永遠存在渋谷凛ちゃん
「あれ、プロデューサーしかいないんだ」
レッスンからオフィスに帰ってきた凛を待っていたのは、プロデューサー以外誰もいないオフィスだった。
「お疲れ様です、渋谷さん」
自身の机に向かってノートパソコンで作業しているプロデューサーが言った。
「お疲れ様。みんな、席外してるの?」
「たまたま予定が重なって、みなさん外出しています」
凛は「そうなんだ」と適当に言って、空いていた椅子に腰掛ける。今日のダンスレッスンはきつかった。
「渋谷さんはお帰りにならないので?」
プロデューサーはみんなのスケジュールを正確に把握している。凛がもう家に帰っていいということもわかっていた。
「もうちょっと、ここにいたい」
プロデューサーはなぜそんなことを言うのか、とは聞かない。
「では、ごゆっくり」
「うん」
凛は携帯端末をいじってボーカロイドソングを再生して聴いた。最近はよくボーカロイドの歌を聴いている。パワフルなビートの中を、ボーカロイド特有のコンピュータに加工された歌声が駆けていく。一通り聴いたあと、プロデューサーに言ってみた。
「プロデューサー、ボーカロイドは詳しい?」
「それなりには勉強しています」
「あれ、元は声優さんの声を使ってるんだよね」
「ええ。人間の声をバラバラに分割して、それらを組み合わせて歌詞を紡いでいくんです。生身の人間では歌えない構成の楽曲もボーカロイドなら歌えます。オーディションをクリアした歌手を用意するのでなくアプリケーションを使って音楽を展開していくわけですから、誰にでも歌を発信できる機会がある。加えてボーカロイドはデジタルな存在ですからユーザーごとに無限のバリエーションが造れます」
「私の声をバラして、CGのモデルをくっつけたら、私もボーカロイドになれるのかな?」
そう言われるとプロデューサーは少し黙った。凛は話を止めなかった。
「もしそうなったら、人間じゃない私が生まれて、いろいろ加工されて、無限に変わっていくのかな」
プロデューサーは間を置いて答えた。
「渋谷さんはボーカロイドになりたいのですか」
「なりたいっていうか、人間の私にはできないこともできるのなら、それは人間の私を超えたなにかなんじゃないかって思ったんだ。そっちのほうが、アイドルとして優れてるのかなって」
「……私個人としては、ボーカロイドは生身のアイドルに劣ると思っています」
「どうして?」
「終わりがないからです。ボーカロイドは永遠に拡散し続けていきますが、リアル世界のアイドルに与えられた時間は有限で、いずれ引退します。そこが魅力だと私は思います。渋谷さんも、いつか必ずどこかでアイドル界から抜けるでしょう」
「私が通用しなくなる日が来るってこと」
「ライブの動員数やCDの売上で渋谷さんの仕事が有効でない、という数字が出てきたら、渋谷さんも引退を考えるはずです」
今度は凛が黙る番だった。優しいはずのプロデューサーに叱責されている感じがする。しかしプロデューサーは温かい声色で言った。
「けれどもその数字の大きさは渋谷さんのがんばり次第でコントロールできます。そうしてできるだけ努力した結果、納得できる形で数字を受け入れれば、それは幸せな気分で仕事と別れることになるでしょう」
「そんな日が来るなんて、いまは想像できないな」
凛は困惑した。思考が追いつかない。そんな自分はまだ子供なのだろうと思うが、できればプロデューサーの言うことをきちんと理解したかった。
「私の先輩プロデューサーが言っていました。アイドルをプロデュースするという仕事で一番うれしい瞬間は、担当アイドルが業界から去ったときだと。ボーカロイドと人間の一番の違いはそこにあるのです。有限な存在が終わりを迎えるときというのは、うれしいことなのです」
「そうなのかな」
なかなか納得できない様子の凛を見てプロデューサーは微笑んだ。
「歳を経るというのも悪くないことですよ。十年後、二十年後の渋谷さんは考え方も価値観も変わるはずです。そしてそれは決して辛く悲しいことではないんです」
「結局私はどうしたらいいんだろうね」
「ひたすら成功体験を積んで、どんどん自分を肯定してください。私はそんな渋谷さんを全力で応援します」
「不断の努力ってやつか。まあ、悪くないね」
「悪くない話でしょう」
プロデューサーにつられて、凛も笑顔になる。有限の自分が放つエネルギーが、どこまで世界を揺らせるか、それはやってみなければわからない。そして、一生が終わる瞬間に自分が世界を揺らせたことを思い出せれば、それはきっと幸せな死になるはずだ。