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久川颯ちゃんの展開

 中堅アイドルからひとつ上のランクへ達した、そんな感触を颯は掴んでいた。ここのところ颯がリリースした歌はどれもヒットし、多くの人から好意的な評価をもらえた。
 特に高評価を集めたのは歌詞のメッセージ性だった。颯は友情の清らかさ、恋の素晴らしさ、幸せを得るためがんばる尊さを織り込んだ歌詞の歌を唄った。そうした歌詞に込められたメッセージが颯の人気を上昇させるエンジンとなった。
 しかし良いことばかりではなかった。颯自身が自分の歌どおりに生活しているかといえばそうでもない。友達とおしゃべりしているとき、その場にいない他人の陰口を言ってしまうこともあったし、電車の中でやたらといちゃついているカップルに対して嫌な感じの人たちだな、と思うときもあった。勉強や学校行事で全力投球せねばならないときについ手を抜いて適当にやってしまうときもたくさんあった。
 そんなとき、颯は自分がなにをしているのかが怪しくなって、気分が沈んでいくのだった。

 ある日の夕食後、颯は寝転がってスマホを操作し、SNSのタイムラインをチェックしていた。画面上に流れてくる投稿は様々だ。パスタ食べました、眠いのでもう寝ます、与党のここがけしからん、ガチャで最高レアリティのカード引きました、明日は僕の誕生日です、会社辞めたい、好きな人ができた、あのコンビニの店員むかつく、カツカレーっておいしいよね――いろんな人がいろんなメッセージを発信している。
 ふと、一件の投稿に颯は目を向けた。「全日本人必見! この動画見て」というコメントと動画配信サイトのURLが併記された投稿だった。なんだろう、必見の動画というのなら見てみようかと颯は思い、イヤホンをスマホに繋げてからURLをタップした。
 すると颯の歌のイントロがイヤホンを通じて聞こえてきた。
 イントロをバックに、動画投稿者がハイテンションな口調で語りはじめる。語られていた内容は、最近のヒット曲を批判するものだった。曰く、友情や幸福、愛などは定義できず、具体性に欠け、論理的ではない。そんなものを追い求めたって意味がない。結局はエビデンスのない個人の感想にすぎず、きれい事で、実効的な力など持たず、そんなことに夢中になるのは人生の無駄である。それよりも海や空、月や星などの自然の美しさのほうがどれだけ具体的で感動的であろうか。現代の歌い手たちは曖昧な感情ではなく、はっきり味わえる美を歌うべきだ……そんな語りとともに、颯がリリースしている曲をはじめ、ヒットソングのCDジャケットの画像が粉々に割れる演出が入ったり、美しい自然の画像が大きく表示されたりするのが十五分ほど続く動画だった。
 動画を見終わって、颯は後ろめたい気分になった。自分の歌がきれい事にすぎず、なんの具体的なパワーも持たないと言われ、それを颯自身がある程度は受け入れていることを突きつけられてしまった。立派なメッセージを発している自分こそが、メッセージの美しさを信頼していない。
 颯は寝転がったまま少し瞳を閉じた。こんなふうに、自信を失ったとき相談できる相手というと――颯は目をゆっくり開き、プロデューサーにメールを書き始めた。

「Pちゃん、いる?」
 颯は事務所の中にあるプロデューサーのオフィスのドアを開いた。
「もぐもが」
 部屋の中に入ると、プロデューサーはパンのようなものを食べている最中だった。
「なに食べてんの、Pちゃん?」
「むしゃむしゃごくり。あー、これはアップルパイだよ颯。最近のコンビニで売ってるアップルパイっておいしいよな」
「ふーん、今度買ってみようかな。でさ、メール読んだでしょ、Pちゃん。『こんな動画見つけたよ、Pちゃんはどう思う?』ってはーが送ったメール」
「うん、読んだよ、颯のメール。リンクが貼ってあった動画も見た。まあ、よくある主張だなって思った。あの動画は」
「はーは結構ショックだったんだけど……具体的な内容の歌じゃないと、やっぱりいけないのかなって思っちゃって」
 プロデューサーはアップルパイが入っていた袋を丸めて、部屋の隅のゴミ箱に投げ捨てて言った。
「愛とか友情は定義できないからナンセンスだってあの動画は言っていたけど、そういうのをはっきり示すのは難しいよ。っていうか、不可能に近い」
「そうなの?」
「じゃ、試しに”ギター”を定義してごらん、颯。制限時間、三〇秒」
「え? ギターの定義? えーと、ギターっていうのは弦が六本あって、それを弾いて音を出す楽器で……」
「三・二・一・ゼロ。はい時間切れ。では確認してみよう。その定義から言うと、弦が一本切れて、五本になっちゃったら、それはもうギターじゃないことになる」
「切れた弦を修理すればまたギターになるじゃん」
「でも、いまの定義からしたら、弦が六本ないギターはギターと言えない。ギターじゃないなにかだ」
「それは、そうだけど……」
 颯はプロデューサーにそれ以上言い返せなかった。
「ね、こんなもんだよ。椅子を定義しろとかオレンジジュースを定義しろと言われても同じだ。なにかを正確に定義するのなんて普通、できないんだ。ましてや愛とか友情とか見えないものを定義しろって言われても、できるわけがない。あの動画は定義できないものはくだらない、具体性、論理性に欠けたものは価値がないと言っているけど、そもそもはっきり形を決められるものなんてこの世にはほとんどないんじゃないかな」
「じゃあ、世界は全部、曖昧なものばっかりなの?」
「曖昧だから悪いってわけじゃない。形があやふやだから、人それぞれ自分なりのイメージを持てるわけだろう。自分なりの愛の形、友情の形があっていいんだと思うよ。ひとつの定義におさまらない、いろんな形のモノが世界を作っているんだ」
 颯はしばし黙った。プロデューサーの言っていることは妥当だと思うが、納得しきれない。そう思って言う。
「ねえPちゃん、だったらさ、はーも自分なりの形ってやつを決めたいよ。じゃなきゃメッセージを持った歌を、気持ちよく唄えない。もうちょっと考えたい」
 ヒット曲を量産している颯のスケジュールはあまり余裕がなかった。勢いが出てきたアイドルとして、新曲をどんどん作って売ることを期待されている颯にとって、じっくり考えに耽る時間はあまりない。無茶なお願いかなと颯は思った。
 プロデューサーは手帳を開き、少し考えたあと、言った。
「颯がスッキリした気分で歌を唄えないってのは問題だな。なんとかスケジュールに空きを作るから、そこでじっくり考えてみてくれ」
「いいの? ありがと、Pちゃん。はー、しっかり考える」

 プロデューサーが捻り出した空き時間は十日間だった。そのあいだ颯はいろいろと考えてみたが、結局人それぞれが形の違ういろいろなイメージを持っているのなら、特定のメッセージを作ることなど不可能ではないか、という答えに行き詰まってしまった。
 自分はどうやって歌えばいいのか? 歌を聴いてくれる人に届かないかもしれないメッセージを、どうやって伝えればいいのか? 加えて自分ですら自身の曖昧なところに惑わされている。自分にも他人にも届かないメッセージ。それをどうしたら自信を持って歌える? そうこうしているうちにスケジュールの空きはどんどん消えていく。答えは未だ出ない。
 その日は土曜日で、颯は机に向かってノートを広げていた。いろいろ考えていることを書き出しているものの、どれも明確な回答にはならない。
 なにもかもわからないな、と思って、颯は後ろを向いた。そこには双子の姉がいて、おせんべいを食べながら本を読んでいた。颯は姉である凪に問いかけた。
「ねえ、なー」
「なんですか、はーちゃん」
 土曜日の午後をくつろいで過ごしたいから日当たりのいいはーちゃんの部屋でおせんべいを食べながら読書したいのです、とよくわからないことを言ってやって来た凪は本から目をそらさずに返事をした。
 颯はそんな凪に言った。
「自分の意見とか、メッセージとか、そういうのをほかの人にわかってもらうことって、できないのかな」
「最近、はーちゃんが悩んでいるように見えていましたが、なにやら考えているんですね」
 ばりぼりとおせんべいを咀嚼した凪が言った。
「うん、なー、一緒に考えてくれない?」
 いまはなんでもいいからヒントがほしい颯だった。凪は本を閉じて颯を見た。
「では、考察その一。はーちゃんには黙っていましたが、実は凪は宇宙人なのです」
 凪は唐突にそんなことを言った。颯はすかさずつっこみを入れる。
「嘘でしょ」
「嘘ではありません。はーちゃんやほかの人に絶対にばれないよう演技をしているだけで、誰にも見られていないときは羽と三本の尻尾がある宇宙人として過ごしています」
「いや、だってなーとは生まれたときから一緒にいるからわかるよ。なーは普通の人間でしょ」
 そう言われて頷いた凪が続ける。
「そうですね。凪ははーちゃんの姉であります。凪が宇宙人であるというのは嘘でした。では考察その二。実ははーちゃんと凪以外の、この世界にいるすべての人は羽と三本の尻尾がある宇宙人です。朝、すれ違ったメガネのサラリーマンも、喫茶店で談笑しているお姉さんたちも、ベビーカーを押しているママさんたちも、完璧に地球人に見える精巧な着ぐるみを着て、想像を絶する高度な訓練を受けて決して凪たちにばれない演技をしているだけで、実はみんな宇宙人なのです。ズバリ、衝撃の事実でしょう」
「うーん、それも嘘でしょ……ああ、そういうことね」
 颯は凪の考えていることがわかった。
「なーが言っているのは、この世の全部を嘘だと思えば、嘘だって思えるし、本当だと思えば本当だと思えるってことか」
「そうです。全部が嘘であり本当である」
「でもさ、その中に本当の本当はないのかな?」
「確かなことは言えません。が、本当の本当に近いこと、ならわかるのではないですか? 他人の考えていることはわかりませんが、自分がいまなにをどう思っているかはある程度わかる。それぐらいしかわかりませんが、その自分の気持ちを自分自身や他人に聞かせたり、伝えることもできるでしょう。そうしたら、なにか返事が返ってくるかもしれません。その結果、自分のわかることが増える、かもしれない」
 颯は凪のことを家族だと思っている。だから凪に対して家族だよね、という気持ちを伝えた。そして凪は宇宙人ではなく颯の姉であると返した。メッセージが出会ったから、ふたりは家族であることがわかった。凪以外の、ほかの人にも同じことが言える。自分と他人のメッセージが出会ったとき、メッセージが伝わり、それが少しばかりわかるのだ。自分自身へのメッセージ、他者へのメッセージ、それらとどう出会えば、わかりあえるだろう――颯はノートに新たな文字を書き始めた。

 颯の提案を、オフィスにいたプロデューサーは聞いた。
「颯の歌の歌詞を、分析する?」
「うん、歌詞に入っているメッセージ、どんなふうに読み込んで、どんなふうに考えて、どんなふうに歌っているかを分析して……批評っていうのかな? メッセージを点検して、こういう気持ちで歌っているよ、っていうのを自分にも、聴いている人にも伝えたいんだ。メッセージに出会った相手に、わかってもらうために」
「それを、なんらかの場所で発表したいと、颯は思っているわけか」
「うん。ごめんね、なんか、はーのやりたいことを言いまくっちゃって」
 うーむ、とプロデューサーはうなり、そばにあったパソコンを操作した。
「颯の曲は今後もコンスタントにリリースされる予定だよ。つまりは歌詞も作られ続けるってことだ。その歌詞を分析して、リスナーに見てもらうっていうのはおもしろい試みかもしれない」
「できるかな?」
「ヒット曲の歌詞を、颯自身が紐解いていくっていうのはいい企画だと個人的には思う。発表する場としては……そうだな」
 プロデューサーはマウスを数回クリックし、パソコンのモニターを見ながら言った。
「事務所の公式動画配信チャンネルでやるってのはどうだ。対談形式にして、颯がどんなふうに歌詞を解釈し、分析して歌うのかを流すというのは?」
「それでいいと思う! 動画なら、いろんな人に見てもらえるんじゃないかな」
「かなりスケジュールが詰まってしまうけど、やってみるか、颯」
「やりますやります。はーのメッセージ、届けたい」
 自分の発信を確かめて、出会いの場へ持っていくのは簡単ではないだろう。歌詞を検討して、つっこみを入れ、褒めたり貶したりする。それでもメッセージに出会ってくれて、返事が来てくれたら、自分と他人を少しずつわかっていけるかもしれない。颯はそう思い、プロデューサーと話を詰めていく。

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