おじいちゃんの箪笥は笑顔の玉手箱
先日アップしたエッセイ「箪笥の整理は時空を超えた宝さがし」から発想し、息子の視点から描いた試作エッセイです。
「おじいちゃんの遺品の整理をするから、手伝って。お宝が出てきたら、あんたにあげるわ。」
こんな母の言葉に乗せられて、ぼくは、おばあちゃんの家に、のこのこついてきた。
しかし
お宝はいっこうに出てこない。
それにしても
亡くなった人の遺品の整理をしているというのに、母とおばあちゃんは楽しそうだった。時折、笑い声さえ聞こえてくる。
それもそうか。
おじいちゃんが亡くなって1年以上が経つ
時間の流れは人の感情を和らげてくれるらしい
おじいちゃんが亡くなった直後のおばあちゃんは、まるで人が変わったようだった。
以前は、ぼくがおばあちゃんの家を訪れると、満面の笑顔で迎えてくれた。そして、落ち着く間もなく、決まって
「何が食べたい?何でも作ってあげる。おやつもあるよ。たくさんお上がり。」
そう歓待してくれた。
「お腹空いてないよ。」
そう言うと
「そうか。じゃあ、飲み物は?果物もある。どっちがいい?」
と矢継ぎ早に聞いてきた。
ぼくが思春期の時
おばあちゃんは唯一
「逆らえない人」だった。
その理由を
惜しみない愛を素直に表現されると、案外反抗できないものだと、今は分析している。
しかし
おじいちゃんの葬儀の直後から、おばあちゃんは人が変わったようだ。ぼくを見ても、薄く笑うだけなのだ。
「辛かったら、笑わなければいいのに。」
懸命に作り笑いするおばあちゃんは、妙に痛々しかった。
おじいちゃんはいつでも笑っているような人だったから、無理にでもそうしているのだろうか。
母は実家によく出かけるようになった。1人暮らしになったおばあちゃんが心配なのだろう。
人が1人
いなくなるというのは
時空に穴が
空くようなものだ
おばあちゃんの家の時計は
止まったまま。
それを繕いもせずに
日常がうわ滑りしていく。
それでも
時は
少しずつ流れを取り戻し
日常に魂が宿り始めた頃
おばあちゃんは
庭に花を植えた
金木犀の花だった。
まもなく
その花を咲かせる。
おじいちゃんはその香りが好きだった。
金木犀の花は、香りを家の中まで届けるだろう。
おばあちゃんはもともとお洒落好きだ。再び化粧をして、出かけるようになった。
そして
今は母とおじいちゃんの
箪笥の整理をしている。
「あ、この時計!」
思わず華やいだ声を母はあげた。
「あら。」
おばあちゃんも、まるで若い娘のような声でこたえる。
ん?ついにお宝か?
なんだ。古くさい腕時計だ。
しかし
二人の思い出話に耳を傾けると
こっちまで笑顔になる。
少女の頃に戻って
昔話に花を咲かせている。
思い出の時計らしい。
おじいちゃんの箪笥の整理なんて聞くと、何かすごい宝物でも出てくるんじゃないかと、内心期待をしてついてきた。
ほら。よくテレビでやってる開かずの金庫を開ける感じ。
しかし
出てきたものは
大量の絵の具と着古した衣服。(そこには、ぼくの中学生のときの学校指定のジャージまであった。どうやら、寝巻として着ていたらしい。)
野菜の種と家族写真も出てきた。
そして
おじいちゃんの形見の腕時計。
「動くかしら。時計屋さんに持って行ってみようかな。」
母はつぶやいた。
結局、箪笥からは
お宝は見つからなかった。
しかし
二人が笑っている。
この家の時計は
再び動き始めたらしい。
お宝は
この笑顔かもしれない
結局
ぼくがこの日に手にしたのは
ジャージのポケットから出てきた
わずかな小銭だけだった。
少しがっかりしているぼくに
「おやつでも食べる?」
おばあちゃんが笑って言った。
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