気に入られて、快調に飛べるという点も強いと言える……」
「強さにもいろんな形があるんだね」
アイドルもそうなんだろうと颯は感じた。強さを測る物差しはひとつじゃない。
「そうね……あら、あの機体は」
颯がのあの視線を追うと一機のプロペラ機が飛んでいた。これまで見ていたのがすべてジェット機だったから、そのプロペラ機はなんとなく迫力がないように見えた。
「あの戦闘機がどうかしたの、のあさん」
「あれは旧日本陸軍の四式戦、疾風よ」
「ハヤテ? はーと同じ名前の戦闘機があるんだ」
のあは疾風から目を離さないで言う。
「字は違うけれどね……飛行状態を拝めるなんて、レストアされたのかしら……」
「あの戦闘機も、強かったのかな?」
颯はゆっくり飛翔する疾風を目で追いながら言った。のあは答えた。
「第二次世界大戦の後半に作られた機体で、性能はかなりよかったわ……でも問題は機体そのものにあるのではなく、戦局の悪さにあった……日本軍が疲弊し、機体に組み込むパーツの精度が劣化したり、燃料の質が悪くなったり……そもそも工場が空爆されて量産が阻害されたり……機体本体が弱かったわけではないのに、力を思うように発揮できなかった……」
そう言ったのあに対して、颯はつぶやいた。
「戦闘機は強いところもあるし、弱いところもあるんだね。だけど、なにかが攻めてきたら、乗って戦うしかないんでしょ? こっちの機体が弱めで、相手の機体がメチャ強くても。こっちの勝ち目が少なくても」
颯の言葉を受けて、のあは少し黙った。颯がなにを言いたいのかを考えてから口を開いた。
「負け戦はやらないほうがいいでしょう……勝ち筋が細い戦いはやっても苦しいだけだわ……でも、そうね……負ける可能性を認めつつも戦うしかない、というときもあるでしょうね……そういう勝負になったら、勇気を持って戦うほうがいい……その戦いの結果、得られるものもあるでしょうし……」
はーも、同じだ。辛くても戦い続ける、それが強さなんだ。颯はそう思い、戦う意志を己の中に作ろうと思った。トップアイドルになるためにいろんな嫌な目にあうだろう。戦い続ける中で失敗することもたくさんあるし、クソどうでもいい仕事をやらされることだってある。けれどその中で颯の強さを自分の外側に向けていくこともできる。努力する最中に挫折することがあっても、再び戦うために空へ上がりたい。それがきっとトップアイドルへの道につながっていく。
後日、颯はプロデューサーと喫茶店で話をしていた。その日は妙に暖かい日で、グラビア撮影を終えたあと、冷たい飲み物がほしいと颯が言ったので近くにあった小じんまりとしたカフェに入ったのだった。颯はサイダー、プロデューサーはアイスココアを注文した。
「Pちゃん、来月のはーのスケジュールってどうなってんの?」
颯がサイダーをストローで吸ってから言うと、プロデューサーは手帳を開いた。
「来月はかなり忙しいね。TV番組にも出るし、ラジオに出るって話も動いてる。颯のソロアルバムを作ろうっていう企画も構想段階にあって、それが進むかも。あとは、会場は小さいけどライブも何回かやるよ」
「おっけ。どんどんお仕事して、はーもいろんなことができるアイドルになろーっと」
プロデューサーはアイスココアを飲んだあとに言った。
「いろんなことができるアイドルか。マルチロールの戦闘機みたいだな」
「おっ、Pちゃんも戦闘機に詳しいの?」
「にわかミリオタ並の知識しかないよ。でも戦闘機、特にジェット機はけっこう好きだ。こないだ飛行ショーをやってたんだが、見に行きたかったな。用事があって行けなかったんだけどさ」
「ふ〜ん」
「なんだその顔は。ニヤニヤして」
「なんでもないよー」
そう言って颯はニッコリ笑った。颯の戦いはこれからどうなるのか。勝利と敗北、好調と不調の渦巻きだろう。それでも戦場に留まって、努力を続けたい。挫けずに飛んでいたい。颯は自分の中に勇気が宿ったのを感じた。