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大石泉ちゃんの次

 歓声に見送られて、泉はステージから去った。今日のライブも大盛況のうちに終わった。控え室に帰還した泉にプロデューサーが話しかける。
「大石さん、今回のライブも完璧にこなせましたね」
「うん、よかったと思う」
 言葉とは裏腹に泉の表情には影があった。ライブをやりきった満足感と疲れに加えてなにか気がかりなことがあるように見える。プロデューサーはすかさず声をかけた。
「なにか不安なことでもあるのですか?」
 それを聞いた泉は困ったことになっちゃったなあという顔で返事をした。
「不安……そうだね、不安かな。ライブを成功させて人気が出て、商業的にもうまくいってファンが増えてまたライブが盛り上がる――っていうモデルのサイクルはいつまで通用するのかなって思うときが多くなってきててさ。そう考えると、不安になる」
「うーむ、そのサイクルは人気アイドルとして正常なサイクルだと思います。健全な形でしょう」
「それはそうよね。でもその正常なサイクルでは人気アイドルの一種のまま私は終わってしまう。レベルの高いアイドルをやるからにはそれに新しいものを組み込みたい。己がそうできなければ私は不安になる。このままで大丈夫かなって。単純に、私が欲張りでわがままなだけなのかな」
 プロデューサーが何度か頷いて、話を整理するように言った。
「自分のやっていることに疑問を持てば不安につながりますね。活躍する、人気が出る、ファンが増える、評価される……その繰り返しに付け加えたいものがあって、大石さんはそれがほしい。けれども――」
「――具体的なアイデアがあるわけでもないのよね。なにか次の一手がほしいって思っているだけで」
 スタンダードなアイドル活動では足りないものがある。でもどうしたらその足りないものを満たせる?

 とは言ってもなかなかアイデアはまとまらず、泉はいくつものライブで何度も歌い続けた。観客席にいるお客さんがステージ上の泉に「かわいい」とか「歌が上手い」とか「ダンスのレベルがエレガント! すごい!」などの声援をレーザービームのように浴びせてくる。しかしその内側になにがあるのだろうと泉は思う。褒めてもらえたり応援されたりするのはうれしい。人気があるのもうれしい。だがその声援や評価の中からもっとなにかを取り出せないだろうか。

 その数日後、泉は学校で国語のテストを受けていた。漢字の書き取りやら文章の穴埋めなどの問題を解き、さらに長文読解の問題を解いていくと、ラストに「本文の中で筆者が述べている内容と一致する文章を次の1~5から選べ」という問いが出てきたので泉は本文を読み返し、選択肢から正しいと思われるものを選んだ。
 ふと、なぜこれが正しいと思ったのかという疑問が泉の脳内に湧いた。例えば五歳の子供がこの問題を解いたらどれを選ぶか。やっている仕事や生活している環境によっても選ぶ基準は変わるのではないか。それはそれで不正解かといえばそうでもないだろう。多様な読み解き方があるべきだし、正しくないから悪しきものであるという考えは危険だ。
 答えはひとつとは限らないんじゃないのかな~、と思っているうちにテストは終わった。
 放課後、泉のスマホにメールが届いた。プロデューサーからのものだった。ファンレターがいっぱい来たからプロダクションに来て読んでください、とのこと。泉は早足で学校を出て、プロダクションに向かった。
 所属プロダクションに顔を出すと、ファンレターが詰まった箱を持ったプロデューサーが出迎えた。プロデューサーは泉に箱を渡した。
「たくさんありますが、きっちり読んでください」
 泉は箱を受け取る。「もちろん、全部読むよ。これも仕事の内だもの」
 プロデューサーは執務スペースのほうに去って行った。泉が事務所を見渡すと隅に空いている席があったので、そこに座って箱からファンレターを取って読んだ。泉への賛辞がたくさん書いてあって、泉の歌を聞くと癒やされるとか、ポジティブな気持ちになれるとか、そんな内容の文章が次々とあらわれる。泉は集中力を動員して文章を読み解いていく。この中に自分の不安を解消するヒントがあるのかもしれない。
 そのうちに、きれいな青い便せんのファンレターが出てきた。中身を読んでみる。
 【泉ちゃんの歌の歌詞を考察したり、歌を聴いて思い浮かんだ情景のイラストを集めたウェブサイトを立ち上げました。いまのところ一〇件の考察記事と五点のイラストをアップしています。もっと早くからサイトを開設してもよかったのですが、ある程度の量を溜めてから公開しようと思ったのでこのタイミングとなりました。アクセスしていただけると死ぬほどうれしいです。よろしくお願いします。】
 その内容に泉は興味を覚えた。自分が発した歌を材料にしてお客さんがなにやらコンテンツを生産した。それは単なる声援より具体的で、ソリッドなものだ。手紙の末尾にURLとサイトの名前が書いてあったので、泉はスマホを手に取ってサイト名で検索し、早速アクセスした。
 サイト内の考察記事はよく練られた文章で書かれており、歌い手の泉より深く考えていると思わせる内容がビシバシと並んでいた。次々に新たな発見が泉の中で起きる。歌は音楽であると同時に物語でもある。そのストーリーを解釈して美しい視点で歌を分解・再構築することに泉は新鮮な驚きを感じた。
 考察を読み終えると泉はイラストのほうも見た。どれも美しいイラストばかりだ。リスナーが歌を聴いて思い浮かんだ情景を描いたもので、歌という入力から画像というデータが出力されるのもおもしろいことだった。お客さんの心の中で、自分の歌はこんな姿を取っているんだなと泉は思い、そしてもっとこういうものを求めたくなった。
 泉は便せんとスマホを持ってプロデューサーのもとへダッシュした。プロデューサーは執務スペースの中にいて、パソコンでなにやら作業していた。泉は近づいて言った。
「プロデューサー、いま時間ある?」
「ああ大石さん。ちょうど休憩を取ろうと思っていたところです……おや、きれいな色の便せんですね、そのファンレター」
「うん。急な話だけど、このファンレターを読んでみて、プロデューサー。読んだら書いてあるこのサイトをチェックして」
「了解しました……」
 プロデューサーはファンレターに目を通し、自分のスマホでサイトを閲覧した。
「ふーむ、なかなか新しい形の応援ですね」
 プロデューサーはスマホを覗きこみ、感心したふうに言う。泉はエキサイトした気分で言った。
「これを参考にして、私の歌からなにを感じたかをウェブ上で募集して、送られてきたものに私がコメントを付けるという企画はどう? 賞品とかも用意したらもっといいかもしれない。単純に私が歌うだけじゃなく、ファンのみんなが私の歌からなにかを創作して、それを並べて楽しむって感じで……」
「興奮していますね大石さん」
「ちょっと前に言っていた、サイクルに付け加えたいものよ、これは。私が歌う、そしてお客さんが創作するという新しい回路だわ。私が発したことに対して、想像を超えた答えがファンのみんなから返ってくる」
「新しいものを組み込んだサイクルを求めているという話でしたね。なるほどこれはずばりその通りでしょう。お客さんからの評判が、違う角度からもたらされるという。大石さんの投げたボールがいろんな色とスピードと軌道で返ってくるのは確かにおもしろくて新しい。いまの話、企画にまとめて会議にかけてみます」
「お願いします!」と泉は笑顔で言った。

 そして幸運なことにプロダクションは泉の企画を通した。一ヶ月半の期間、ウェブ上に特設サイトを設けて、そこから泉の歌にまつわるテキストやイラスト、その他もろもろを募集する。集まった作品に泉がコメントを付けて、優秀なモノには賞品が送られる、という形式の企画となった。投稿する作品のサンプルとして、あの青い便せんのファンレターを送ってきた人物の作品を並べることにした。ファンレターの送り主は泉にものすごく感謝する旨を伝えたが、泉もまたありがたさを感じていた。
 そうして企画はスタートした、初日は五〇件くらいの投稿が来るだろうと泉は見積もっていたが、いきなり八〇〇件の投稿が集まった。泉は苦労してそのひとつひとつを見て、コメントを付けていった。時間が経つにつれて作品の数はより増えて、泉はうれしい悲鳴をあげながら投稿されたあれこれを丁寧に味わい、熱心にコメントを綴った。
 泉の曲の歌詞を、泉本人の考え方とは異なる解釈で捉えたテキスト、泉が歌っているときは明るい太陽の光をイメージしていた曲を思案して、逆に星空を描いたイラスト、泉の歌を題材にした切ない短編小説や曲を擬人化したユーモラスな四コマ漫画……創意あふれる作品の数々が積み重なった。
 企画をこなす中、筆者の意見と一致するものを選べ、という国語のテストに出てきた問題を泉は思い出した。泉の歌からなにを感じるかは自由であり、決まった正解があるものではない。それぞれ個性があって、無限のヴァリエーションがある。素朴なもの、重厚なもの、ちょっとエッチなもの、いずれもがオリジナルであり、それぞれのお客さんが編み出した回答だった。それを見る泉にとっては楽しいことばかりだった。
 一ヶ月半はあっけなく過ぎ去った。泉は充実した気持ちで企画への取り組みを終えた。プロダクションの上層部も今回の企画は成功だと判断しましたとプロデューサーは泉に言って、それに付け加えた。
「ただし企画の第二弾をやるかどうかは検討中です」
「検討の段階ってことは、没になる可能性もあるわけね」
「そう言われるとその通りですが、私は次があってほしいと思います。この一ヶ月半、大石さんは楽しそうでしたから。私もいろいろな作品を見るのが楽しかったですし」
「そっか……ありがとう」
 いつの間にか泉の中から不安が消えている。創造の風に吹かれて新しい日差しを浴びた気分だった。まだまだアイドル活動は奥が深い。前進し変化しながら次の形を探していこう。それが自分にとっての優れたアイドルだ。泉はそう思った。

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