本当の自分はここにいるという軌跡
正しくきちんと社会に寄り添っている人は、多くの人に恵まれ、たくさんのモノを手にすることができる。
そうして幸せな人生を過ごすのだろうけど、本当の自分を隠さなければ社会的な立ち位置を確保できないタイミングが多いように思える。
人の期待を裏切らず、真面目に集団の利益と幸せを追求している人ほど、その社会的なポジションに自分をアジャストするものだから、本当の自分というものを失くしていってしまうのではないだろうか。
例えばひとつのプロジェクトを成すにあたり、納得させる要素を用意して発言しなければ、多くの人をうなずかせることはできない。
「納得させる要素」とは結局のところ、無難で大衆的な意見のこと。チームの人数が多ければ多いほど、収集をつかせるためにも、よりそのような力が自然と働く。
うなずいた人数が多ければ、少数派は阻害されるものだ。当たり前のようで、せちがらい。
自分のわがままや主張をグッと我慢すれば、チーム(周りの人)は幸せになる。
僕はわがままだ。
今までは、自分が楽しい事しか仕事にしてこなかった。好きなことを勉強して技術をつけてきたから、得る対価も自然と増えてきたという自負がある。
けれどそんなのは狭いところしかみてこなかったのだと足元をすくわれた。
その時、社会に寄り添って、チームを幸せにすることなんてしてこなかったのだと気がついた。
だからこそ発言に注意をする。
ぐっと我慢をして、少数派になったり否定されたりするのを怖がっている。
そんな毎日は、実はとても疲れる。
ね。社会って寄り添えば寄り添うほど、豊かで幸せになるはずなのに、本当の自分をぐっとこらえながら過ごさなくちゃならないんだ。
だからこんなところ(note)でつらつらと思いを綴って、自分の軌跡を残そうとしているのかもしれないな。
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