久川颯ちゃんの定規

「最近、Pちゃんがめちゃくちゃ忙しく働いてるんだ」

 夕食後のひととき、颯は姉の凪に言った。凪は颯の態度を測るように見てから答えた。

「なぜそんなに忙しいのです?」

「ほかの人が担当してた業務をPちゃんがやることになったんだ。で、もともとのPちゃんの仕事もあるから、ふたりぶん働いてるの。だから大忙し」

 凪は頷き、颯の頭の中にいるプロデューサーのことを想像しながらさらに言った。

「ほう。それによって、なにか悪いことが進行中なのでしょうか」

「うん、ご飯をまともに食べる暇もないんだよ、Pちゃん。コンビニのおにぎり一個食べてハイ終わりごちそうさまでしたで終わっちゃう。あんなに動き回ってるのに、そんな食べ方じゃ身体が保たない」

「それで、なにかはーちゃんが打てる手はあるんですか、その事態に」

 その質問を待っていたかのように、颯は答える。

「お弁当を作って、食べさせてあげたいんだ」

「食物・トークンを生成するわけですね」

 颯はその言葉を無視した。

「だから、お弁当の材料を買いに行きたいなって思ってるんだけど」

「冷凍食品を詰め合わせればオーケーなのでは?」

「うーん、そこは創意っていうか、作りたい、って気のほうが強いんだ。できるだけ手作りのおかずを贈りたい」

「ふむ。では凪も材料の調達を手伝いましょう。Pに次会えるのはいつですか?」

 颯はスケジュールを確認して口を開いた。

「四日後だね。一緒に撮影のお仕事に行く。昼の休憩になったら、お弁当あげようって思ってる」

「気合いを入れてクッキングしますか?」

「うん、すてきなお弁当にしたいな」

 翌日、ふたりはスーパーマーケットに行って、野菜や肉や調味料を買いそろえた。なるべく質の高いものを食べてほしいと颯が言ったので、安い買い物ではなかった。そしてPに会える、という日の朝になったので、颯はキッチンに立った。凪も隣にくっついてきた。

「凪も援護します。卵を割ってじゃがいもの皮を剥きましょう」

「ありがと! ポテトサラダと卵焼きとミニハンバーグをメインに作るよ」

 レシピはネットで調べてあったので、調理は問題なく進行した。ひととおり出来上がったころ、味見をしてみた。すると颯も凪も微妙な表情になった。

「食べられなくはないけど、これって……」

 颯はそこで言葉を失ってしまった。レシピ通り作ったのに、味がおかしい。ミスした覚えはないのだが。

「美味とは言いがたい味わいですね。これを他人に食べさせるのはよくないでしょう」

「だよね。こんなお弁当、渡せないな」

 颯は落胆したが、食べ物を粗末にしたくないので一応そのお弁当を食べきってから仕事に向かった。朝からハンバーグを平らげるのは少しきつかった。

 撮影の仕事は問題なく進んだ。颯も仕事の流れに慣れてきて、スタッフの面々とも円滑にやりとりできた。スムーズに午前中の仕事を消化し、昼の休憩をとろう、となったときに、颯はプロデューサーとふたりきりになった。

 プロデューサーの表情には疲れがにじんでいたが、眼は精気を放っていて気を引き締めている雰囲気があった。颯がアイドル活動に集中できるのはこの男がいるからだ。プロデューサーがいろんなところに行き、いろんな人と話をして颯に仕事を持ってきてくれる。颯ひとりではできないことを、プロデューサーはできることに変えてくれる。颯はそれに応えたい。

 コンビニのサンドイッチを食べているプロデューサーに颯は聞いてみた。

「Pちゃん、いま、なにか食べたいものってある?」

「食べたいもの……? エビフライかな」

 プロデューサーは唐突な質問にそう答えた。颯はそれをよく覚えておけと自分に意識させて、次に言った。

「エビフライだけ?」

「ほかに食べたいものっていうと……ササミカツとか?」

 颯はうんうんと頷く。

「揚げ物がいいの?」

「昼は揚げ物がほしくなるね、ここんところ。腹一杯食ってみたいよ」

「それじゃ、今度、はーがお弁当作ってくるから――」

 颯が言いかけたとき、プロデューサーのスマホが鳴った。プロデューサーは素早く応対する。聞いている感じだと、上司と話をしているようだった。十分ほど会話したあと、プロデューサーは電話を切ってサンドイッチを口の中にねじ込み、飲みこんで言った。

「すまん颯、新しい案件が入ってきたから僕はプロダクションに戻る」

「えっ、撮影はまだ全部終わってないよ」

「そこは代理の人を送るからって上司が言っていた。颯も仕事の要領は掴めているだろうし、手こずらないで終えられるだろう。それじゃあな」

 プロデューサーはそそくさと姿を消した。颯は悔しかった。次はお弁当を渡すぞと決心し、残りの仕事をそつなく終えた。


「なー、今度はエビフライとササミカツを作ろうと思うんだけど」

 凪の部屋にやって来た颯がそう言うと、凪は意味もなく首と腕をぐるぐる振り回して答えた。

「なぜ、どうしてなの?」

「Pちゃんが食べたいんだって。だから作るの。お弁当第二弾を」

「ほほう」

 凪は颯の言葉を聞いて、またも探るような視線を送ってくる。そして言った。

「はーちゃんも努力していますね、Pのために。でも、どうしてそんなにがんばるのですか? 凪のPが忙しければ、凪はできる範囲でPの仕事を手伝ったり、愚痴の聞き役に徹したりします。そもそも一回お弁当を食べさせただけでPがリフレッシュするとは限らないのでは? なのになぜお弁当を作るのでしょうか」

 凪の言葉に対して、颯は動じなかった。

「定規を使いたいからかな」

 凪は颯の回答を予想できなかったらしい。おうむ返しをしてしまう。

「定規?」

 キョトンとしている凪に、颯は話をし始めた。

「Pちゃんがたくさんの仕事を受け持ってるってことは、偉い人から信頼されてるからだよね。あいつはこれだけ仕事を回しても結果を出せるって思われるくらいPちゃんは仕事ができる男なんだよ。そんな人にプロデュースされてるの、はーはとってもうれしい。Pちゃんにおいしいものを食べさせたら即元気が出るってわけじゃないのはわかる。そういう力はないとしても、いつもはーのためにがんばっているPちゃんに、はーのほうからお疲れ様ですって気持ちを届けたいんだ。Pちゃんとはーの間に、もう一本、線を引きたいって感じ。その線を引くための定規、それがはーの作るお弁当だよ。Pちゃんと線を引いておくこと、それがいいことにつながっていくんだ」

 凪は黙って颯が話すのを聞いていた。しばらく思案したあと、凪は表情を消して言った。

「ようするに、食物を食べて栄養補給をする以上のなにかがはーちゃんのお弁当に込められているわけですね。要するに、愛を込めているのですね。すなわちこれは愛妻弁当にほかならない」

 そう凪が言うと、颯は突如として叫び声を上げた。

「愛妻じゃないよ! 誰があんな根暗な眼鏡野郎に……」

「その根暗な眼鏡野郎にプロデュースされるのがうれしいとたったいま言ったではないですか。嘘つきはよくないです」

「もう、そんなにはーをいじらないで!」

 颯は怒りの声を凪にぶつけた。凪は何事もなかったかのように話を戻した。

「失礼しました。妹がそんなにがんばるのなら、凪もまた手伝いましょう。エビフライとササミカツですね?」

「うん、手助けしてくれるなら、ぜひお願いしたいな」

「ならさっそく準備をしましょう。まずは買い物と、レシピの検索ですね。あー、レシピは本を読んだほうがいいかも」

「そうだね。いいお弁当にしよう」

 そしてふたりは再びお弁当を作るミッションに取り組んだ。プロデューサーに会える日を確認したあと、ていねいに料理をこしらえた。できあがったあと、味見をしてみると、颯も凪も笑顔になった。

「これはおいしいね~」

 颯はニコニコしていた。凪も深く頷く。

「そうですね。はーちゃんの努力の結晶です。デリシャスでハートをキャッチしてハピネスをチャージできるすばらしいお弁当になりました」

「これで完成だね。Pちゃんは今日事務所で作業してるはず。持っていこう!」

「待ってくださいませ。ここで裏技を付け加えましょう」

「裏技って?」

 凪は粉の入った瓶を颯に差し出した。

「この凪特製のスパイスを振りかけましょう。これを使うとコクがアップします」

「えー、そんなのがあるならもっと早くから使えば……」

「あくまでこのスパイスは仕上げ用のアクセントなのです」

「じゃあ、それを振りかけて、と」

 颯はぱらぱらとスパイスをお弁当にまぶした。凪はそれをじっと見ていた。こうして仕上げが終わり、お弁当は無事に完成した。

「オーケー。これで出来上がりだよ」

「早速Pのもとへ持って行ってください。グッドラック、はーちゃん」

「うん!」

 颯はお弁当を持って、事務所へ向かった。駆け足で執務スペースまで行くと、プロデューサーはパソコンを前にしてキーボードを叩いていた。颯はプロデューサーのもとへ近づいて言った。

「Pちゃんお疲れ様」

「ん、颯? 今日は颯の仕事はないだろ? なんでここにいるんだ」

「Pちゃんに差し入れだよ。お昼ご飯を作ってきたんだ」

 颯はプロデューサーにお弁当を手渡した。プロデューサーは驚きの表情を浮かべた。

「これ、颯の手作りか? ああ、エビフライとササミカツじゃないか……うまそうだな」

「食べてみてよ!」

「ちょうど腹も減ってるし、いただくよ。ありがとうな、颯」

 プロデューサーは黙々とお弁当を口に運び、よく噛んで味わった。

「うまいね。颯は料理も上手なんだな」

 その評価はうれしかった。颯の気持ちが明るくなる。作ってよかった。

「そう言ってもらえると作った甲斐があるよ。どんどん食べて!」

「うん、うん」

 プロデューサーはそのままお弁当をたいらげ、椅子の背もたれに身体を預けた。伸びをしたあと、颯に言う。

「ごちそうさまでした。ありがとう」

「えへへ。はーはいつもPちゃんにお世話してもらってるからね。たまにはお返しをしないと」

 颯は笑って言ったが、プロデューサーは一点を見つめたまま動かなくなった。なにか様子がおかしい。

「Pちゃん、どうしたの……」

 颯が声をかけると、プロデューサーは涙を流し始めた。いったいどうしたのか、お弁当の味に感動して泣けてきたのか。プロデューサーは泣きながらシャウトした。

「バブー、ママー、うえーんうえーん」

「なに言ってんのPちゃん!?」

「バブバブー、バブ、バーブバブ、ママ、ママ」

 颯が突如赤ちゃん的ムーブを始めたプロデューサーに困惑していると、背後から凪の声がした。

「こうなりましたか……」

 颯が振り向くと、執務スペースの入り口に凪が立っていた。颯は大きな声で聞いた。

「なー? どういうことなの?」

「はーちゃんは、あの特製スパイスをお弁当に振りかけたではないですか。あれは体質によっては、摂取すると一時的に赤ちゃんに退行する効果があるのです」

「なにそれ……で、どうしたらPちゃんは元に戻るの?」

「一時的と言ったでしょう。十五分くらいで戻りますよ。長い十五分に感じられるでしょうが。それでは凪は帰ります。アウフヴィーダーゼーエン」

 凪はさっさと逃げていった。

「あっ、待って!」

 颯はあとを追おうとしたがプロデューサーを放置しておくわけにもいかない。凪のことはいったん置いておいて、プロデューサーが元に戻るまでここにいることにした。十五分待たねば。

「ママー抱っこしてー」

 赤ちゃん・クリーチャーと化したプロデューサーはじたばたと手足を動かしながらそんなことを言った。ネクタイを締め、ジャケットに身を包んだ成人男性が抱っこをねだる光景は笑えるとかバカらしいのを超えて狂気の領域に入っていた。

「ううー、はーが男の人を抱っこするなんて無理だよ」

「じゃあ、頭なでて。いい子いい子ってして」

「え~!? 仕方ないな……」

 颯はしぶしぶプロデューサーの頭に手を乗せて、なでなでした。プロデューサーは気持ちよさそうな顔つきになった。

「よしよし、いい子いい子。ずっと忙しかったもんね」

「ママ、ありがとう。先輩が入院してて、先輩のぶんの仕事も僕がやってたの。でも来週には先輩も復帰するんだ。だからいつもの仕事に戻るの。バブバブ」

「そっか……忙しいのから解放されるんだ」

「うん。ママ、僕、眠くなってきちゃった。子守歌、聴かせて」

「子守歌ぁ? まあ、歌ってあげるけど」

 適当にセレクトした子守歌に近いであろう歌を颯は歌った。颯とプロデューサー以外の人間がいない執務スペースに歌声が響き渡った。

「――どう、Pちゃん? って寝てるし」

 プロデューサーはスヤスヤと眠っていた。颯がこの人の寝顔を見るなんて初めてのことだ。こいつも疲れたら眠るのだ。人間として当たり前のことだ。

 こいつにも親がいて、両親の世話を受けながら学校に通い、遊び勉強し友達と過ごしていたんだろう。どんな少年だったんだろう。高校・大学受験や就職活動は大変だったのだろうか。大人になったあと、どれほどのエネルギーを注いでプロデューサーとしての仕事に適応していったのか。

 颯はそのあたりのことを気にしたことがなかった。いつもプロデューサーはそばにいて颯を助けてくれる。しかしプロデューサーに頼ってばかりいるのではなく、プロデューサーを労ることも大切だと颯は考えるようになっていた。それができれば、プロデューサーと自分をつなぐ線は増えて濃くなっていくだろう。

「ん……寝てたのか僕は」

 やがてプロデューサーは目を覚ました。十五分経って、赤ちゃんモードが解除されたのだ。

「Pちゃん、大丈夫?」

 颯が聞くと、プロデューサーは思案する。

「颯が作った弁当を食べて、それから寝ちゃったのか? なんか記憶が曖昧だ。実家の母親が夢に出てきたような……」

「いい夢を見てたんじゃないかなー」

「そっか。弁当ありがとな、颯。今度なんか奢ってやろうか」

 颯は首を振り、言った。

「別にいいよ。リターンを期待してたわけじゃないから。これからも一緒にアイドル活動をがんばっていければ、それでいいと思う」

「うむ、アイドルとプロデューサーの仕事をまっとうすることが一番大事だもんな。基本に帰っていつもの業務をやっていこうか」

 再度プロデューサーが多忙な身になったとして、お弁当をまた作ることはあるのだろうか? そのときに颯がプロデューサーに与えられるものはお弁当ではないのかもしれない。でも、なにかを与えたいし、与えられたい。ふたりそろって同じ世界で仕事をしているのだから、相手への敬意は絶対に必要だ。アイドルの仕事はそういう気持ちを育てる面もある。そう思いながら、颯は凪への仕返しに見舞うプロレス技を考え始めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?