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第 1 回 アートライティングテキスト ①手紙 by Y.M

 君が興味を持つであろう作品を観たので筆を執った。
 その作品は、横幅 1mほど高さは 2mを超えるであろう、大きな油彩の平面作品だ。これを観たとき私は、真っ先にゴヤの《我が子を食らうサトゥルヌス》が頭に浮かんだ。

Turkey Syria Earthquake, 2023, ©️Izumi OISHI

 画面情報を共有しよう。
 この作品では、おおむね画面の上2/3と下1/3とで描き方が異なっている。
画面の上2/3は、そのエリア全体を覆うアラベスクを引き延ばしたような、白、黒、薄い⻩色、ペールオレンジ色、濃いオレンジ色の、太い線の集合が特徴的だ。細い煙の集合体のようにも見える。そこに浮かび上がるように見えてくるのは、まず、画面中央やや右下の「人がた」のもの。丸い頭や、ふっくらとした手足の、⻑さと太さのバランスから、「子供」のように思われる。顔をこちら側に、胴体を何か大きなものに掴まれ持ち上げられているようで、露出したペールオレンジ色の両手両足をだらりと下げている。首元の濃いオレンジ色が血を思わせる。表情は見えない。その、胴体をつかんでいるものを辿ると、画面横幅からはみだす程のはち切れんばかりの筋肉をつけた上半身と、蓬髪・髭に覆われた落ちくぼんだ眼窩と鷲鼻の顔をもつ、「異形の者」が見えてくる。その顔は、画面右上に位置を占め、画面横幅の1/3にも及ぶ大きさを持つ。持ち上げられている者を丸めると同じくらいの大きさだ。その色彩は、⻩色とペールオレンジ色、濃いオレンジ色、黑で構成されている。⻭をむき出した男が笑っているようにも見える。
 画面の下1/3は、比較的ソリッドな面で構成される。全体的に地面を思わせる薄茶色が使われ、右上方には血を思わせる濃いオレンジ色が少し混じっている。中央やや左に見える上下を貫く黑い台形は異形の者の下半身だろうか。その右下方には影を思わせる濃い茶色の四辺形が、左にはアラベスクを引き延ばした模様の太い線が少し見られる。
 《我が子を食らうサトゥルヌス》とは、体の向きなどは異なるものの、持ち上げている者と持ち上げられている者との位置関係、そして血に見える濃いオレンジ色が、私にゴヤのその作品を想起させたのだ。
 しかし、2つの作品には、異なっているところもある。
 《我が子を食らうサトゥルヌス》は救いがない作品だと私は思う。絶望しかない。我が子を自身の命を脅かすものとして恐れて食い殺す狂人サトゥルヌスを描いた作品で、作者のゴヤ本人も病によって聴覚を失ったころ描かれた暗い画風の「黒い絵」というシリーズの1枚なのだから、それも当然なのかもしれない。
 だが、この作品には別の帰結が見える。よく見ると、アラベスクを引き延ばしたような線のうち、白い線が煙のように「子供」を取り囲んでいる。「異形の者」の胸のあたりから子供を掴んでいる手のあたりにかけてもだ。黒い線の集合の中にある白い線はなにを意味するのだろう。私は、白に包まれた「子供」は守られているように感じた。つまり、「子供」が食べられる直前の絶望的な状況ではなく、むしろ護られているのだと考える。画面の配色には黒や茶系の色が多く使われて決して明るい作品ではない。だが、そこには救いがあり、希望が見えるのだ。
 《我が子を食らうサトゥルヌス》が好きな君なら、どう見るだろう。

(1,320 字)



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