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久川颯ちゃんの瞳を閉じて

 凪がミュージカルに主役として出演することになったと聞いたのは、ある夏の日のことだった。凪の部屋の中で話をしていた颯はエキサイトしてきた。
「いいなー! はーもミュージカルやってみたい。歌って踊って物語を進めていくっておもしろそう!」
 凪は感情を表に出さずに返事をした。「おもしろそうで興味深い仕事ではありますが、大変に苦労すると思います。踏ん張ってやらないといけません。主役ゆえにたくさん稽古が必要ですから」
「そっか、マジにやるとなったら大変か……だけど、はーにもそういうお仕事回ってこないかな。チャレンジしてみたいよ」
「はーちゃんにははーちゃんに適した仕事があるのでしょう。適材適所です」
「その適した仕事ってやつの幅を広げられないかなって最近思ってるんだ。アイドル活動は楽しいけど、もっともっと深く楽しみたい」
「若さゆえの熱心さですね。大志を抱いていますね。まあ、そんなわけで凪はひたすらミュージカルの準備をします。忙しくなりそうです」
「うん、がんばってね」
 颯は凪をうらやむ気持ちもあったが誇らしい気分でもあった。双子の姉が舞台に立って演劇を展開するのはすごいことで、そのすごいことをやる奴が目の前にいる。絶対、凪にとってミュージカルの仕事はおもしろくなりそうだぞと颯は思った。

 その翌日から凪はミュージカルの稽古に励んだ。時々顔を合わせるといつも疲れた顔つきをしていたが、同時に楽しい気分も感じているなと思わせる充実感をまとった表情でもあった。ステップアップしている様子が伝わってくる。自分も努力しようと颯は思った。
 そんなある日、学校が終わってから颯がプロダクションに足を運ぶと、待っていたプロデューサーに「新しい仕事を取ってきたよ」と言われたので打ち合わせをすることになった。
「映画に出てみないか、というオファーが来ているんだ」
 打ち合わせ用の会議室の中、プロデューサーは企画書を颯に渡した。企画書を受け取った颯はほとばしるフレッシュなエネルギーをまき散らしてシャウトした。
「映画ー!? はー、女優になるの? すごいじゃん! それ!」
「ああ、すごいことだと思うよ。あらすじが書いてあるだろう。読んでみてくれ」
「ふむふむ」
 颯は企画書に目を通した。物語の舞台はごく普通の中学校。その中で勉強ができなかったり、スポーツが苦手だったり、ネガティブ思考になりやすかったりするはみ出しものの女の子三人組が、見下してくるクラスの人気者軍団をぶっ飛ばそうとして密かにバンドを組み練習して文化祭でロックンロールな歌をぶちかます、というストーリーだった。
 あらすじのあとに書かれた説明まで読むと、颯が演じるのは主人公である三人組をサポートする女の子ということになっていた。無口で地味だけれども最後まで主人公パーティを支え続ける優しい女の子。
 颯はそこまで読んでから言った。
「はーはトークとかうまいじゃん? でも無口な子を演じろっていうの?」
「確かに颯の性格とは合わない役かもしれない。映画の制作側は颯がいいって言ってるんだがな。俳優という仕事も大変だし、辞退するか?」
「いや、やってみるよ。新しいことをやれるって、うれしいよ!」
「じゃあ、颯が了解したというのを制作サイドに伝える。そうしたら台本が送られてくることになっているんだ」
「オッケー」
「台本は完成しているが、キャスト集めに苦労しているらしい。まず颯の役が決まったから、一足先に台本を読み込んでおいてくれ」

 数日後、実際に台本が颯の手元に来た。この本に書かれた平面を立体に起こしていかないと思うと想像以上にハードな仕事に思えてきた。颯はアクションとセリフを通じて、キャタクターを表現していかねばならない。これはしんどそうだ。
 一方、凪のミュージカルは順調に進んでいるようなので、自分も負けないぞと颯は気合いを入れ直して一生懸命台本を繰り返し読んだ。
 その日もプロダクション内の休憩室で颯は台本を読んでいた。自分なりに考えて、他人をサポートしたいという女の子の心理を理解しようとがんばっていた。
 主人公たちが苦しいときにやってきて事態を良い方向に持っていく視野の広さ。切れやすく繊細なハートを守り応援する優しさ。物語を通じて、主人公パーティが繰り返し辛い試練に晒されてもそれをクリアするため力を尽くす心。颯が表現するのはそういう精神を持った女の子だ。単純に心優しい女の子というのとは違う気がする。
 そこへ同僚のゆかりが休憩室に入って来た。颯は台本から目を上げて言った。
「あ、ゆかりちゃん。お疲れ様」
「颯ちゃん、お疲れ様です」
 ゆかりは穏やかな表情で返事をすると、自販機でスポーツドリンクを買って、颯の近くの席に座った。
「その本は、なにかお仕事関係のものですか?」とゆかり。
「うん。映画の台本。ほかの人には見せちゃいけないって言われてる」颯は本を閉じ、さらに言った。「ゆかりちゃんは演劇の仕事とかやったことあるんだよね?」
「ええ、何度か。昔からお芝居には興味があったので、どれも楽しくこなせましたよ」
「なにか演技のヒントがほしいんだ。大雑把に言うと、はーが演じるのは目立たないけど主人公パーティを常に助けるっていう女の子なんだけど、どう演技をするのが正しいんだろう。献身的で、他人が困っているときにすぐサポートに回るとか、いつも気配りができている子ってイメージでいいのかなって思ってるんだけど……」
 ゆかりは首をかしげて宙を見た。
「常に手助けのことばかり考えているとなると物語の登場人物として薄っぺらく見えてしまうかもしれません。お芝居はシナリオという軸がありますが、演じる側の心がもろに出ます。シナリオ通りにセリフを発しても、心が定まっていなければリテイクも増えます。個性のある魅力的なキャラクターに成るには、ただ優しい心や献身的な心の持ちようだけでは足りないところもあるかもしれません」
 そんな風に言われてしまうと颯は困惑ムードになった。
「そっか。心が定まってないね、はーは。うーむ、厳しいね。役者って」
「でも、おもしろいですよ。颯ちゃんにとっても、いい経験になるでしょう」
 颯はこの仕事についてもっと考えたかった。ゆかりの言うことは間違っていないと思う。では、どうすれば正しい回答を出して、仕事を全うできるのか。なかなか答えが思い浮かばない。
「ちょっと、散歩でもしてくるよ。気分転換したい」
 颯は立ち上がった。ゆかりはドリンクを少し飲んで、手を振った。
「楽しみにしていますよ、颯ちゃんの映画」

 そして颯はプロダクションの建物から出て、ぶらぶら歩いた。すると駐車場の近くでしゃがみ込んでいる人影が見えた。颯は近寄ってみる。近づくとそこではこれまた同僚の晶葉が工具を持ってなにかの部品のようなものをいじっていた。
「晶葉ちゃん、なにしてるの?」
 そう話しかけると、晶葉は颯を一瞥して言った。
「ん、颯か。新作ロボの修理をしているのだ」
「なんで外で? 暑いじゃん」
「太陽電池で動くロボでな。日の光があるところで動作のテストをしていたんだ。想定外の挙動をしでかしたから、いまは分解して修理している」
 晶葉は颯からロボに視線を移した。熱心に手を動かして、壊れたロボを直している。ロボを手助けしているとも言えるなと思い、颯は言った。
「ねえ晶葉ちゃん、ロボを直すのって大変?」
 晶葉は手元に視線を注いでいた。「大変だよ。ロボ作りはいつだって大変だ。作るのも直すのも壊すのも」
「人間の辛い思いを治すのは、もっと大変かな?」
「なんじゃそれは。いきなり」
 颯は映画の件について話した。晶葉は何度か頷いてから言った。
「他人を助ける方法は無数にあるだろうな。私もどれが正解なのかはわからない。絶対にやってはいけない助け方はわかるが」
「絶対やっちゃだめなヤツ? それってなに?」
「がんばれとか、元気を出せとか、過去は変えられないけど未来は変えられるから努力しよう! などと言葉で伝えるのは絶対だめだ。颯もわかるだろ。がんばれる元気がないから困っているんだし、未来を変えようという力さえ持てないから落ちこんでいるんだ。そういうときに『がんばって生きようぜ!』って言われてもむなしくなるだけだ。そう思わないか」
「それは、まあ、そうかな。あんまりがんばれがんばれって言われてもがんばれないときはあるもんね」
「だから別な方法をとるのがいいんだろうな……セロトニンを増やすとか、よく笑うとか。でも万能薬はない。いろいろやり方はあるが颯の身の丈にあった方法が見つかればそれでいいんだ」
「なるほどね……」
 ただ献身的に振る舞うだけでは不十分。ひたすら声援を送ってもむなしく聞こえるかもしれない。颯が自信を持って演技をするためにはどうしたらいいか。もっと考えなければならない。

 凪が主演のミュージカルの公演当日となり、颯はもちろん観に行こうと思っていたのだが、プロデューサーから連絡が来て、映画制作側との打ち合わせが入りましたので来てくださいと言われた。無念だったが外せない用事だ。
「なー、ミュージカルには行けない……映画の打ち合わせ行かなきゃ」
 颯は出かける前の凪に言った。凪は颯を励ますような声色で返事をする。
「はーちゃんに凪の活躍を見せようと思っていましたが、少し残念ですね。しかし優先すべきは打ち合わせのほうです」
「そうだね。なー、いい演技をしてよ」
「任せなさい」
 そう言うと凪は部屋を出て行った。颯もいろいろ準備をして寮を出てプロデューサーと合流し、打ち合わせに臨んだ。
 映画制作側は颯にかなり期待しているようだった。規模の小さいプロジェクトではあったが、これはそれなりに評価されるんじゃないかと思って制作しているとのことで、だからぜひとも久川さんの演技力を活かして質の良い映画にしたい、と。
 颯は高く積み上がっていく期待に応えねば、と思って、さらに自分の演技について考えた。なかなか回答は見つからないが、ゆかりや晶葉が言っていたことも颯の心の中に残っている。颯は思考し続けた。
 打ち合わせが終わり、颯とプロデューサーは映画の制作側スタッフと別れた。そこでプロデューサーのスマホに電話がかかってきた。プロデューサーはすぐにスマホを手に取る。
「ああ、先輩。お疲れ様です」
 いつもプロデューサーは凪の担当プロデューサーのことを「先輩」と呼んでいる。颯はなにか凪がらみの話なんだろうかと思った。
 不意にプロデューサーは大きな声で言った。
「えっ、凪さんが! それで、病院に……そう」
 颯の気持ちが一気に揺れ動く。凪になにかアクシデントが起こったに違いない。颯はプロデューサーのスマホを見つめた。なにがどうなっているのか。
 やがてプロデューサーは電話を切った。颯は即座に質問した。
「Pちゃん、なーに、なにかあったの?」
「ミュージカルのダンス中に、足をひねって、それがかなりのダメージだったんで病院に運び込まれたそうだ」
「えっ!? そんな……どこの病院にいるの。なーに会いたい」
「ああ、先輩も、凪さんが颯に会いたがっていると言っていた。病院の名前も聞いてる。いまから行こう」
 そしてふたりはタクシーに乗って、凪がいるという病院に向かった。
 病院に到着し、中に入ると凪がいる病室の前で凪のプロデューサーが突っ立っていた。
「先輩、お疲れ様です」颯のプロデューサーが言った。
「おお、お疲れ。颯ちゃん、来てくれてありがとな」
 颯は浮き足立つ気持ちを抑えつつ言った。
「なーの様子はどうなんですか? 二度と歩けなくなっちゃったとか……」
「そこまでの怪我じゃない。ただしばらく運動はできないとお医者さんは言っていたよ。左の足首をひねってしまったんだ」
「ミュージカルはどうなったんですか。なーがいなくなって、それから先は」
「そのへんのことは、凪が颯ちゃんに話したいと言っている。病室の中で話をしたいと。だから聞いてやってくれ」
「は、はい」
 颯がひとりで病室に入ると、凪はベッドの上にいた。凪の左足は包帯でぐるぐると巻かれている。とても静かな部屋だった。
「なー、来たよ」
「はーちゃん、お疲れ様です」
 凪は淡々と言った。じっと左足を見つめている。颯は小さい声で言った。
「ミュージカルのほうは、どうなったの……?」
 凪は感情を込めずに話す。「上演中止ということになりました。途中で終わらせたということですね。凪が転んだせいで、すべてが台無しになりました。チケットを買って見に来てくれたお客さんも、ほかの出演者の方にも大きな迷惑をかけてしまいました。主役だからがんばろうと思っていた稽古も全部無駄になりました。いまごろネット上では凪を批判する意見も増えているでしょう」
「そんな悲しいこと言わないでよ――」
 晶葉の言葉通り、がんばれといまの凪に言っても意味はない。ゆかりが言ったように、凪に優しく接してもなにも生まれない。なんだかこっちが泣きそうになってきたなと颯が思うと、凪が口を開いた。
「はーちゃん」
「え?」
「もうちょっと、そばにいてくれませんか」
「ん、いいよ」
 近くに小さな椅子があったので、颯はベッドのそばにそれを置いて座った。
 凪はなにも言わず、左足をじっと見ていた。左足そのものを見ているようにも、なにか遠くのものを見ているような様子にも感じられる。
 この双子の姉はいまなにを考えているのだろう。きっと、すさまじく怒っている。悔しさでいっぱいになってもいる。悲しみに沈んでもいる。全身が不安に包まれている。ぐちゃぐちゃな気持ちで荒廃しきっている。
 凪は一言も言わない。しかし颯がそばにいることで、凪はなにかを感じている。颯もなにかを感じていた。
 これから凪はどうするのか、と颯は思う。きっと立ち上がって、もう一度ミュージカルに挑戦するだろう。ここで倒れるような弱い人間ではない。稽古を積み重ね、お客さんでいっぱいになった劇場で、思う存分舞うだろう。凪にはそれができると颯は信じた。
 こうして信じ抜くことが、誰かを支えることに繋がるのかもしれない。辛い感情の嵐を分かち合い、それでも好きな人を信じること。それが、颯が考えた、人を助ける者の心だった。
「はーちゃん」凪が言った。
「なに?」
「映画の仕事、完璧にやっちゃってください」
「任せて。なーがびっくりするくらい、いい演技をするから!」
「承知しました。では少し、ひとりにさせてください」
「わかった。お大事に。ありがとう」
 颯は病室のドアをくぐって出て行った。

「Pちゃん、早く早く! 入り口こっちだって!」
「ちょっと落ち着けよ。楽しみなのはわかるけど」
 颯とプロデューサーは大きな劇場の前に来ていた。凪が主役を務めるミュージカルが改めて上演されるのだ。凪の怪我は完治し、その他すべてのリスクはクリアされ、再び物語が語られようとしている。劇場にはたくさんの人が集まって、開演を待っていた。
「いいミュージカルになるといいな、颯」
「どうかなー、はーの映画よりいい演技するかな? なーは」
「ああ、颯のあの映画、かなり好評だよ。そういう仕事も取っていかんとなあ」
 ふたりは客席に着いた。開演の時間が迫ると、騒がしかった場内もだんだん静かになっていく。
 そして幕が上がり、劇は始まる。

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