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雨の匂いと京の門掃き


雨がくる

母がこう呟くと
10分も経たないうちに雨が降り始めます。
その日は甘雨となりました。
夏の日差しを浴びて、しょんぼりした草花は元気と輝きを取り戻しました。

雨の匂いは特別です

どんな匂いと問われても説明できません。匂うというより感じるのです。
他のことには無頓着な母は雨の匂いにだけは敏感で

雨がくる

そう感じると外に飛び出ていきます。そして、洗濯物が干してある
ご近所さんにふれて回るのです。
留守のときには、取り込むことまでします。その後で自分の洗濯物を取り込みます。

「ご近所さんは親戚さん。困ったときはお互いさま。」
私の嫁ぎ先には、すっかりなくなってしまっている考え方が、そこには根づいています。

ある日

実家を訪れると母がいないのです。玄関には鍵がかかっていません。近くにいるだろうと、辺りを探すと、お隣の庭にいました。
母はそこで草取りをしていました。
「草が伸びてきて、気になったから。お隣さんは仕事してて、忙しいし。」
どうやら、頼まれてやっているというより勝手にやっているらしい。お隣さんは気を悪くしないのかしら。そう思っていると

「取るのは、どうしても気になる部分だけ、相手に気を遣わせない加減が大事。」

難しいなぁ。

「あんまりやり過ぎると、自分が手抜きしているのを責められている気持ちにさせる。」

その加減が難しいのよ。

京都の門掃き(かどばき)

ふと
頭に思い浮かびました。
京都には「門掃き」という慣習があると聞いたことがあります。

自分の家の前を掃除する際に両隣や向かいのお宅の前も、気を効かせて、少しだけ掃除する。

「この『少しだけ』というところがミソやわ。やり過ぎてもあかん。嫌味になるわ。」
京都に住む母の妹は、こう強調しました。
「察知力やね。それがないと京都では、生きていかれへん笑」

難しいなぁ。

この言葉は大げさですが、確かにそういう部分は、私の実家にもあるようです。そして、この考えは年老いて、独り暮らしの母を助けてくれています。

人は人に支えられて生きる。
私がこうしていられるのも周りの助けがあってこそ。

ときに応じて、母が口にする言葉です。そんな人間関係の中で生きる母親を少し羨ましく感じます。

私が嫁ぎ先のご近所さんと話すことは、あまりありません。関わりが薄くなっています。今は仕事をしている身なので、それを寂しいと感じることもありません。

でも母を見ていると

人との繋がりを感じ、大切に生きることは素敵だなと感じます。

人は人に助けられて生きる

自分の行動にちょっとだけプラスして、誰かのためになることをする。それくらいは私にもできそうです。

人との関わりが希薄になりがちな現代だからこそ、ちょっとだけ積極的に関わってみる。そんな考え方も必要かもしれません。

今日、実家を訪れると
玄関先に茄子がごろんと6つ。
母の姿は見当たりません。玄関は開いています。

さて、、、。


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