渋谷凛ちゃんの勇気

 服を三着買って凛はショッピングモールをあとにした。そのまま少しぶらぶら歩いていると、横断歩道を挟んだ向こう側の道にプロデューサーがいるのが見えた。プロデューサーは花束を持ち、視線を落として歩いている。
 凛は道を渡りプロデューサーに近寄って声をかけた。
「プロデューサー」
 振り返ったプロデューサーの表情は優れなかった。
「おや、渋谷さんですか。奇遇ですね」そう言ってプロデューサーは凛の手元を見た。「買い物の帰りでしょうか」
 凛は頷いた。
「うん、ちょっと奮発して服を買った。プロデューサーはどこに行くの? 結婚式?」
「墓参りですよ」プロデューサーは元気のない笑顔で言った。
「お墓? プロデューサーの家族のお墓とか?」
「いえ、学生時代の友達の墓です」
「ってことはその友達、死んじゃったの?」
「そうです」
 プロデューサーは意味もなく花束を見つめたまま言った。凛はいつものプロデューサーとは違う印象を受けた。なんとなく、独りでいるのが辛そうな感じだ。
「あの、プロデューサー。私もお墓参りについていっていいかな」
「一緒に行っても、なにもおもしろいことはないですよ」
「それでもいいからさ」
 短い沈黙のあと、プロデューサーは言った。
「わかりました。渋谷さんのような可憐な女性が墓参りに来てくれれば、あいつも喜ぶでしょう」
 そう言ってプロデューサーは凛の斜め前に立って歩き始めた。辺りは人の姿も車もあまり見られなかった。凛たちは無言で歩き続けた。
 やがて墓地に着くと、プロデューサーは凛に言った。「渋谷さん、この花を少し持っていてくれますか。私は水を汲んできます」
「ん、わかった」凛は花束を受け取った。
 墓地はかなり広かった。新しそうに見える墓石もあれば、古くからあると思しき墓もある。風で卒塔婆が動いてガタガタ音をたてるのが聞こえた。水を汲んで戻ってきたプロデューサーは墓地の隅のほうへ凛を連れて行った。
「ここが友達のお墓?」磨かれた墓石を前にして凛は言った。
「はい。まあ、変わったヤツでしたよ」
 それだけ言うとプロデューサーは墓石に水をかけて、花を供え、カバンから線香とライターを出した。
 プロデューサーが線香をあげるのを見届けてから凛は言った。
「どうして死んじゃったの、プロデューサーの友達。事故とか?」
 学生時代の友達ならば年齢はプロデューサーとほぼ同じだろう。生きていればプロデューサーのような働き盛りの年ごろのはずだ。なのに既にこの世を去っている。どうしてだろう。
「いえ、自殺したんです」プロデューサーは感情を込めずに返事をした。
「自殺? なんでそんなことを……っていうのは、聞かないほうがいいか」
 凛に対してプロデューサーは苦笑いした。凛の見慣れた表情だった。
「そうですね、聞かれると寂しくなる話です。でも担当アイドルには伝えておいてもいいでしょうね。学生のころ、私は三人の仲間とつるんでいました。講義を眠りながら受けたり、徹夜でスマブラをやったり、AV女優について熱く語ったり……どこにでもいる馬鹿な大学生ですね。その中のひとりが、この墓の下に眠っています」
 プロデューサーは線香の放つ煙を目で追いながらさらに言った。凛も煙を見ながら無言で聞いた。
「あいつには恋人がいました。背が低くてかわいいルックスでしたが芯の強い女性で、おちゃらけている我々に喝を入れる真面目な人でした。しかしある日……」そこで言葉は途切れた。凛はまだ黙っていた。やがてプロデューサーは再び話し出した。
「ある日、彼女はレイプされ、殺害されました」
「えっ……そんなことが……」
 大事件だ。当時のプロデューサーたちは大変な目にあったに違いない。忌まわしき思い出だろう。それをいま、プロデューサーは表情を消して振り返っているのだった。
「恋人を失ったあいつは、とても落ちこんで――いえ、それどころではないレベルで絶望しました。私たちはあいつが元気になれるよう手を尽くしました。ビールをおごり、焼き肉をおごり、一緒に遊び、楽しい時間を増やし続けました。けれど程なくしてあいつは自ら命を絶ったんです。遺体のそばには『彼女がいなくなった孤独に俺は耐えられん。だからこの世を去る。いままでありがとう。すまん』というメモが落ちていました」
 それを聞きながら、凛は墓石を改めて見つめた。
「プロデューサーたちががんばったのに、その人は孤独だって感じていたんだね……」
「そうですね。大切な人が世界から消えれば、耐えがたい孤独に晒される。そしてそれを癒やすのはとても難しい。少なくとも私たちの力では、あいつを救うことはできなかった」
「プロデューサーのほうだって、辛かったんじゃないの? 友達と友達の恋人を失ったんだから。すごく落ちこんだと思うんだけど……」
「ええ、残りの学生生活の中には悲しい気持ちがずっとありましたし、いまだにその悲しみはあります。しかし悲しいことをいつまでも覚えていることにも意味があると思うんです。この世界にあいつがいたことを忘れなければ、私とあいつは友達だったという事実が残り続けます。あいつが独りではなかったという事実が、です」
 プロデューサーも凛もそこで黙った。また風が吹いてきて、卒塔婆が音をたてて揺れた。少し冷たい風だった。プロデューサーは腕時計に目をやった。
「そろそろ帰ったほうがいい時間ですね」
 凛はプロデューサーの顔から目をそらして返事をした。
「……もうちょっと外出しててもうちの親は怒らないと思うけど」
「墓場に来た上に、面倒な話を聞いて疲れたでしょう。家でチョコレートを食べながらテレビを見ていたほうがずっと楽しいはずです」
 確かにショッキングな話だった。孤独、という言葉が凛の中で反響していた。もし自分が友達や家族を失って独りぼっちになってしまったら、そのとき自分は死を選ぶのだろうか? 死には至らないとしても、アイドルという仕事を続けられる心を保てるか? 希望を永遠に喪ってしまうのか?
 それは想像してみると辛いことだった。しかし人の命は有限だから、いつか誰かを亡くすだろう。

 それから凛はたくさんの仕事をこなしていった。ひとりでライブをするときもあれば、仲間とユニットを組んで歌うこともあった。大規模なライブに臨むときはもっとたくさんの仲間たちと一緒に歌った。ライブの裏方を務めるスタッフの力も、集まってライブ会場にやって来るお客さんの声援も欠かせないものだった。アイドル活動は独りでできる仕事ではなかった。

 そんなこんなで凛ががんばっていると、特撮ヒーロー番組の主題歌を歌ってほしいというオファーが来た。
「ヒーローものの番組って、日曜日の朝にやってるあれ?」
「はい。以前に放送していた番組の続編となるものです」
 プロデューサーは凛に企画書を示しながら言った。番組のタイトルロゴが最上段に大きく記されている――『神速戦士ラグナロック・シーズン2』。
「私、特撮ヒーローの主題歌を歌うキャラじゃないと思うんだけど……」
「キャラではない、よってこの話は蹴る……渋谷さんはそういう態度をとる人ではないでしょう」
「なんか意地悪な感じのする言い方だな~。オーケー、私この仕事やってみる」
「では資料を渡します」と言い、プロデューサーは『神速戦士ラグナロック』のシーズン1の全エピソードが収録されたブルーレイディスクと登場人物や世界観の設定資料を凛に渡した。ラグナロックについての知識がゼロのまま主題歌を歌うのは良いことではないという判断だった。凛もそれに賛成だった。
 資料を受け取ってしばらく打ち合わせをしたあと、凛は暇な時間ができたのでプロデューサーの許可を得てブルーレイを再生できるパソコンを貸してもらった。さっそくシーズン1を見はじめる。
 第一話から順に見ると、内容は王道をいくヒーローものという感じで、世界をぶち壊す悪の軍団に正義の戦士ラグナロックに変身できる主人公が立ち向かい、戦い続けるというものだった。
 主人公の世話をしてくれる人物や、ラグナロックの強化アイテムを作ってくれる味方はいるものの、戦いの場においてはラグナロック以外の戦士はおらず、常に独りで戦っていた。
 悪の軍団は多数の脅威をラグナロックに向ける。ラグナロックが倒れてしまったら、もう悪の軍団に対抗する術はない。だからこそ唯一の希望であるラグナロックはぼろぼろになっても諦めず、自分の力を高め続けて強敵に打ち克っていく。
 寂しい戦いだ、と凛はラグナロックの戦いぶりを見て思う。でも、ラグナロックは強い。たった独りで悪を砕き、生命を守る。そして毎回、悪の怪獣をラグナロックがやっつけて、周囲に平和が訪れるというエピソードが繰り返し描かれる。
 一度に全話を視聴するのはきつかったから、何回かに分けて凛はラグナロックのシーズン1を見たが、終盤は敵キャラクターが強くなってきてラグナロックも苦戦を強いられる展開が続いた。しかし打ちのめされてもラグナロックは立ち上がり続ける。己の使命を全うするために。
 最終回では悪の軍団の首領との戦いにラグナロックが勝利し、めでたく物語が終わる――ように見えて、シーズン2への伏線が張られるという形で締めくくられた。
 すべてのエピソードを見終わった凛は、頭の中でラグナロックの戦いを反芻してみた。孤独な戦士であったが、世界を救うヒーローだった。たった独りでもできることはたくさんある――孤独は恐ろしいものでもあるが、だからってなにもできなくなるわけじゃない。孤独な環境の内にいても、勇気は持てば戦って勝てる。凛はそんなふうに考えた。
 プロデューサーの友達は孤独に晒されて死を選んだ。そこまで絶望しきったということだろう。それを凛が救えるかと言えば、難しい。
 だからせめて、あともうちょっとだけ人生を続けてみようかなと思ってほしい。孤独であることは決して無力なことではないのだから。自殺する前にあと三日ぐらい生きてみようと思うとか、それだけの勇気があればその三日分は勝っているのだ。

 『神速戦士ラグナロック・シーズン2』の評判はそれほど良くなかった。シナリオ面へのつっこみどころがたくさんあるし、強そうな敵キャラクターもあっけなく倒れていく。シーズン1のほうがよかったという声も大きい。
 しかし凛の歌った主題歌のCDだけはかなり売れている、という話をプロデューサーは凛に伝えた。
「自分の歌がよく売れるのはうれしいね。でも本編がちょっと不人気なのは嫌だな」
 そう言う凛にプロデューサーは言った。
「もしかしたら、これからどんどんストーリーがおもしろくなっていく可能性だってあるかもしれませんよ」
「そっか、辛い状態からおもしろくなっていくっていう可能性もあるか……」
 そのくらいの望みなら、がんばれば叶えられるものかもしれない。凛の心の中に、小さな勇気が産まれていた。

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