継ぐ - 【蓮ノ空感想文】
はじめに
先日行われた「104期 OPENING!Fes×LIVE」に感銘を受けて(そういえばnote投稿キャンペーンってもしかして4月末までか…?と思い出し)、感情が新鮮なうちにこの文章を書くことにした。どうしてこのライブがとりわけ好きなのか、蓮ノ空のどこが好きなのかを筆者本人のクソデカ感情を込めて語っていきたい。
芸楽部とスクールアイドルクラブ
その時の百生吟子の感情を想像してみる。彼女が初めて出会う「スクールアイドル」であった祖母の声で覚えたメロディと歌詞、そこに込められた想い。祖母に憧れてスクールアイドルクラブの門を叩いた彼女の前に現れたのは、まるで変わってしまったその曲だったのだ。
百生が愛したのはどちらだったのだろう。祖母の時代の古い音楽の型そのものか、またはその音楽が表現するテーマだったのか。
型とテーマ
ここで筆者自身の話をしたい。私はいわゆる「古い音楽」に馴染んでいて、そのテーマでなく型を好んで続けてきた側の人間である。子供の頃にピアノやヴァイオリンを習ったり、オーケストラ部に所属したりしていた。演奏するのは約300年前〜80年前の作曲家たちが作った今に伝わる作品、そのモチーフ・テーマは祈り、風景、物語、作曲時に既に古典と呼ばれていた詩、作曲家の私小説としての愛、その子供に向けた子守唄まで。演奏するときは譜面を読み、作曲家の人柄を知り、当時の歴史を学ぶ。きっとクラシックでなくたって、どんな音楽だって踊りだって(もしかしたら美術だって)やることはそう変わらないだろうとも思う。作品を理解して、自分のものとして表現するための営み。作曲者や演奏者が伝えたい「テーマ」を表現するためにジャンルによって厳格性も範囲も異なる「型」がある。ある期間に作られた音楽をアレンジすることなく厳格性の高いルールに従って演奏するのがクラシック音楽のセオリーであり、そこから少し外れるだけで異端とみなされることすらある。
初めて楽器に触れた時の気持ちはもう覚えていないけれど、続けることを選んでいたのはクラシック音楽という型が好きだからだ。表現したいテーマにこだわりがあるなら、その手段は雅楽だってポップスだって良かったはずだった。アコースティック楽器の響き、多種多様の音色の重なり、今ほど便利ではなかっただろうがきっと美しかっただろう時代への憧れ、そういったものが今でもクラシックと呼ばれる音楽を聴き続けるモチベーションになっている。もしかしたら百生が馴染んでいた着物の世界や、入学前に思い浮かべていた蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブの「伝統」も、これに似たものだったんじゃないかと想像する。
一方で、私は現代の音楽、とりわけアイドルたちも好きだ。初めてちゃんと聴いたのは10代になってからのこと、友達の家で偶然「少女時代」のミュージックビデオを見たのがきっかけだった。鮮やかなダンス、多彩な声、計算し尽くされたカメラアピール、それぞれの個性を活かしたキャラ設定とそれに合った振る舞い。追い始めてみたら次々に打ち出される新しいコンセプトとそこに込められたメッセージに夢中になった。テーマは初恋、夢、怒り、自己肯定、それらをまったく新しい言葉に乗せて、ときには古い物語を引用して。全体のバランスとメンバーの個性を両立する衣装とヘアメイク、すべて緻密に作り込まれた歌と踊りと表情演技を、たった4分足らずで見せる。オペラともバレエとも違う自由さ。それまで厳格な型に沿った奥ゆかしい(婉曲的で複雑な文脈の理解を要求する)表現しか知らなかった筆者にとって、その目まぐるしいほどの柔軟な変化、直接的で強い主張は衝撃的だった。
いわゆる二次創作に触れる楽しさもこのときに覚えた。KPOPアイドルは他の歌手の楽曲をカバーすることも珍しくないし、新曲が出れば世界中のファンが自言語に訳したりアレンジしたりして歌うのを聴くこともできる。自分以外の人がその音楽をどう解釈してどう表現するかを聴くのは最高に楽しいし、その数は多い方がいい。逆に、普段は聞かないような洋楽をKPOPアイドルによるカバー/アレンジがきっかけで興味を持って聴きに行ったりもするようになった。こんな風に世界が広がって行くのも楽しい。
想いを繋ぐ
「逆さまの歌」と「Reflection in the mirror」の話に戻る。日野下花帆が百生の部屋を訪れて彼女の表情が浮かない理由を尋ねた時、百生はこう答えていた。
そして、このnoteの冒頭で引用した百生の台詞に対する日野下の答えはこうだった。
もちろんこれは想像でしかないけれど、この瞬間の百生は、型とテーマのどちらを選ぶかの岐路に立っていたのではないかと思う。百生が知っていたのは、いわゆる古い型の音楽だろう。現代においてはクラシック音楽として伝わっている曲だって、作曲当時は大衆音楽だったものもあれば、先人へのリスペクトを込めてメロディを引用する形で作られたものもある。歴史上のある任意の一点における型を重んじる人が、当時の形式に沿って(その形式に則って自らの個性を表現する形で)型を伝え続けていることもあるし、様々な作曲家によって語り継がれてきたテーマを重んじる人が、時代によって変わり続ける大衆音楽の流れを汲んでテーマを伝え続けていることもある。(このどちらか一方だけが正統な「伝統を継ぐ」ための手法であると述べることは私にはできない。長く続く継承またはそれに伴う変化の先にあるという点においてはどちらも変わらないように思えるからだ。)日野下が語る「積み重なった想い」は、きっと百生に後者を選ばせるだけの十分な説得力があったんだろうと思う。
百生が祖母から聞いていたのは歌だけではなかったはずだ。練習の毎日、舞台に立った瞬間のときめき、チャイムの音、学友たちとの宝物のような日々。日野下が語るスクールアイドルへの想いが、これまでの体験入部で彼女と過ごした時間が、祖母から聞いた思い出と重なったんじゃないだろうか。祖母が過ごしたたった三年間しかない高校生活、孫に伝えたくなるほどの大切な記憶。時代が変わって芸楽部からスクールアイドルクラブへと名前を変えても、その温かさは変わっていなかった。かつて愛した曲はまったく別物のように変わっていても、その根底にあるテーマは変わっていなかった。
日野下は一度は百生に背を向けようとしたが、先輩や同期に励まされてありのままの彼女の方法で百生と向き合った。同年代の友達の作り方がわからないと言う百生に半ば強引に敬語を取っ払わせ、百生が初めて部屋に上げた「友達」になり、文字通り境界線を飛び越えようとした。思い出されるのは、一年生の日野下が過ごした日々のこと。スクールアイドルクラブの仲間たちと過ごした時間が今の日野下を作ったのだ。祖母から祖母の後輩へ、またその後輩へ、そして大賀美沙知から乙宗梢へ、乙宗梢から日野下花帆へ。彼女たちの絆が何十年にも渡って繋がれてきた証拠を、祖母が蓮ノ空での思い出を宝物だと言った理由を、日野下に見出したんじゃないだろうか。
逆さまの歌とReflection in the mirror
(ここで「104期 OPENING!Fes×LIVE」を聴いた直後に書いたポストを引用する。ちょっと流れが前後するけれど、ざっくりこのnoteで書きたかったことの根幹を書けていると思うので。)
おそらく百生にとっては「逆さまの歌」の型もテーマも、どちらにも思い入れがあったんじゃないかと想像する。もちろんそれらを両取りする道だってないことはなかったはずだ。祖母の時代の表現にこだわるなら、クラシック音楽を好きな人がオーケストラ部に入って当時の表現を学ぶように「芸楽部時代のパフォーマンスを研究/再現するクラブ」を立ち上げて自らの表現を探していく選択肢だってあっただろう。それでも彼女は日野下の誘いに乗った。祖母の足跡を辿りたくて蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブの門を叩いた彼女が、日野下と共に新しい音楽を作っていく道を選んだのだ。私はこのことをとても尊く感じる。音楽に影響を受けて自ら新しいものを作り出すという行為は、その音楽に対するこの上ない愛の表現だと思うからだ。音楽に触れて感銘を受けた者の足跡を刻むこと。その音楽を新しい音楽の産みの親にすること、そこから発展していく文化の根源にすること。その音楽自体が未来まで残らなくても、そこから始まった長い歴史の先端に触れた者がいつかその根源の偉大さを知るかもしれない。その変化は、変わらないままでは辿り着けない場所までその音楽を連れていくのだ。
Future Bassに琴の音。祖母への憧れは、伝統への愛は、百生を蓮ノ空女学院へと連れてきた。彼女は同年代の新しい仲間を得て、ここで新しい時間を、未来を紡いでいく。現代のスクールアイドルクラブのメンバーたちと共に過ごすことそのものが、きっと祖母の想いを継ぐことになるのだろうと私は信じている。
それは未来
104期 New Ver.を聴いたとき、まず彼女たちが自分たちの新しい個性に合うように既存曲を編曲しようと思ったその情熱に惹かれた。自らを型に嵌めることの難しさは人によるとしても、既存の曲を解釈して新しい表現を生むことやそれに合わせてひとつのステージ(歌やダンスから衣装やスタイリングまで)を作り込むことは間違いなく多大な労力を要すると思うからだ。彼女たちはこれまでの思い出が詰まった曲を演奏し続けることも、色が増えたパレットを存分に活かすことも、どちらも諦めない道を選んだのだ。きっとその姿勢こそが蓮ノ空に受け継がれる「伝統」なのだと思う。彼女たちは既存曲への愛を持ちながらユニットの変化に適応して、新しいかわいいを、かっこいいを、楽しいを作って披露してくれた。ファンとしてこれ以上に幸せなことがあるだろうか。
私はこの変化の瞬間、伝統に新しい息が吹き込まれる瞬間に立ち会えたことをとても嬉しく思うし、きっとこれこそが蓮ノ空をリアルタイムで追う醍醐味なんだろうと理解している。これからも私の大好きな曲たちに新しい解釈が加わることを、そしてそれによって彼女たちがもっとたくさんの人に知られて愛されることを願っている。