渋谷凛ちゃんの刃
日曜日の昼、凛は愛犬とともに公園へ出かけた。よく晴れていて、気持ちのいい、散歩日和の空模様だった。たくさんの人が談笑しながら街を行き交っている。その中を通って、凛は公園へ向かった。
数十分後、公園に着いてぶらぶらと歩いていると凛は見知った顔を見つけた。
「プロデューサー?」
「おや、渋谷さん」
そこにいたのは凛の担当プロデューサーだった。毎日一緒に仕事に励んでいる相手だが、オフの日に会うのは初めてだ。いつもスーツを着ているプロデューサーがカジュアルな装いをしているのには少し戸惑いを覚えた。
「なんで、ここにいるの?」
「友人が最近この近くの病院に入院しまして、お見舞いに行ってきたところです。きれいな公園があるので寄ってみようと思って……渋谷さんは、犬の散歩ですか」
「うん。ハナコ、これが私のプロデューサーだよ」
愛犬ハナコは凛の足下でじっと伏せて、プロデューサーを不安そうな目で見つめていた。プロデューサーは苦笑して言う。
「私を怖がっているのでしょうか……」
「プロデューサーは身体が大きいからかな。ハナコ、怖くないよ、優しい人だよ」
凛はそう言うとハナコを抱きかかえて、プロデューサーの腕の中にハナコを抱かせた。ハナコはくんくんと匂いを嗅ぎ、じたばた動き、やがて大人しくなった。飼い主である凛はハナコが安心したのだとわかった。ハナコの顔を見ながら笑みを浮かべて、プロデューサーが言った。
「かわいい犬ですね、ハナコさん」
「私もかわいいと思うよ。私、ハナコのこと好き」
ふたりともこのあと別にやることはなかったので、凛とプロデューサーは連れだって公園内を少し歩いた。公園の中にもいろいろな人がいて、シャドーボクシングをしている人や、ベビーカーを押しているお母さんや、アコースティックギターの弾き語りをしている人もいた。
歩いているうちに、暑くなってきて、飲み物が欲しくなった。自販機でジュースとコーヒーを買い、近くのベンチに腰掛ける。そこで凛は携帯端末をいじって、プロデューサーに見せた。
「プロデューサー、最近こういうの見つけたんだ」
端末の画面を目にしたプロデューサーはそれを読み上げた。
「『渋谷凛アンチスレPart39』……匿名掲示板のスレッドですか」
「うん。暇つぶしに私の名前で検索してみたらヒットしてさ。私のことをいろいろ言ってるよ」
「例えば?」
「ブス、歌が下手、ダンスが糞、態度が最悪、うざったい、トークがダメ、とかそういうのがいっぱい。プロデューサーはこのスレッド、見たことある?」
「細かい内容はチェックしていませんが、ネット上に渋谷さんをよく思わない方が一定数いるというのは知っています」
プロデューサーは事務的な口調で言った。そういう態度が凛を刺激しない態度であるとわかっているからだ。アンチの意見を見ても、表情は淡泊なもので、そのほうが凛にとっては安心できる。
「ありがとう。あと、私のことを高評価してくれるスレッドもあるんだ」
また凛は携帯端末を操作してプロデューサーに見せた。プロデューサーはスレッドの内容を読み上げる。
「『渋谷凛ちゃん総合スレPart102』……凛ちゃんは天使、女神、スーパーソニックウーマン、かわいい、すばらしい、結婚したい、先日発売のCD50枚買った、サインくれ、ヌード写真集出してほしい……渋谷さんの人気にふさわしい盛り上がりかたですね」
「これはうれしいんだけど、やっぱりアイドルって売れてくるとファンも増えるけど、アンチの人も増えていくものなのかな」
「人が目立てばその周りに人は集まっていきますよ。中にはアンチユーザーもたくさん出てくるでしょう。目立っている奴を妬むというのは当たり前の反応です。そういうふうに人間はデザインされていますから」
「当たり前か。私も勉強できる子とか、スポーツできる子に嫉妬することもあるね。アンチが生まれるのが仕方ないことなら、アンチの人の意見はスルーしてればいいのかな」
「まあ、アイドルは批判に対してスルースキルや煽り耐性を身につければいい、というのがベストな対応でしょうね」
そこでプロデューサーは唐突に話を変えた。
「渋谷さん、『ふたりはプリキュア』というアニメを見たことはありますか?」
「女の子が変身して悪と戦うっていうやつでしょ。幼稚園児のころは見てたような気がする」
プロデューサーは頷いて続けた。
「あの作品の構造は、普通の女の子が大人の代わりに戦うという代行構造なんです。現実なら悪のモンスターを倒すのは軍隊や警察という『大人』です。でもプリキュアの物語の中では女子中学生という『子供』が悪をやっつける。渋谷さんのアンチも同じようなものなのではないでしょうか」
「同じ? どこが」
「たとえばアイドル業界の偉い人に渋谷さんを排除してくれ、と頼んでも、その願いは叶わないでしょう。ならば普通の人間である自分が代わりに渋谷さんと戦うしかないのです。そうした意味ではアンチの人々もファイトしています」
「私は殴られ屋ってことか」
「そう考えればアンチができることが、絶対に悪いとは言えないのではないか……と、私は思っています。渋谷さんに興味を持っているという点では、視野の中に入れておくべき方々ですから」
「そっかあ。誰かに必要とされているなら、うれしいかな? まあ、うん」
プロデューサーは返事をせず、ただ微笑んでいた。ふと時計を見ると、かなり遅い時刻になっていた。凛は立ち上がって言った。
「私、そろそろ帰らなきゃ」
「ああ、すいません。長々と引き留めてしまった」
「ううん。プロデューサーと話せてよかったよ。また会えるといいな」
「ありがとうございます。では、お気をつけて」
プロデューサーも立ち上がって、凛とは逆方向に歩いて去って行く。凛はハナコを連れて歩き出す。自分が悪役であるとしても、舞台の上には立っているのだ。ならアンチを悦ばせる方法はいくつもあるはずだ。そういうことを考えてもおもしろいかもしれない。