Savage Love
最近の私は耳当て代わりにヘッドホンを装着してノリノリでセレブリティ気取りで歩いている。
右目のコンタクトを外して左目のコンタクトを取ろうと思ったらなかった。落とした記憶がない。目の裏側に回ってるとか怖いこと言わないよね。コンタクトをするようになってから直接眼球に触れることに抵抗も違和感もなくなってしまったせいでほんとにあるのかないのかがわからない。見え方的には入ってない。えーっとどこで落としたのだろうか。家の中で過ごしているとだいたいのものの配置を把握しているから見えてなくても記憶が勝手に補って見えている体で生活できてしまう。だから朝急いでいる日に見えている気になって外に出てしまった時、1日が終わる。まあ通行人がのっぺらぼうに見えるだけだし、買い物の値段がわからないだけだし死にはしないので生きられるくらいには視力がある。
眼鏡を発明した人って、眼鏡を作ろうと思って発明したわけではないと思うんですけど、どうやって視力を増強できるということに気付いたのでしょうか。虫眼鏡と眼鏡、どっちが先だったのでしょうか。なんかカレンダーを発明した人は何を作っている時に思い付いたのだろうとか言ってる人がいたのを思い出して、確かにカレンダーを作ろうと思って作ったわけじゃないよな革命だなぁと思いました。発明ってこれを発明するぞって思って頑張ることもあるんだろうけどその過程で偶然の産物っていうの?他の大発明が生まれていることが多い気がする。
0から1を作るのが苦手なので発明もそうだし小説とか映画とか絵とか本当に尊敬する。音楽もそう。どうして思い付くのですか。頭の中どうなっているのか見せていただきたい。
友達が静寂の中で眠ろうとするとどうして手が動くのかとか、時が流れるってのはどういうことかとか、そういう考えても考えても腑に落ちる答えが得られない事例について考え始めて眠れないと言っていてとても共感した。哲学的なことを考えることが好きで、なくても生活できるけどあると面白い学問を学んでみたかったなとも思う最近。高校の時は先生が面白いからという理由で倫理を取った。同じような名前で同じような名前の本を書いて、でもちょっとずつ解釈が違う考えを展開していく哲学者たちを世界史とごっちゃになりながらなんとか暗記して、大学入試では使わなかった用語たちが最近はなぜか頭の中に浮かんできて、使いたくて楽しい。
1000文字だ!