コーチングを受けると(「最後の一葉」で考察)
【本記事はオーヘンリー作「最後の一葉」のネタバレを含みます。】
ご存知、短編小説の名手オーヘンリーの名作「最後の一葉」。
とても良い作品です。
病で衰弱し生きる気力を失った主人公ジョンジーは病床から外を眺め、蔦から落ちる枯れ葉を数えながらこんなことを思います。
「あの蔦の葉の最後の一枚が落ちたら私の人生は終わる」
この衰弱した主人公を助けるためにはどうすればいいでしょうか?
蔦が見えないようにブラインドを下げる?
葉っぱとあなたの寿命は関係ないと説得?
打ちつける雨風の中、壁に葉っぱの絵を描いて、主人公に「まだ落ちてない」と思わせる?
それぞれ良い案だと思います。
主人公が元気になればとても良い事です。
(物語の中ではそれらは効果的でした)
では、仮の話として、このとき主人公が「苫米地式コーチング」を受けていたらどうなっていたか、シュミレーションしてみます。
※これはあくまで私の想像です。
おそらく主人公は、何回かセッションを受けるうちに、「あれ?あんな所にも窓があった?」と今まで気づきもしなかった窓の存在にふと気づくでしょう。
そして、新しい窓を開けてもらうと、そこにはとても綺麗な山並みが広がっており、その綺麗さに心を打たれます。
「あの山に登ったらなんて気持ちがいいだろう。山頂からの眺めは最高に違いない!絶対に登りたい!」と想像に胸を膨らませます。
そのうち、「自分は山に登る事ができる!」と確信するようになります。
そして、気づいたらいつの間にか山頂に立って綺麗な眺めを堪能し、こんな事を思うのです。
「そう言えば、あの頃どうして葉っぱの事なんて気にしてたんだろう・・・」
「私、病気だったはずなんだけどな・・・」
そして「そんなことはどうでもいいので、次はもっと高いあの山に他の人たちも一緒に登ろう」と密かに思うのでした。
ジョンジーが幸せな人生を送ることを願っております。
おしまい
(あくまで想像であり効果を保証するものではありません。)