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依田芳乃さんの一品

 芳乃が一週間前にリリースした新曲の評判は上々だった。売り上げもよかったし、内容に関してもクオリティの高い曲であるという評価がたくさん寄せられた。
 しかし芳乃はちょっとばかり不安を感じていた。自分に高評価が集まってくるのはうれしいが、リスナーから応援されているということはもっと芳乃に成功が望まれているということで、次々と良い結果を出していかねば、芳乃の歌を聞いてくれる人たちをがっかりさせてしまうだろう。できるならばもうちょっと成功体験を重ねたい。
 一生懸命仕事をして、良い成績を出してこそ立派なアイドルだ。だからこそがんばらねばいかんのだ。そう思って芳乃は次々と仕事をこなしていった。テレビに出たり握手会をしたり空いた時間があればダンスや歌の練習をしたりと毎日とても忙しかった。
 プロデューサーはそんな芳乃を事務所に呼び出し、次の仕事が来たぞ、と話を始めた。
「ラジオ番組にゲストとして出ないか、という話が来ている。やるか?」
 プロデューサーは開口一番そう言った。それだけでは話が全然わからなかったので、芳乃は聞き返した。
「まずどんならじお番組なのかを把握しないとなんとも言えないのでしてー」
「あー、これは失礼。クラシック音楽についてあれこれ話す座談会みたいなことをする番組だ。その座談会に芳乃を招きたいんだと」
「くらしっく音楽に関しては、あまり知識がないのでしてー。なぜそのようなわたくしに声がかかったのでして?」
「そりゃあ、芳乃がここ最近、熱心に仕事をしていて、ファイトしていて、いい結果を出して、成功している人間だと思われているからだ。仕事ができるヤツだ! と評価されているわけよ。すばらしいことだと思わない? yeah!ってなったよ、俺は」
 それを聞いて芳乃はじんわりと快感を得た。自分は成功しているのだ。一生懸命に仕事をしていて本当によかった。がんばれば評価と新しい仕事はやってくる。それに適切な形で結果を出していけばもっと成功する。このスパイラルをモノにできる人間に自分はなったのだ。いいことだ。しかし喜んでばかりもいられない。自分にクラシック音楽の知識がないのはハッキリしている。
「高く評価されているのはとても幸福なことでありますがー。けれども先のとおりくらしっく音楽に関してわたくしは詳しくおりませぬー。ほかの仕事やおーでぃしょんの予定も詰まっておりまして、いまから知識を蓄える時間を持つのは難しいと思うのですが」
 するとプロデューサーは「心配するな」と言って数冊の本とDVDを芳乃に手渡した。そして鼻の穴を膨らませ、プロデューサーは語った。
「この本とDVDに目を通せば基礎的な知識は身につく。俺が厳選したクラシック音楽初心者向けのバイブルたちだ。これさえあればトークに切れ味が付くからなにも心配はない。こうやってアイドルのピンチを救うためにプロデューサーという生き物は存在するのだ……さあ、早く読め、早く見ろ。三日あれば芳乃もクラシック音楽についてそれなりに話せるようになる。あとは本番でのがんばり次第だ。芳乃ならうまくやってくれると思っているよ」
 芳乃は本とDVDを両手でしっかり持った。
「そなたの手助け、まことにありがたいものでしてー。きっと良い仕事ができると思いますので、誠心誠意、勉強いたしますー」
「おう。がんばれ芳乃。がんばっているアイドルを見るのがプロデュース業の楽しいところだからな」

 そして芳乃は座談会に出演し、バッハのトッカータの楽譜はそっけないだとか、ベートーヴェンはウィーン古典派であるとか、クヴァンツのリズム感は心臓の鼓動をもとにしているとか、プロデューサーがくれた本やDVDから得た知識をヒントにして話を展開していった。座談会は盛り上がり、芳乃は注意深く話に耳を傾け、流れを読み取って適切なタイミングで会話に参加した。そのまま出席者全員が気分良く話をして座談会は終わった。
 今回もまた成功体験が積めた。自分が得意とは言えない仕事もちゃんとできた。今後もまた新しく仕事が来るだろう。それも成功させていきたい。この調子で成功し続けたいな。芳乃はそう思った。しかしなにか引っかかるところがあった。
 確かに自分は仕事を良い形に仕上げられた。どうやって? 初心者向けの情報をひたすら取り込んで、頃合いを見計らって出力したからだ。こんなふうに小さくまとまった知識を組み立てて発信していけば、もっと成功できるのだろうか。浅い知識を集めればもっと多様な仕事が来ても対応できるのだろうか。一まとめのセットになった情報を仕入れることが成功の鍵なのだろうか。芳乃はわからなくなってきた。

 事務所の中、プロデューサーは自分の席で新聞を読んでいた。芳乃はそっと近づいて声をかけた。
「そなたー、いま時間が空いておりますか?」
 プロデューサーは視線を新聞から芳乃に移した。
「おっ、芳乃か。どうしたんだ? いまんとこ暇だが」
「ならばわたくしの話を聞いてほしいのでしてー」
「じゃ、会議室に行くか。誰も使っていないだろう」
 ふたりは別室に移動し、芳乃は話をし始めた。セットにまとめられた知識をどう捉えていけばいいのか。座談会の仕事は成功したのだから、今後も似たような仕事が来れば、知識を詰め込んで対応できるだろう。しかしそれが芳乃が望む成功なのかはちょっと怪しい。知識を詰め込むことによる成功と不安について芳乃は話した。
 プロデューサーは芳乃の話を聞き終え、腕を組んで言った。
「セットにまとまった知識というのはパッケージ化された知識のことだな。これを押さえておけばオッケーという」
「あのラジオ番組の仕事のとき、そなたがまさにやったのが知識のぱっけーじ化でしてー。それによってわたくしは成功しましてー、それは良いことだと思うのですが、すっきりしない感じがいたしまして」
 プロデューサーは頷いた。
「良いか悪いかで言えば、パッケージ化された知識というのは悪いことじゃないと思う。簡単に必要な情報を揃えられるんだからな。ビジネス書や自己啓発本なんかは知識や情報を完全にパッケージ化して、誰でも簡単に優れた技術をゲットできるように書かれている。こういうステップを踏めばイノベーションを起こせるんですよ、ってな。パッケージ化というのはわかりやすく、使いやすくすることだ。だから知識を得るためのツールとしてはとても便利なんじゃないか。芳乃が気になっているのはツールをどう使うか、どう見るか、ということだろう」
「わたくしなりにぱっけーじ化された情報について考えろということでして?」
「芳乃には芳乃なりの見方があるだろう。俺はパッケージ化された情報や知識というのは抜群に役立つを思っているよ。芳乃はどうだろうな」
「ふーむ、考えてみるのでしてー」

 仕事がひと段落した休日、芳乃は少し遠い町に出かけることにした。なんでも、日本で一番おいしいお煎餅を売っているお店がその町にあるという。お煎餅が大好きな芳乃は是非行かねば、と思って電車に乗って町へ向かった。
 座席に腰掛けると、まもなく電車が動き出す。芳乃の目的地までいくつもの駅があり、途中の駅につくたびにお客さんが乗ってきて、車内は混み始めた。
 そのうち、芳乃の前に立っていたふたりの男性が話をし始めた。
「あの監督の采配、謎すぎるよ。なんであんなタイミングでピッチャー交代させるんだよ」と一方の男性。
「確かにあの交代は謎だったね。なんか考えとるんかな?」ともう一方の男性。どうやら野球について語っているらしいというのが芳乃にもわかった。
「ちゃんと勝ちパターンに合わせて指揮してれば、勝てる試合は増えると思うんだよ。なのにあの監督はパターンを自らぶっ潰すだろ? わけわかんねえよ。俺が監督だったらちゃんと勝つためのパターンを基本にして、勝ち筋を拾ってくのにな」
 最初に話した男性が言った。それに対して言われた側は返した。
「まあ、一戦ごとの勝ちパターンじゃなくて、シーズン全体を通してどうやって勝つか、というパッケージを作ってるんじゃないかと思ってるよ。ファンとしてはわかりにくいけどさ。なんかアイデアがあるんよ、きっと」
「だといいけどなあ」
 そう言っているうちに男性たちはとある駅で降りていった。今度は大学生ぐらいに見える女の子の二人組が芳乃の前に立っておしゃべりをし始めた。
「ねー、エクセルっておもしろいよね〜」
 と一方の女の子が言った。言われたほうの女の子も陽気な表情で言った。
「あれいいよね〜。グラフ作ったり関数で計算するだけじゃなくてさ、オートフィルとかもできるじゃん。あとこのセルの値が30000以上だったら緑の背景にする、とかさ。いじればいじっただけ反応が返ってくるじゃん」
 芳乃はそれを聞いて表計算ソフトにそこまでのエンターテインメント性があるのか……と少し戸惑った。女の子たちは話を続けた。
「もっと使いこなそうとしたらマクロVBAとかもあるわけだし、パッケージ化された一個のソフトをいろんな形で使うってなんか楽しいよね〜」
「楽しいよね〜。あ、次の駅で降りよ」
「うん。降りようね〜」
 そう言いながら女の子たちは降りていった。もうすぐ芳乃の目的地だ。すると先ほどの女の子たちよりちょっと年上に見える女性二人組が芳乃の前に立った。ふたりともメガネをかけていた。片方の女性が言った。
「まだ諦めてないの?」
「もうちょっと続けてみるつもりだよ」もう片方の女性が言った。
「でも漫画家デビューなんて無理じゃない? 仮にプロの漫画家になったって、十年、二十年と続くかどうか」
「でもあたし漫画を描いてるとめちゃくちゃ楽しいし、まだ諦めたくないよ」
「私は同人作家レベルで満足だけどな」
「あたしは同人じゃ物足りない。プロの世界で4コマ漫画描いていたい」
「だけどさ、最近の4コマなんてパッケージ化されてるじゃん。高校生くらいの女の子を主人公にして、部活とか委員会に所属させてあとはイベントをこなしていってどうこう、って。そういうパターンとかシステムが出来てるっていうか」
「最近は一風変わった4コマも多いよ。それに、ありがちなパターンとかパッケージ化された構図があるからこそ、それを参考にしつつ、それからちょっと外れた新しいものを描いていこうって思える」
「諦めたほうが楽だと思うけどな」
「あたしはそうは思わない。全然」
 そう言って女性たちは降りた。
 芳乃はじっと考えた。パッケージ化されたものと触れたとき、どう感じるかは人それぞれだし、パッケージの中で各々がやりたいことをやる自由がある。パッケージやパターンが組み立てられているから別なものと混ぜて組み替えることもできる。
 一個のパッケージの内容に縛られる必要はないし、自分の力でパターンをちょっとアレンジできる。そんなふうにパッケージ化であったり、ツールになった知識を自分の目で見て、自分の手で使っていけば、自分の望んだ成功に結びつくのかもしれない。目的地に着いた芳乃はいい気分で電車を降りて、お煎餅を買いに行った。

 芳乃が事務所に顔を出すと、プロデューサーが唸りながら紙になにかを書いていた。
「そなたー、いかがしましたのでしてー?」
「む、芳乃か。実は事務所の偉い人にイベントの企画を出せと言われたのだ。会場を用意して、その中でなにかしらおもしろい出し物をするのだ」
「そなたが企画を立案するのでしてー。では、みなさまを楽しませるすばらしい企画を立てなければならないわけでー」
「そのとおりだ。この企画会議でいい結果を出せれば俺の出世は加速する……だからナイスな企画を通したいのだ、是非とも。だがいいアイデアが浮かばない」
 芳乃はプロデューサーの手元を覗き込んだ。箇条書きでいくつもの文字が書かれている。紙幅の全部を埋めるように。
「ここに書いてあること全部をいっぺんにやってみたら、どうでしてー?」
「えっ、全部を一度に?」
「いべんととは祭りのようなものでしょうー。その中にぱっけーじを全部放り込んで、どこから見ても楽しめるこんてんつとしてまとめれば、多くの人がニコニコできるのでしてー」
「ううむ、パッケージの全部乗せか。それはそれでやってみたらおもしろいのかもな。よし、その案で行こう。ありがとな、芳乃」
 プロデューサーは背筋を伸ばし、文字で真っ黒になった紙に向き直った。プロデューサーにはプロデューサーの、成功させたい仕事がある。芳乃も成功したい。そのためにパッケージをどう使っていこうか、と芳乃は思った。

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