秋野イントロ 「attachment」展覧会評 by M
秋野イントロの個展 「attachment」が aaploit で開催されている。Attachment、歯科矯正の器具や、高級なカバンにつけられたアクセサリーなどをアタッチメントと呼ぶ。あるいはメールの添付ファイルで使うことがある。展覧会の名前になっているのはどうしてだろうか。Attachmentを調べると、心理学用語で愛着という意味があることを知った。秋野イントロは心理カウンセラーであり、アーティストでもある。様々な意味があるAttachmentだが、展覧会の名前は愛着を示しているのだろう。
会場の中には、右手に大きな絵画作品が一点かけられており、中央の展示台の上に赤い電話、左手側の奥の壁に三点の絵画作品が縦に並んでいる。その隣には四点の絵画作品が格子状に展示されている。更に左手側の入り口近くにはモニターが設置され、映像作品が展示されている。そのモニターの下に棚があり、ビニールでパッキングされたパンケーキが並べられている。
絵画作品に共通しているのは、全てがポートレートであり、その目はボタンが縫い付けられていて、口は印刷された紙が貼り付けられている。ちぐはぐな大きさのボタン、縫い糸は視線を表しているようだが、その視線はどこにも焦点が合っていないように見える。ケント紙の口は輪郭に比較して大きく、マスクをしているように見える。描かれている人物の肌の色、目の色、髪の色は様々であり、人種を現しているように見えるものの、緑色、青色の肌の人物像も描かれている。展示空間の作品は粘土製のボタンの目を持つが、バックヤードにかけられた作品には服飾ボタンを使っている。それは初期の作品であるという。ボタンの目はぬいぐるみを暗喩しているという。
会場の中央にあるペイントされた黒電話に向き合って立つと、全ての視線が投げかけられているように感じる。目が合う様で合わない。赤塗り電話は、電話線がつながっており、実際に電話がかかってくることがある。展覧会の案内状には電話番号と間違い電話に注意するようにと記載されていた。電話の奥の正面の壁に鏡がかけられており、電話で話している自分の姿が鏡にうつる。実際に電話がかかってくると、その呼び出し音の大きさに驚く。最近聞きなれた電子音ではなく、ベルをハンマーが打ち鳴らす大音量である。
作品に見つめられながら、電話がかかってくるのを待つ。電話からはダイヤルが取り去られ、こちらからコミュニケーションを試みることができない。見られている状況であるが、話をすることができない。
ゲーテの格言にある孤独
現代は人ごみの中をかき分けていくことは少なくなったと思われるが、各人がスマホを持ち、常時繋がる状況になっている。タイムラインの人ごみは、より孤独を感じさせるのだろう。救済としての電話なのか、だがしかし、こちらから働きかけることはできない。さらに絶望させるための電話なのか。
この状況は孤独とコミュニケーションの葛藤を表しており、孤独を認識させるときに、コミュニケーションへの渇望を生じさせる。これは人の社会性を示そうとする試みであろう。
愛着とは、どうしても避けられない他者との関わりのこと。