大石泉ちゃんの格闘戦
泉はレッスンスタジオの床の上で仰向けに寝転がった。身体じゅう汗まみれだった。ため息をひとつついて、寝たままスタジオの天井を眺めた。
そこへ誰かが入ってきた。泉はそちらに目を向ける。同僚の凛がいた。
「泉、お疲れ様」
そう言って凛は泉に近寄ってくる。泉は寝そべった状態からゆっくり立ち上がって迎えた。
「凛ちゃんお疲れ様。なにか用?」
「なんか泉がめちゃくちゃ難しいダンスを練習してるって聞いて、どんなものか見に来たんだ」
泉は困った声で答えた。
「確かに難易度の高いダンスね。それを今度のライブで披露するんだけど」
「今度のライブって、いろんなプロダクションからアイドルをひとりずつ集めてやるんだよね」
その選抜されたアイドルの中に、泉がいるのだった。泉は苦笑いを顔に貼り付けた。
「オールスターみたいな雰囲気を出したいって聞いてる。そんな大舞台、立派にやりきるしかないんだけど……いまの仕上がりはこんな感じ」
泉はスマートフォンを取り出して、新曲のダンスを踊る動画を凛に見せた。凛は画面をじっと見て、言い放つ。
「……なんで泉がメイド服着てるの?」
「ご主人様に恋をしちゃったメイドさんの心情を描いた曲で、私の衣装はメイド服ってことになったのよ」
「そういうのがウケるのかな、最近」
動画を見ていくと、曲線と直線が入り交じった振り付け、軽快にリズムを刻むステップ、ジャンプとターン、表情の移り変わり、とやるべきことが凝縮された高レベルな曲だということが一目でわかる。スマホの画面の中で、メイド服をまとった泉はキレのないダンスやミスを何度かしていた。
「すごいハードだねこれ。私ならできないな」
動画を最後まで見た凛は乾いた口調で言う。泉は意外な気分になった。
「凛ちゃんならできるでしょ。私よりも経験あるし」
「経験はあると言えばあるけど、それでもこんなに難しいのをやるのは厳しいんじゃないかな。よくこんな曲に挑戦する気になったね」
泉はごまかすように軽い調子で言った。
「Pがぜひ大石さんにやってもらいたいのです、って言うから引き受けたんだけど……やっぱりなかなかうまくいかないんだ。いい結果を出したいってずっと思ってるけど」
「ふーん」
そのとき泉のスマートフォンがヴヴヴと震えた。プロデューサーからのメールが届いたのだった。
『明日、午前十時半に第二会議室に来てください。渡すものがあります』
メールにはそう書かれていた。おそらくダンスに関係したものなのだろうが、なにを渡すというのだ?
「パワーアシストスーツ型メイド服?」
「はい。こちらになります」
泉がプロデューサーに会いに行くと、プロデューサーは縦長のボックスに入っている一着のメイド服を示した。
「今度のライブの曲で着る衣装よね、このメイド服」
「そうです。大石さんはダンスレッスンに苦戦しているようですし、プロダクション側も大石さんにぜひとも成功してほしい。よって、大石さんの身体能力を底上げし、ダンスをこなせるようにする解決策をとったわけです。それがこのパワーアシストスーツ型メイド服です」
「パワーアシストスーツっていうと」泉はフリルがかわいらしいメイド服をしげしげと眺める。「生体電位信号を感知して動きを補助するやつだよね。介護とかするときに使うんだっけ」
プロデューサーもメイド服を上から下まで見て言った。
「はい、このメイド服も原理は同じです。大石さんの脳が発信した信号を服がキャッチして、大石さんの筋力を上げます。これでダンスもやりやすくなるはずです」
「でもこれパワーアシストスーツ型メイド服っていうよりメイド服型パワーアシストスーツなんじゃ?」
「制作してくださった方々はあくまで本体の機能はメイド服であるという点にこだわりがあるようです。アシスト機能のモジュールは簡単に取り外せます」
「そうなのか」
泉にとってうれしい知らせだった。同時にこんな形でプロデューサーから助けを手渡されたのは驚きだった。泉は言う。
「こんな立派で特殊なメイド服、作るの大変だったでしょ」
泉の体型に合わせた寸法とパワーアシスト機能を備え、ステージ上でのみ着るメイド服なんて代物を作るのには手間とマネーがかかったはずだ。プロデューサーは泉のほうに目を向けた。
「それなりにコストはかかりました。けれども大石さんがこの曲をライブで歌い踊りきったなら、多大なリターンがある。プロダクションの上層部はそう考えています」
泉はボックスからパワーアシストスーツ型メイド服を取り出して、手で撫でてみた。思ったより軽く、さわり心地はやわらかい。この衣装さえあればダンスも楽になるかもしれない。成功を期待されているなら、それに応える仕事をしなければならないだろう。泉はメイド服を両手で持って言った。
「早速だけど、このメイド服を着て踊ってみていいかな」
プロデューサーは小さく頷く。「正しく機能するか、一度テストをしなくてはなりません。動かしてみましょう」
パワーアシストスーツ型メイド服に身を包み、レッスンスタジオに入った泉はマニュアルを読み、実際に稼働させてみた。プロデューサーは黙って泉を見守っていた。
曲のダンスをスタートさせてみると、すぐに泉は違和感を覚える。身体が軽く、手も足も腰もすばやく動いた。これがアシストの効果か、と思う暇もなく、身体はどんどん動き、苦手だった振り付けも難なくこなせてしまう。いままでできていなかったことが簡単にできた。急上昇した泉のテンションはダンスを完璧に進行させていく。
気がつけば曲は終わっていた。なのに、すごく疲れたとかきついとかいう感覚はない。傍らで泉のダンスをじっと見ていたプロデューサーが言った。
「ミスはなかったですね」
「すごい性能だねこのメイド服。身体を動かしやすいし、いっぱい動いてもそんなに疲れない。いい助けになったよ」
プロデューサーは無表情で泉の言葉を聞いていた。うれしそうな様子を見せないのが気になった。プロデューサーは言う。
「いつもとは違う大石さんでした」
「特別な衣装を着てるんだから、違って当然でしょう」
プロデューサーは間を置かず言った。
「このような特別なアイテムを用意しなければ大石さんはプロジェクトを成功させられないと考えている人間がいるのです。大石さんの実力が甘く見られていると言ってもいいかもしれません。そうは思いませんか」
「そう? せっかくもらえた衣装なんだし、そこは喜んで受け取ればいいんじゃないかな。甘く見られているっていうより、配慮してくれているんだと思うよ。なんにしても、とりあえずは目の前の課題をクリアしないと」
プロデューサーは深く頷き、淡々とした声色で言った。
「大石さんがそれでいいならいいのです。目の前の仕事を成功させましょう」
それから泉は曲の練習に没頭した。パワーアシストスーツ型メイド服はダンスに欠かせないアイテムとなっていった。ヴォーカルレッスンにも励んだがメロディは歌いやすく、そちらのほうは問題なくこなせたのでダンスに重点を置いて練習し続けた。
ライブが近づくにつれ、泉はワクワクした感情が自身の中に沸き立つのを感じた。この調子ならライブは上手くいく。ほかのプロダクションのアイドルに負けないくらいの輝きを生み出せるはずだ。
あと三日でライブ、というところまで来て泉はダンスの仕上げをすることにした。レッスンスタジオでメイド服を着て、曲の最初から最後まで踊る。身体のいろんな部位を同時に動かさなければならなかった点、次の動作に移行するタイミングを計りづらかった点、動きに鋭さが足りなかった点などなど、これまで課題となっていたポイントはすべてクリアできていた。
泉は安心した気分になって、誰も居ないレッスンスタジオでメイド服からレッスンウェアに着替えた。
脱いだメイド服を泉は改めて見る。そこでプロデューサーの言葉を思い出した。このような手助けがなければ泉は成功できないと思われている、実力を甘く見られているとも言える、そうプロデューサーは言っていた。
実際、ここまでダンスが劇的にうまくなったのはアシストスーツのおかげだ。もしこのアイテムが無くなれば、泉のレベルは低下するのか。
そもそも泉がなにを思っているかといえば、このプロジェクトを成功させたいと思っている。では成功できる強さが自分にあるか。アシストスーツを外してしまったら、強さも外れてしまうのだろうか。
それは嫌だ。自力でプロジェクトを成功させられないのなら、泉はその程度の力しか持っていないことになる。それでは悔しい。自分の中に成功を掴めるだけの強さがあると信じたい。
ダンスに苦戦する泉には手助けが必要だと思われていた。だからパワーアシストスーツ型メイド服を与えられた。だが最初からそんな外側からの手助けなど必要ないくらい強ければ、そうした外から来た優しい配慮をほどけたはずだ。
もっと強い自分でありたいと泉の心は言っていた。泉はアシストスーツの手助けなしで挑みたい、そう思った。自分の力で難所を突破してこそ、より強くなれるはずだ。
泉はアシストモジュールを取り外してメイド服を身にまとい、ライブで歌い踊る曲を流すと、ダンスをし始めた。
そしてライブ本番の日がやってきた。普段は会う機会のないほかのプロダクションのアイドルやスタッフがライブ会場に集まり、会場の雰囲気は賑やかだった。お客さんもかなり多い様子だ。アイドルたちは順番にステージに立って歌い、泉に出番が回ってくるのはライブの終盤、最後から二番目ということになっていた。
ライブは順調に盛り上がり、出番が近づいてくると泉はパワーアシストスーツ型メイド服に着替えた。本番前の最終テストのため、電源を入れて身体を動かす。
しかし感触が違う。手を振ったり軽くステップを踏んでも、動きの調子がアシストを受けていない感じがする。故障しているみたいだ。泉は急いでプロデューサーのところへ行った。
「パワーアシスト機能が動作していないみたい。どうしようか」
「まさか、ライブ当日に故障するとは……いまからメンテナンスをしても間に合わないでしょうね。けれど出番をキャンセルするわけにもいきませんし。大石さん、こうなったら」
泉は頷いた。自分は挑戦したいのだ。
「アシスト機能なしで、やってみる。きっと大丈夫。練習したから」
プロデューサーは泉を励ますように微笑んだ。そして泉を見つめて言う。
「大石さん、お願いします。悔いのないステージにしてください」
「うん、もう私の出番だね」
泉がステージに姿を見せると、会場がわっと沸く。たくさんのお客さんが、メイド服姿の泉にクソかわいいいいいいこんな衣装も着るのか泉ちゃんはああああご奉仕してくれええええええと歓声を浴びせた。それに応えるため、泉は背筋を伸ばす。やがて歌が始まる。
泉はひたすらダンスを舞い続けた。ステージの端から端まで動き回り、空間を削り取るように鋭く腕を振る。ターンすればメイド服のスカートがぶわっと広がる。リズムに乗ってライブの熱量をどんどん上げていく。跳ぶ、ステップを刻む、ミリ単位の細かい振り付けも丁寧にこなす。ダンスが止まることは一瞬もない。恋の感情を込めて身体のすべてを動かす。泉は夢中になって踊り続けた。アシスト機能なしのまま、身体は動くことをやめなかった。
拍手に見送られて、出番を終えた泉は楽屋へ帰還した。さすがに疲れていた。とりあえずペットボトルの水をぐびぐび飲んだ。プロデューサーが近づいてきて言った。
「大石さん、ありがとうございます。これは大きな成果になるでしょう」
「なんとか最後までやりきって満足だよ……自力でこの曲をクリアできた。これでプロジェクトは成功、かな?」
「大成功ですよ」
プロデューサーは穏やかに言った。泉は達成感を感じた。もっと己の強さを磨き続けたいとも思った。今後もアイドル活動は続く。それを悪くない形にできればいいな。
後日、泉とプロデューサーは打ち合わせをしていた。プロデューサーは小さなノートパソコンを見ながら言った。
「メイド服をまとってダンスをした曲、かなり人気が出ています。動画投稿サイトにもいわゆる『踊ってみた』動画がいくつかアップされていますね。ですが大石さんがやってのけたレベルには及びません。もう一度、あのダンスを見たいという声も少なくないです。今度のライブで、再びやるというのはどうでしょうか」
「えっ、またやるの?」
「自信、ありませんか」
「いや、チャレンジしてみるよ。私は私を育てたいから」
自分をバージョンアップできるのは自分だけなのだろうと泉は思う。外からの刺激も大切だけれども、意志決定をするのは内なる自分だ。だから強き意志を持とう。泉は言った。
「もう一回やれっていうなら、アシスト機能なしでやってみてもいいかな?」
「そこは大石さんが望むとおりにしますよ」
プロデューサーはそう言った。泉はうれしくなった。これからの自己をどれだけアップデートできるか、自分が見る世界、聞く言葉はどんなふうに変わっていくのか。それを確かめるためにも強くアイドルをやっていきたい。
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