憧れのアーティストに会えた話 〜X編②〜
中3、その頃の俺は、TVを賑わしているロックバンドではなく、Xをはじめとするエクスタシーレーベル、関西のフリーウィルレーベルといった、のちにヴィジュアル系と呼ばれるバンドシーンにハマっていた。
ある日、友人から中古でベースを買った。
サミックというメーカーの初心者セットで売られている安いベースだ。
簡単なフレーズを繰り返し練習する日々、中学の卒業時には友人たちとバンドみたいなものを組み、町の音楽スタジオで卒業記念ライブを行った。
高校へ進学し、夏休みにバイトしたお金で初めて自分で楽器を買った。
XのTAIJIがインディーズ時代に使っていたフェルナンデスのワーロックという形のベースだ。
小柄だった俺にはアンバランスなロングスケールのベース
意味もわからないスイッチがいくつもついていたアクティブサーキットの変形ベース
そのベースで毎日Xのコピーをしていた。
本当に常にベースを抱え何度も何度もカセットテープを巻き戻してはTAIJIの弾くフレーズを練習した。
唯一の悔やみ
俺は人生で後悔したことはないし、こんなに自由な人生を咎めなかった両親にも感謝している。
が、そんな両親へ1つだけ、たった1つだけ、取り返せない悲しい思いがある。
中学時代、Xのコンサートへ行かせてもらえなかったことだ。
そりゃそうだ、平々凡々に暮らしていたのに突然ロックに目覚め、コンサートに行きたいなんて言い出したら未成年の親としては当然の反応。
しかもTVで見るXは派手を通り越して恐怖でしかなかっただろう。
両親の躾には感謝しているし、間違ったことは1つもなかったと胸を張って言えるが、この全盛期ともいえるXを見ることができなかったという事実は、取り返せない悔しさとして胸に残っている。。悲劇が訪れるから。
TAIJI脱退
92年1月、東京ドーム3DAYSを最後にTAIJIはXを去ることになる。
事前に公表されていたが、自分はチケットを取ることができなかった。
その頃の俺は、ベースではなくギターに転向していたし、TAIJIの一番好きな頃は90年ごろまでで、アルバムJealousyの頃からのアメリカンな衣装、レスポールシェイプのベースという装いはそれほど好きではなくなっていた。
しかし、あの頃のXはもう見れない、そしてTAIJI脱退により、自分をロックの道へ導いてくれたXは完全体ではなくなる。
後日リリースされたDVDを泣きながら見て、大きな喪失感とともに、俺の中で1つの歴史が終わった。
TAIJIはX脱退後、日本を代表するハードロックバンドLOUDNESSに加入する。
Xではなく、演奏している音楽性も違う、自分もギターに転身しているし好きな音楽生も変わっていたが、それでもやはり一度はTAIJIのプレイを生で見ておきたいという思いはあり、渋谷公会堂のコンサートチケットを取った。
自分が一番好きだった頃のスタイルとは違うが、あのTAIJIがそこにいた。
Loudnessの曲はそれほど知らなかったが、ベースソロのコーナーでX時代に披露していた高速タッピングを見ることができた。
またいつか、次会うときは自分のバンドのCDを持って直接話しをしたいと思っていたが、それが果たされることはありませんでした。
その理由を書く前に、もう1つの悲劇が起こる。
98年5月、hide急逝。
つづく