久川颯ちゃんの腕
学校から帰る途中、颯は自分の曲が入ったCDを探しにCDショップへ寄った。ポップスのコーナーに行って、棚をよく見る――あった。棚の端のほうに、久川颯の名前が付いたCDが二枚。そこから目を転じれば棚の目立つところに有名アイドルや人気バンド、ボーカロイドの楽曲が大量に置いてある。いま売れてます! ロックンロールを再定義する驚異! 名盤! などなどの張り紙ももっと大量にくっついている。
自分の曲はボーカロイドソングにすら及ばないほどの扱いなのかと落ちこんだ颯は、なんか、どうにかならないのかなーと思いながらショップをあとにした。
*
「ここから五つ先の駅で降りるよ」
電車の中に入るなりプロデューサーが言った。乗客は少なく、颯とプロデューサーは並んで椅子に座った。椅子につくとプロデューサーは鞄から本を取り出して読み始めた。
「五つね。わかりました〜」
颯のほうはポケットからスマホを取り出し、ソーシャルゲームを立ち上げた。美麗なグラフィック、良質なサウンド、課金しなくても楽しめる素晴らしいゲームだ。
ふたりを乗せた電車は郊外の駅へと向かっていた。映画を手がけている会社が、仕事をお願いしたいから是非ウチまで来てほしい、とふたりを呼び出したのだった。詳細は到着次第聞かせてくれるとのこと。
しばらく颯は夢中になってゲームをプレイしていた。ふと目を横に向けると、プロデューサーは黙々と本を読んでいる。颯は言った。
「Pちゃん、なに読んでんの?」
プロデューサーは颯のほうを見ないで返事をした。「SFの短編集だ」
エスエフのタンペンシュー、という言葉の輪郭が思い浮かぶまで、少し時間がかかった。颯はそんなもの、読んだことがない。
「おもしろい本なの?」
「いや、つまらない」プロデューサーは平坦な声で言った。
「つまんないのに読んでるの? なんで?」
プロデューサーは視線を上げて、颯を見た。
「プロデューサーとしての仕事に必要だから、読んでいるんだよ。つまらない本にもほんの少し役に立つことが書いてあるときもあるし、僕にとってはつまらなくても他の人から見たらおもしろいのかもしれない。その情報は大切だ」
「はーをプロデュースするのに、エスエフの本に書いてあることが必要なの?」
「必要だ。SFに限らずたくさんの知識や情報があればいろんな企画を立てられるし、未経験の仕事も理解しやすくなる。どんな流行が始まるのか、ということも常に最新の情報を好みでなくても仕入れておかなければ予測できないし、逆にそれまでのアイドルのイメージを覆す意外なものがウケる、なんてこともありえるだろ。だからプロデューサーたるものはアンテナを広げていろんな本を読んで、映画を観て、音楽を聴くんだ。アイデアが豊かになるから」
なるほどね、と颯は理解した。自分がゲームを遊んでいるあいだ、プロデューサーは意識を仕事に向けていたのだ。
プロデューサーは視線を本に戻す。颯はゲームを中断して目を閉じ、寝たふりをした。
*
ぽちぽちとキーボードを打つ。画面に少しだけ文字が表示される。納得いかなくて文字をすべて消す。またぽちぽちする。颯は一時間半ほどその作業を繰り返していた。
「あー、どうしたらいいの!」
思わず独り言が漏れた。執務スペースの隅っこでパソコンと格闘していると想像を遙かに超えたストレスが降りかかるのだった。
映画を制作している会社から、颯はとある劇場版アニメの主題歌の歌詞を作ってほしいという仕事を与えられた。複数のアイドルや声優やシンガーが作詞し、その中から一番出来のいい歌詞を映画の主題歌として採用するというプロジェクトだった。ならば自分の歌が映画館に響くのかもしれないと颯は感動した。映画会社も颯というアイドルに注目しているようだった。
もともとはテレビで展開していたアニメで、映画の内容はテレビシリーズの総集編という形を取っており、新規のカットもあるが筋書きはテレビ版とほぼ変わらない。テレビ版と劇場版の最大の違いはBGMがすべてアレンジを施したものになっている点で、同じストーリーでもその場面ごとに流れる音楽が異なるというのが劇場版の売りだった。
この仕事を完璧にこなし、自分の作った歌詞が採用されればCDとして発売されると聞かされた。映画の主題歌という箔がついたCDをリリースできるというこのチャンスをものにすれば、一気に人気を得ることも不可能ではないかもしれない。
そう、上手くいけば売れる。
ゆえに絶対に成功させたいと颯は思うのだが、作詞なんてやったことがない。アニメの物語自体は全エピソードを制作会社から渡されたブルーレイで観たからよくわかる。メロディも歌詞ができてから付けられるから颯は作詞に集中すればいいと言われた。
しかしどうがんばっても歌詞はぜんぜん形を取らない。きみが好きとか、がんばって生きようとか、それっぽいフレーズは思い浮かぶのだが、どんな言葉を並べればいいのか、どんな表現をしたらしっくりくるのか、ぜんぜんわからなかった。こんな仕事、初めてだ。またしても独り言がこみ上げる。
「どうすりゃいいの……」
ここで自分の力を示せれば人気が大きく上がるかもしれない、そう思ってなんとかパソコンにかじりついていたが、どうにも行き詰まってしまった。断ったほうがよかったのかなと颯は椅子の背もたれにぐったりと身体を預けた。成功すれば多くの名声を得られる可能性があるんだから、がんばるべきなのだ。でもどうがんばればいいんだろう。途中でリタイアしたほうが楽になれるのかな。
突然、後ろから声をかけられた。「どうしたんですか、颯ちゃん?」
「あっ、ゆかりちゃん。いや、ちょっとね」
声の主は水本ゆかりだった。颯より一年早くデビューした先輩アイドルだ。上品なルックスと振る舞いが人気を集めていて、CDの売上も颯より好調な、事務所の中ではかなりブレイクしている女の子。颯は後ろに立つゆかりに言った。
「映画の主題歌の歌詞を作れって言われて、書いてるんだけど、うまく書けなくて……」
「作詞のお仕事ですか。それは興味深いですね……なにかを創るというのは」
感心した様子のゆかりに颯は言ってみる。
「ゆかりちゃんは作詞ってやったことあるの?」
「仕事としてやったことはありませんね。こんな歌詞の歌を歌えればいいなと漠然と想像したことはありますけど」
「そっか。はー、向いてないのかな、作詞。言葉がなにも出てこない」
ゆかりは宙を見て言う。
「うーん、そうですね。いま颯ちゃんは出力しようと思っているわけですね」
「え、出力って?」
唐突な言葉に颯は戸惑った。出力というと、エンジンがパワーを上げるとか、電気を通して機械を動かすようなイメージだった。自分が出力?
「自分の頭の中からなにかを外に出そうとしているんでしょう。それが出力です。けれども出力するにはまず入力が必要です」
「入力って言うと……」
考える颯を見てゆかりは微笑んだ。「颯ちゃんが、自身にいろんなものをインプットするんです。そこから得た材料でアウトプット、出力してみるのはいかがでしょう? そうすればやりやすいのでは?」
「インプットか――それって」
いろんなものをインプット、と聞いて思い浮かんだのは、プロデューサーが本を読んでいる姿だった。
颯はスマホを取り出してメッセージアプリを起動した。ぽちぽちとタップする。
≪Pちゃん、なんかいろいろ本とか教えて≫
*
翌日、プロデューサーは本を何冊か積み上げてどさっと颯の前に置いた。
プロデューサーは早口で言った。「上のほうはおもしろくて読みやすい。下のほうへいくほどわかりづらくて好みが分かれるものになってくる。でも、がんばって一番下まで読んでほしい」
「あ、ありがとうPちゃん」颯は本のタワーを見て言った。どうやらタワーは全部小説らしかった。「でも、本だけなの? 映画とか音楽はないの?」
「歌詞を作るんだから文学的な技術に触れることが大切だし、詞というのは文字から情景を想起させるものだろ。颯の歌詞は、読んでイメージを頭の中に投影できるものじゃなきゃ、だめなんだ」
プロデューサーはそんなことを言った。とにかくこの男は颯を支えることをデビューしたときからシリアスに実行しているのだから、こいつの言い分を信じようと颯はうなずいた。
「わかった、読んでみる」
「がんばれ。納期に間に合わせてくれよ」
こうして颯は読書にトライした。プロデューサーの言葉通り、タワーの上層部は愉快で、読後感もよかった。真ん中から下のほうへ進んでいくとともに難解なものや不可思議なテーマの本が出始めた。それでも颯は目を通した。自分が理解できないもの、つまらないと思う小説のどこが自分に合わないのかと考えるのは有意義な時間だった。全ての本を読み終えるまで、作詞はいったん止めた。いまは入力に専念したいと思って、自由な時間は読書に割いた。
物語を読んでいくうちに、プロデューサーは歌詞にストーリーを付けるべきだと考えているんじゃないかと颯は感じた。多くの小説は、はじめに主人公がいて、だんだんストーリーのテンションが上がっていって、主人公が成功したり破滅したりする。歌詞にもそうした起承転結があったほうが書きやすいし、理解しやすい。颯も自分なりに物語を夢想し始めた。想像力を解き放つのはおもしろかった。
*
タワーの底まで読んだあと、颯は改めてパソコンに向かった。少しずつ言葉を重ねて、歌詞を編んでいく作業は入力する前よりずっと興味深い仕事に変わっていた。
けれど颯に完璧な歌詞を編み出すなど不可能だった。いままで読んできた小説をなぞればストーリーラインは組めるし、主人公の行方もきれいに書ける。しかしそれではオリジナリティはない。読んだ小説から得たいろいろな材料を自分なりに煮込んで形にしているだけだ。無から有を生み出すのではなく。
でも、それでいいのだということに颯は気づいていた。
――はーは歌詞を産むんじゃなくて、作ろうとしているんだ。はーには、いまのところ作詞の才能はそんなにない。だから設計図と部品を考えて、それを集めて自分の手で歌詞を作っているだけなんだ。たくさん入力したからわかる。探偵小説、恋愛小説、アクション小説、ミリタリー小説などなどの物語というハードウェアにはある程度、起承転結や謎解きの原則なり友情・努力・勝利なりピンチからの一発逆転の構造なり、固まったところがある。はーがやらなくちゃいけないのは、そこに久川颯の固有性を少し乗せて、劇場アニメに似合う格好をさせることだ。
颯はキーボードを叩き始めた。
*
颯が完成させた歌詞を提出し、三週間ほど経ったころ、プロデューサーが「会議室に来てくれ」と颯に言った。颯は言われたとおり会議室まで行ってプロデューサーと向かい合った。
「劇場版アニメの主題歌を作るって仕事があったろ。あの件だがな、颯の歌詞は没になった」
数枚の書類を机の上に置きながら、プロデューサーがそう言った。颯はショックを受けたが、なんとか気を取り直して言った。
「がんばって作ったんだけどな……これいけるんじゃ、って思ったのに」
プロデューサーはニヤリと笑った。「まあ聞け颯。この話には続きがあるんだ。颯の歌詞な、主題歌には採用されなかったけれど、制作サイドはかなり気に入ったみたいなんだ。で、映画のワンシーンに流れる挿入歌に使われることになったんだと」
暗闇に光が射した感覚。颯は身を乗り出して叫んだ。
「ほんと!? じゃあCDになったりするの?」
「単独ではCD化はしない。映画のサウンドトラックに収録される。作詞・久川颯っていうクレジットも入る。当然、歌うのも颯だ。よくがんばったな」
「おお! ちょっと残念だけどうれしい! 歌えるんだ!」
颯は笑顔になっていた。プロデューサーは満足そうにうなずく。
「また、こういう仕事が来るかもな。実績はできたんだし」
颯はプロデューサーに顔を近づけて言った。
「そのときはまた、本だけじゃなくて、映画も音楽も教えてよ」
「いいけど、自分の手で探すっていうのも大切だよ。いろんな本屋さんとか映画館とかに行ってごらん。音楽にしても、テクノやプログレを聴いてみるのもいいだろう」
いまの颯にぴったり合う一言だった。颯は手をぎゅっと握ってプロデューサーを見た。
「まだまだはーには入力できる隙間があるんだね」
颯が言うと、プロデューサーは唐突に言葉を発した。
「物語の基本だな」
「え?」
「欠けているものがあるから、それを満たそうとする。恋人が欠けている、お金に欠けている、祖国に平和が欠けている、だから主人公は旅立つ……欠けたものを埋めるために。そういう本がいっぱいあっただろ、あの本の塔の中に」
颯はきょとんとして、記憶を辿った。物語の構造と作詞の作業を思い出せば、確かにプロデューサーの言うとおり、小説の中の主人公たちは欠落を埋めようと奮闘していた。
「そういえば、そうか」
「久川颯の戦いはまだこれからだ! というわけだな」
プロデューサーはおどけた調子で声を上げた。颯はすかさず突っこんだ。
「それって打ち切りエンドじゃないの、Pちゃん」
「どんなエンドになるかは颯次第だ。ガハハハハハ」
そう笑うプロデューサーに颯はムカついたが、確かに自分の行動次第で終わりの形は変わる。ならば己のできることを増やしていかねば。今度の週末は本屋と映画館とCDショップを梯子しよう。