大石泉ちゃんと橘ありすちゃんの呪文書
「外はサクサクしていて、中にはジューシーなお肉がたっぷり詰まっています! ちょっとしょっぱい感じもするんですけど、後味はすっきりしていて……とてもおいしいです!」
とある商店街の惣菜屋さんで人気メニューとして販売されているメンチカツを頬張って泉はそんなことを言った。グルメ番組の収録現場での一コマだった。
そして泉がメンチカツをもぐもぐ咀嚼して飲みこむと番組スタッフは「オーケーです。楽しくおいしそうに食べている感じがちゃんと出てます。さすがは泉ちゃんです。ブラボー。この惣菜屋での収録は無事完了です。では次のお店にレッツゴー」と言った。今度は唐揚げ屋さんに行くことになっていたので泉とスタッフたちは揃って移動する。
グルメ番組の収録の仕事は頻繁に回ってきて、その度に泉はおいしいものを食べて好意的なコメントを付けていった。しっかり仕事ができているとスタッフたちも泉のことを信頼していた。
しかしいったい日本にはどれだけおいしい惣菜屋さんや唐揚げ屋さんがあるのか? という疑問がずっと泉の中にあった。泉はいろんなものを食べてきたが未だグルメ番組に出る仕事が途切れないということはそれだけおいしい食べ物が多く存在しているということで、泉本人はいつになったらこの仕事から解放されるのかがわからず、それがもどかしかった。
自分はアイドルなのだから、ステージに立つのが本来の仕事だろう。いろいろな場所でいろんなうまい食べ物を食べられるのはまあいいけれども、やっぱり歌とダンスで勝負していきたい。泉は視線を下げて唐揚げ屋さんに向かった。
そんなある日、泉がプロダクション内の休憩室に入ると、隅っこでありすがプリンを食べていた。ほかには誰もいなかったので、泉は飲み物を買ってありすの近くに座った。
「ありすちゃん、お疲れ様」
泉が声をかけるとありすはスプーンでプリンをすくうのを止めて言った。
「ああ、泉さんお疲れ様です……うーむ、少ししんどそうな顔をしていますね」
「そうかな?」そう言って泉はカフェラテを一口飲んだ。「グルメ番組の仕事ばっかりだから、ちょっとうんざりしているのかもしれないね」
ありすは泉を見つめて言った。「泉さんはグルメ関係の仕事、それほど好きではないのですか」
「なんというか、食べ物のレポートばっかりしていてもあんまり楽しくないのよ。アイドルとしてはファンの前で歌うのが一番いい仕事だと思う」
「私はけっこう好きです、グルメ関係のもろもろ。私がよく出演するバラエティ番組、あるじゃないですか」
「うん、忙しくて見れないときもあるけど、できるだけ見てる。食べ歩きのコーナーで、ありすちゃんもいろんなものを食べてるよね」
「そうです、いろいろ食べています。おしゃれなカフェのハンバーガーとか、老舗のとんかつ屋さんのとんかつとか。そこで行われる食事というアクションも、ある意味ではステージ上でのライブではないですか? 自分が感じたことを人の前で発表するわけですから。歌もダンスもありませんが、己の外へメッセージを伝えている点ではライブと同じでしょう」
「食べてコメントすることも表現であるってこと?」
「ハイ。私はそう思ってグルメの仕事をしています。アイドルとはアーティストで、なにかを表現する職業ですよね。ものを食べてなにがしか喋る機会もまた、メッセージを発信する場面のひとつです」
「なるほどね。そう言われると納得しちゃうな」
秋が深まってだんだん肌寒さを感じるようになってきたころ、とある食品メーカーが「ハイパーミート」なる合成肉を開発したことを発表した。発表の際、牛や豚や鶏を飼育し肉を生産するのではなく、科学的な技術によって工場で量産する新世代の肉である、という点をメーカーは強調した。それは家畜を繁殖させる手間とコストをゼロにすることを意味する。大量の肉を安価でいつでも入手できるのだ。
発表直後のハイパーミートはそれほど注目を集めなかった。しかし某グルメ番組の中で某人気アイドルがハイパーミートを食べる様子を紹介しその某人気アイドルがハイパーミートを絶賛した途端、この新種の肉は大きな注目を集めることとなった。
ハイパーミートは味が良いだけでなく栄養満点で、さらに焼いても揚げても煮ても生でもおいしく食べることができる。すぐにこのスペシャルな肉を食すことが大ブームとなり、誰もが流行に乗ってハイパーミートを買いまくり食べまくった。
泉もスーパーでハイパーミートを買ってきて、適当に塩とコショウをふって小麦粉をまぶして焼いて食べてみた。評判通り、これはおいしい! と感じさせる味だった。このおいしさに加えて栄養も補給できるなら人気を集めるのも不思議ではあるまいと思った。こんな合成肉を開発できるジャパンの技術はすばらしい。オーイエー。
しばらく経ったあと、泉はまたプロダクションの休憩室にいてスマホをいじっていた。プロデューサーと打ち合わせをする予定だったが、多忙のためスケジュールを変更させてほしいとプロデューサーから言われたので打ち合わせは一時間後となった。空いた時間を潰すため、泉はスマホでネット上を徘徊していた。
そこへありすが入ってきて、自販機でいちごミルクを買って泉のそばに座った。
「泉さん、お疲れ様です」
「ありすちゃんか。お疲れ様」
泉は視線をスマホからありすに移した。見てみると、ありすの表情は硬い感じがした。
「どうかしたの、ありすちゃん?」
「ええ、ちょうどよかった。ハイパーミートについて、泉さんにお話したいんです」
「あれはおいしいよね。私も食べてみたけど、いい味だった」
「おいしいお肉であることには間違いありませんが……」
「ありませんが?」
「ハイパーミートが生まれたことによって困っている人もいます。ハイパーミートが売れ続ける一方で、牛肉や豚肉、鶏肉の売上は激減していますから、それら従来のお肉を扱っていた方々の収入がどんどん減ってきています」
それを聞いて、泉の脳裏にグルメ番組の収録現場の光景がフラッシュバックした。日本中に無数にある惣菜屋さん、唐揚げ屋さん。あれらの店はどうなるんだろう。スムーズにハイパーミート販売に切り替えられるんだろうか。それにハイパーミートは動物由来の肉ではないから鶏の唐揚げとか豚カツとか動物に関する名が付いたメニューは存在しなくなるのかも。ありすは続ける。
「しかしハイパーミートの人気は絶えないでしょうね。おいしい味を持ち、なおかつ栄養たっぷりな食べ物へのアクセスを極めて短くした発明品ですから。家畜を育てて肉を売るというモデルは確実に崩壊する。いずれは世界中でハイパーミートを生産するようになるでしょう」
泉はなにを言っていいのかわからなかったので黙った。畜産動物を加工するのではなくハイパーミートを作るほうに世界中がシフトしていくとしたら、それは新しい時代の始まりであり、これまでの時代の終わりでもある。そう考えるとどこか寂しさを感じた。かつてあって、いまもある肉は古い時代のものだと淘汰されていくのだろうか。
そこでありすが言った。
「泉さん、話したいのは試してみたいということなんです」
「試す?」
「ハイパーミートが世界を制覇する前に、ハイパーミートでなくてもおいしいものがこの世界には確かにあるのだ、と伝えるのを試すんです。私と泉さんで」
泉はいつかグルメ番組で食べたメンチカツを思い出した。あれだってハイパーミートに負けないくらいおいしかった。ハイパーミートの拡散は止められないだろうが、ほかにも魅力的な食べ物があったことをどこかに記しておくのも悪くないだろう、それを試しにやってみよう、とありすは言っているのだった。
「それを実行するためには……グルメ番組に出ればいいのか」と泉。
「そのとおりです」ありすはニヤリと笑った。「ハイパーミートがブレイクしたきっかけを作ったのは某人気アイドルです。そして私たちもアイドル。表現をするタイプの者たちです。私たちの力で、消えゆく食べ物のおいしさを表現し、記憶に刻んでみませんか」
「わかった。プロデューサーにグルメ番組に出られないか相談してみるよ。どうなるかはわからないけど」
ありすはそれを聞いて深く頷いた。
「私もグルメ関係のお仕事を回してもらうよう、プロデューサーにお願いします」
こうしてふたりはちょっとした試練に挑戦してみることにした。泉のお腹がぐぅと鳴ったが、ふたりとも気にしなかった。おいしい食べ物はたくさんあるからだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?